164. この痛みを愛に変換します

「八つ橋さん」
「上だ。」

すぐ上に敵の反応がある。この場所を知られるわけにはいかなかった。先程軽傷の暗部が数名外へ加勢に向かった。隊を外された俺達には司令塔がいない。状況が変われば決断するのは自分達だ。もし上にいる敵が探知タイプの忍だったら。最悪、最悪ここで、碌に守れもせずに全滅だ。忍の里に住う者として、最低限息を殺してじっとしてくれている事がせめてもの幸いで。そして俺以外の暗部が土遁使いで懸命に土の結界を張ってくれている。怪我がなんだというの。俺たちは暗部だ。里のため、火影の私兵だ。動かなきゃ、守れるものも守れなくなる。使わなきゃ、自分の命。

「奈良…、!何処に行くつもりだ」
「敵の気配を感知した。頭上だ。どうやら敵は複数。」
「ならば尚更動くな。敵に入り口がバレる」
「そんな事はしない。」
「だから止まれ!」
「あんたは今ここで民を守る役割がある。俺は暗部奈良シモク。里に仇なす外敵を排除するのが仕事だ。」

「止まれ…!その体で…っ死にてえのか!!この死にたがりがぁッ!」

「シモク!!!」

ビタッ。金縛りにあったみたいに体が動かなくなった。怒声に混じって聞こえた、叱りつけるような女性の声。まさか、まさかと聞こえないフリをして踏み出そうとした足は、いつか家の居間を超えられなくなった時と同じだ。懐かしいと思った。入ってきなさい。と手招きしてくれたように。急激に引っ張られるようだ。ざりざりと近づく足音。背中越しでも分かる。よく知っている気配だ。

「…あんたが無理する必要ない」
「…うん、そうなんだけどね……母さん」

あのね、母さん。俺色々あって。命の価値がもうわかんなくなっちゃったんだ。希望を抱き続けても。命を差し出しても得られるものがないと思い知った。イタチの為なら命ですら差し出せた。最愛の弟を置いて。ボロボロになってまで里を、国を。世界の均衡までも守ってくれた親友に。それなのに守れなかった。俺はそんな親友の事を守れなかった。あまつさえ傷つけた。あれが、最期だなんて。そんなの、ないよ。

「じゃあ俺は何の為に此処にいるんだろう」

散々生かされたこの命は、誰のためにあるんだろう。誰のためのものなんだろう。いつ使えばいいんだろう。捧げ損ねた俺の、

「…あんたの命はね。母ちゃんが幸せな痛みを持って産んだ。あんただけのものなんだよ」

「…え」

背中に添えられた小さい大きな掌。もう随分と大きくなった俺の身体をまるであやすように摩った。

「なによさっきから聞いてれば。誰のためってそんなの自分の為に決まってるじゃないか。誰にもやらなくていいの。自分の為だけでいいの。あんたは… シモクは誰のものでもない、シモクだけのものよ。」

そんな、言葉を。気付いたら久しぶりに見た母を見下ろしながらぼろっぼろと。涙が次から次に溢れて止まらない。口がガクガク震えて引きつけを起こして、呼吸がぐちゃぐちゃになる。固まった手は動かすことも出来なくて、涙を拭うことすら出来ない。

…あのね、母さん。俺、喪ったんだ。もう一度や二度じゃなくて。たくさんたくさん落としてしまったんだ。それは俺が掴み損ねてしまったから。差し出す覚悟だって出来ていた。最悪差し違えてでも。でも、でも本当は一緒に帰りたかっただけなんだ。
たくさんたくさん助けて貰った。俺を助けたばかりに消えた命があったんだ。それに対して。俺は報いなければならない。救ってもらった命はその為に使わなければならない。その人の大事なものを守る為に使わなければ。それが唯一の償いだから。里のために身体を明け渡した。
猪鹿蝶になれなかったから。正式に奈良の16代目を継ぐシカマルを守る為ならそれも惜しくない。それが実力派の奈良家の方針ともあれば従う。俺たち三家はこれからもずっと変わらず固い「結束」を誓う。その為に俺は「いいお兄さん」でいなければならない。愛してるけど憎らしい。憎らしいけど堪らず可愛い末弟達なのは変わらなくて。だけどそれをしていたら、自分が何処か遠くへ行ってしまった。もう遠過ぎて分からなくて。本当は自分がもう分からなくて。

「そんな、俺に残ってるのっ、て…なに、かな…?」

幼稚な、質問だった。自分にはもう分からない。勝手に繋いだ気でいるのは小さな弟の手。だけど、そんな弟だっていつまでも子どもじゃなくて。シカマルの世界は広い。所詮は、血が繋がっていようとも他人。いつまでも子どものままで。そんな願い叶う筈がない。いつまでも俺に世話を焼かせて。叶う筈なんて、ない。イタチだっていなくなって、シカマルも遠くへ行って、そうしたら。そうしたら、俺は?

「またいちから探せばいいだけ。両手が空いてるなら、また、たくさん沢山拾って抱えなさい。あんたは本当に…優し過ぎるんだから」

……どうやら酷く寒かったようだ。人に抱き締められた時の温もりだって、こんなに暖かいという事を忘れていた。そう、忘れていたんだ。指先まで漸く血が巡って、じんわりと痛みを伴った。




「コウ!」
「!状況は分かるな。暁の来襲だ!」
「いつかとは思っていたがこんなタイミングだなんて。暁となれば目的はナルトの九尾!」
「うずまきナルトの事は複数名知り得ている情報。敵に教えてたまるか!白眼で見たと思うが敵は7人。日向家一同動ける者は全員が動いている。お前も日向若衆として行動しろ!俺はヒナタ様につく!」

肩を押されて、コウと別れる。里の被害はどれほどか。火影は。皆んなは。長らく走っていない足が時折もつれる。建物も倒壊が酷く街の様子は木の葉崩し、……九尾事件を思い起こさせる。

「これは…!ただ者じゃないな…」
 
ネジやヒアシ様、ハナビ様が里に不在な事が何よりだ。不謹慎にもそう思う。それは俺が日向の家に隷属しているからだ。里よりも家族の方が重くて。

「新か!!?お前、何故ここに、」
「オクラ!無事だったか、ある程度の情報は貰った!諜報機関はどうなっている!」
「暗号部が吹っ飛んだ!シズネさんが敵の検死から採取した棒っきれを調べていたんだが、どうやらビンゴだったらしい。検死の身体を取り戻しにきやがって、」
「ナルトは何処にいる!」
「いいやその情報は知らせられない!敵はナルトの居場所を片っ端から忍捕まえて炙ってやがる!いらん犠牲は作らんぞ!」
「お前はこれから何処へ行くつもりだ」
「先程秋道の息子からカカシさんを託された!敵の一人との戦闘時激しく負傷したらしい!お前も来い!」

…カカシさんが、重傷だと?カカシさんの実力は里中が知っていること。その、人が?長い髪が汗で張り付く。病院着が走りづらい。それでもこのざわざわした気持ちの前では気にも止まらなく、走るのが遅い俺の腕を掴んで共に並走するオクラの顔も強張っていて。なにかを失う、最初に感じた気持ち悪さが加速していくような気がした。あちこちでモコモコぬめぬめしたナメクジが這い回っている。そういえばオクラの背中にも張り付いている。俺の視線に気づいたのかビッと背中のナメクジを指した。

「火影の口寄せ、カツユ様だ!里の人間にほぼ満遍なくついている!」
「あ、ああ…」

オクラの背中から分裂したカツユ様が掴まれた腕を伝って俺の肩に乗りきゅっとくっついた。

「情報ではこの辺り…!くそ瓦礫の散乱が酷いな!どういう状況下の戦闘だ!」

ふ、と目に入ったんだ。オクラの話ではこのカツユ様は全員についている。瓦礫の敷き詰まった場所、肩から上を出しているものの、ぐったりと頭を垂れる銀のほうき髪。

「……嘘だろ」





「…自分が分からないのは変わらないけど、なら仕事くらいしなくちゃ…俺の基盤はやっぱり暗部なんだ。」
「…シカクから聞いてるよ。功績を知ることが出来ないし極秘任務ばかりを受けるあんたの口から聞く事も出来ない。だけど…あたしとシカクの自慢の息子。どんどん自分に我儘になりなさい。そして助けてくれる人の言葉を聞きなさい」

ばしっと叩かれた肩。母さんは軽快に笑ってみせた。カラッとした。この状況に相応しくない程だ。そんな母に漸く少しだけ口角を上げて八つ橋さんを抱えた。

「…気をつけて行くんだよ」
「…っておい!あいつの怪我を見てなかったのか!?何行かせてるんだ!!」
「舐めんじゃないよ!息子がしぶといのはあたしの折り紙付きなのよ!!」

母の声をきちんと聞いて、地上へ向けて駆け上がった。心が、随分と軽い。八つ橋さんは左肩にしがみつきながら何度か軽い頭突きをしてくれた。漸く太陽の光が見えた所で、絶句した。なんだこれは。なんだこの状況は。尋問塔も諜報機関、暗号部の建物もすべて吹っ飛んでいる。それを茫然と眺めてしまった。色んな記憶がフラッシュして思わず片膝をついた。ぼたぼたと顎を伝って赤黒い血が砂埃にまみれた地面に落ちる。頬からか額からか。また瘡蓋が割れたのだろう。

「敵は移動したようだが、里を荒らし廻っているのは以前変わらん」

暁……いままでの情報で対峙した奴等の特徴ならばすべて覚えている。逃げ帰るしか出来なかった、忍寺で会った奴等も。風影奪還の際に新達が交戦した奴等も。あいつらとは違うのか。違うならば敵の能力を割らなければ。……あれ。

「……おかしい。おかしいぞ…これは里の危機だ…里の忍全員が出動していてもおかしくない…なのに、何故タカ派がいない。」
「わからんが、お前にとっては好都合だ。なにせダンゾウから写輪眼を奪ったんだからな。」
「…確かにダンゾウはクズですが…だけど、里が無くなるような真似はしない筈だ…じゃないと意味がない」
「大蛇丸と手を組むような人間だぞ。いや、人間と言っていいのか最早分からんがな。」

じっ、と片目を見つめられる。命をかけて奪った写輪眼だ。あの腕にびっしりと埋め込まれた眼球の数。あの数を集められる機会はあの日だけ。イタチが一族を全滅させた日だ。ダンゾウはそれすらも計画の内だったのだろう。イタチに一族殺しをさせたのも里をうちはのクーデターから守るという大義。うちはだけの写輪眼をすべてせしめたのも、すべて己の強欲ではないか。そんな奴の懐に潜り、その身に苦無を突き刺した時。なんて気分が良かったか。許さない。許さない。俺は絶対あいつを許さない。

「ん?」
「……あれは、なんでしょう」

…空に…誰か。あの外套…黒地に紅い雲。

「敵……、」




神羅 天征




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