159. 市松でないが腹で泣けよ、少年

「八つ橋さん」
「おう、随分な男前だな。男前通り越して気色悪い面だ」
「…とても強い火遁を受けました」
「だろうな。それで動き回るお前も相当気持ち悪いな」
「オブラートに包んでください」
「自分の見てくれ気にしたことねぇだろ」

口寄せで現れた小型犬の八つ橋。じとっとした目を向けながらふんふんと鼻を鳴らした。

「ついに追いかけるんだな」
「うん。イタチの匂いは憶えてますか。追って下さい」
「いいのか。このまま何も言わねぇで」
「さっきそれでカカシ先輩に啖呵切ったばかりです。だから、…イタチを連れて絶対に帰りましょ」
「慎ましい我儘坊主だな。シモク」
「歳を追うごとに我儘になりました。…俺が必死になれるものに出会えたって事ですよね」

八つ橋は元はカカシとの契約で口寄せに応えていた。暗部から引退する際、契約はカカシのままでシモクに譲渡された。契約がそのままなのは確実に八つ橋に約束を守らせるためだ。カカシと八つ橋の約束。シモクの力になる約束。

「良かったな。お前出会った頃顔が死んでた」
「…子どもの頃は怖かったんです暗部。顔を隠してるし夜にしか見かけないし。なにやってるのかも分からないし。…知らないって怖い事ですよね。実際自分がその側になったら確かに後ろ暗いことばかりしてるけど、周りは…本当に普通の人達なんです」

表の忍と変わらない。居酒屋によくいるような陽気な男達だったんだ。顔を上げれば空には星がチラついた。木の枝にしゃがみ込んでいたシモクは自身の師を思い出してキュッと口を結んだ。右半身の傷はかさぶたになったのか引き攣った。

「…あの人達は、もっと生きるべきだった」

もっと、一緒にいたかった。もっと、もっと。失った人達はもう二度と戻ってこない。…イタチだってそうだ。戻ってこないものだからこそ、今手を離しちゃいけない。黙って背中を見送るのはやめたんだ。

「そろそろ行くぞ。闇夜はお前の庭だろ」
「はい」

ピリピリと痛む半身にそっと触れ、前を向いた。さあ、ここからだ。俺がする事は一つ。あの日助けられなかった友人を連れて里へ帰る。絶対に、連れて帰る。




「まずは名を」
「…サジです」
「本名は」
「憶えていません」
「出身は」
「今は無き小さな敗戦国です。」
「サジ。君の頭の中を見せてもらうよ。痛んだら直ぐに知らせてくれ」

…頭の中。なら、いい。口を割れないのだから直接覗いてくれた方が都合がいい。多少の痛みだって訳ない。なにより全て明るみになる。これは暗部の…根の忍達全員の為だ。

「…サジ。シモクはそっちでどうだった?いや、小さい頃から知っててな」
「…奴は…しぶといと思います。一度言われた事がある、お前達とは違うって。あの時俺は同じ穴の狢である癖になに言ってるんだと思った。…しかし今ならわかる。あいつは俺達とは違う」

諦めないしつこさ。決して倒れない不屈の闘志。まさにその名に相応しい。

「俺はあんな風になれないから」
「三代目火影派とダンゾウ派に分かれていたとは言え、君は一番大切な脳内を見せてくれる。立派な離別だ。歓迎するよ。」

意外そうな顔をしたサジはバツの悪そうな顔で目を閉じた。…なれるのか。ダンゾウ様に反感を持っていた訳じゃなかった。拾われた身だ。その恩に報いなければならないとこの数十年間、ひたすらに従事してきた。しかし、ぱっと。あの日の光も届かない地の底に現れたのがシモクという男で。…魅せられた。それしか言えない。堪らなく、手を貸してやりたくなった。もしこいつが変えるのだとしたら。タカ派もハト派もなくなるのなら。全ての暗部が救われる事になるのなら。

「…なりたいと思う。俺も…彼みたいに」
「なれるさ。君は解放されたんだから」

信じられるものを信じて、愛おしいものをこの両手に抱えて。自分の命すら掛けられるような。そんな…そんな人間に。いつのまにか落としてきた大切なものを再び拾ってくれたシモクのように。

「解析を開始する。」

なりたい。俺達だって。こんなに道を外れてきてしまったけれど、そんな俺達だって本当は…

「…ッッあ"!!!!!!」






「ああ、墓参り…墓参りしなきゃ…ずっと行きそびれて…」

ぶつぶつと独り言を呟きながら病室を右往左往しているのは新だ。このところ落ち着かなくてベットに居られない。でも病院から出たら怒られる。ネジには出るなと言われている。関係を戻した今、ヒアシが居ない今。自分が傅く主人はネジだ。そんな人からのお願いは命令だ。癇癪を起こした子どものようにうめき声を出しながら枕に顔を埋めた。怠惰な時を過ごしながや何事もやる気が削がれていく。新とて忍。こうも閉じ込められていたら筋力すら衰える。

「なに文句垂れてんだ」

ばっと顔を上げた。確かにアスマの声が聞こえたのに。部屋前は誰もいない。…そうだ、アスマさんはもう…。もう、いない。いないんだ。俺はとうとう現実と妄想の区別すら付かなくなった…?ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟る。視界に絡む紺黒の髪は日向の特徴だ。俺にとっての誇りで、呪い。日向である限り。俺が新である限り。これは俺が背負うべき業で責任。

背負って生きろ。

シモクに突きつけられた言葉。互いに向け合った言葉。俺の周りはどうしてそう強く在れる。そう、なろうとする。

「俺達は…本当に…一緒に並べないのかもしれないな…」

元より、並んで歩いて行くことなど不可能なんじゃないか。俺もシモクもオクラも。随分と遠くまで来たじゃないか。シモクはもう違う先を見て一人で走ってしまっている。もう、何も相談さえしてこない。自分で決めて自分で立ち上がって。ネジだってそうだ。俺の助けなんて最初から要らないくらい立派な忍だ。

俺だけが後ろばかり見て、それしか見てなくて。見れなくて。忘れちゃいけないものが沢山あって。もう忘れたくなくて。

俺は一体、どうしたいんだ?

「…俺は…誰になりたかったんだ…?」



草木を避けて飛ぶ。右半身は自分が思うよりも動かなくて、突っ張ってて、動かす度に塞ぎきれていないジュクジュクの傷口が痛み出す。時折休まないと痛みでどうにかなりそうだ。

「おい平気か」
「っ、はあ、大丈夫…です、イタチの匂いは…?」
「このルートで間違いない。」
「…、よかった…急ぎましょう…」
「止まれ、シモク。包帯を替えるぞ。血が滲んでる」
「…さっきバリって音がして…かさぶた千切れたかな…」
「本当なら縛り付けておかなきゃならねえ程の重傷だ。休む時に休まねえと、死ぬぞ」

ホルダーから包帯を咥えて掌に乗せてくれた八つ橋さんは完全に地面にお尻をつけていて動くつもりはないらしい。正論だ。何も言うまい。古い包帯にも血と体液が固まりくっ付いていた。無理に引っ張ったらそれこそ悪化するな。替えられる所だけ替えて結び直したら少しだけ痛みが和いだ。

「お前、イタチを連れ戻したとしてどうするんだ?」
「どうするとは?」
「イタチは命を懸けて里を抜けたんだろ。その意志をお前は奪おうとしてんだ。懸け損ねたイタチはどうなるんだ?」
「…生きてさえいれば…なんだって、どうにだってなる…俺がその証明。今度は…木の葉の里からだって守ってみせる。」
「…」
「イタチが俺達を守ってくれたように」

すん、と鼻を鳴らした八つ橋さんは立ち上がり先を向いた。へのへのもへじが描かれた法被。それがカカシ先輩を思い起こさせた。最後は、手を離してくれた。
離していい。俺の事で先輩が気負う事なんて何一つとしてない。全部俺が決めた事なんだから。誰がどう手綱を引いていた所で、結局俺が選んだ事だ。諦めたのだって俺だ。俺の責任なんだ。

「八つ橋さん。」
「なんだ」
「あなたを譲り受けた日を思い出します」
「思い出話なら帰ってから聞いてやる」
「…っあはは、ありがとうございます」

再び走り出す。ずくずくと痛む右半身と共にその右眼が。酷く熱い。




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