100.透明の雫は止まない。

踏み込んでくるなって言ったのに。ここまできたんだね。シカマル。

「あに…き?」

目を瞬かせれば、また空間は変わっていた。真っ白なここは一瞬死後かと思うほどだ。だがその空間の周りを囲むのは真っ暗な霧だった。まるで迫ってくるような。

「俺はお前が思うほどいい兄貴じゃない」

暗闇から現れたシモクはシカマルの肩を掴んだ。その力の強さに怯んでしまう。顔は暗くてよく見えないが、どこか歪な雰囲気を纏っていた。暗部の服も真っ黒だ。

「お前が生まれてこなかったら」
「俺はこんなに惨めになることなかったのに」
「なんでお前ばかり」
「なんで俺から奪っていく」

激昂だった。ミシミシと悲鳴を上げる肩に顔を歪める。

「もう沢山なんだよ」
「なんで俺がこんなに苦しまなくちゃならない」
「進みたくなんかない。生きていたくない」
「こんな世界」
「なくなってしまえばいい」
「忍世界も、火の国も、木の葉も」

なくなってしまえばいい!!!

「っ…あに、」

ふっ、と一気に掴まれていた筈の肩の痛みが消えた。そして目の前の姿も消えており、少し離れたところにもう一人のシモクが微笑していた。暗部の忍装もいつも通り白い。表情もよく見える。確信した。こっちが本物だ。

「いのにも忘れるようにって言ったのに」
「あに…き、さっきのは」
「もう一人の……俺、かな。随分飲み込まれちゃったみたい」

先ほどの黒いシモクを薙ぎ払った本物は再びシカマルに向き直った。…暫くの間、見ていなかった"生きている顔"だ。

「チョウジたちは、」
「悪いけど弾き返させて貰った。」
「…兄貴、現実の兄貴がえらいことになってる!早く戻ってきてくれ」

シモクの顔は変化しない。そんなこと、とうに知っていると言いたげだ。

「無理だ。此処が壊れたんだ」

とんとん。自身の胸を親指で軽く叩いた。

「お前を見ても。話しても。此処が振動してくれなくて。嬉しいはずなのに、悲しいはずなのに。俺はお前になにも返してやれなかった」

それどころかお前を傷つける言葉しか吐けない。

「もう俺はお前の兄貴に戻ってやることはできない。言ってただろ、現実の俺も…」
「兄貴。約束。」

俺は覚えてるからな。約束ってのは、たとえ片方が忘れようと、ずっと施行されるものなんだよ。あんたが忘れていようと。

「俺は覚えている」
「…忘れよう。お互い。俺はどうやってももう戻ってあげることはできないし、きっと善悪の区別がつかなくなった俺を五代目は許しはしない。シカマルの兄貴は死んだんだ。」
「死んでなんかいねぇよ。」

…んなことさせてたまるか。

「…さっきの俺を見たでしょ。あれは俺の汚い部分が形を成したんだ。あれが俺なんだよ。酷い兄貴だと思わないか」
「思わない」
「お前が生まれてこなければって言った、自分の不運をお前のせいにした」
「本当の兄貴を俺は知ってる。隠そうとしてもわかってるんだよ。もうなにも悟れない、知らないままのガキじゃねぇんだ」

あんたが。俺をどう思っていたかなんて、そんなの知ってる。兄貴は俺を受け入れてくれた。まっすぐな思いを意地っ張りでつっけんどんな俺は受け止めきれなかった。今ならば、

「言っただろ。兄貴一人守れるだけの力はあるつもりだって。」

親父。いまがその時だろ。今度は俺が。

「兄貴を助けるんだよ、今度は俺が」

なんで。突き放すのなら早くしてくれよ。わざわざ"俺の中"にまで入ってきて。別れを告げてくれよ。そう言ってくれるだけで。俺はあと一歩で消えて無くなれるのに。なんで。俺は要らないんだろう?もう嫌なんだよ一人きりは。光のない場所で一人ぼっちで沈むのは。

「あんたはいっつもそうだ。俺なんかに尾を引いて。自分を卑下する」
「…知った口聞くな。シカマル。俺は。」

なぁ。兄貴。俺見てきたんだよ。あんたの道がどんどん壊されて八方塞がりになっていく。身動き一つとれないで苦しんでいる。

「俺は…俺は、本当に、お前が思うほど良い兄貴じゃないんだ。」

お前が生まれる前から俺は奈良一族の陰遁を扱うことが出来なかった。それどころか一族外の者からも非難されていたよ。関係ない奴らに"奈良家の面汚し"なんて言われたりしたし。俺だってここまで言われれば慣れてしまって。…シカマルが生まれてからは、本当に気にしなくなっていたんだよ。

「でも…俺はやっぱり俺のままだった。」

シカマルは奈良の遺伝子を濃く受け継ぎ、一歳にも満たないうちに奈良家の十六代目当主が約束された。七年も前に生まれた俺ではなく。お前にピアスが譲られた。どうして俺が奈良を背負えなかったのか。それは俺が相応しくないから。劣ってるからだ。

「心の端で思ってた。俺がシカマルなら良かったのにって。俺の中を見てきたならわかると思うけど、俺はずっと今も。」

欠陥品の奈良シモクだ。どうしても周りに認めてもらいたくて。必死になってきたけど。努力が実を持って成功してめでたしになるのは所詮物語の主人公だけなんだなって知った。知ってからは、無駄で余計な抵抗をやめた。

「…本気で考えてみろシカマル。お前にとっての俺はお前の枷になってる。今だってそうだ」

こんな場所まで来て。俺にこんな筋違いなこと言われて。

「だからさっさと戻って。そして五代目に言ってこい、善悪のつかない忍は危険なので破棄してくださいって」

疲れた。なにもかも。俺が歩いてきた道には平坦なんかなくて。そのくせ楽しい事なんて塵ほどもなくて。こんな世界にいる意味なんか。なにが俺を突き動かして来たのかすら…もう。ちらりとシカマルに目をやる
。顔を上げた瞬間、いままでで1番の声量で叫ばれた。

「うっせーな!黙って聞いてりゃ!このクソ兄が!」
「っ!?」
「俺の話くらいたまには聞けってんだ!!この馬鹿が!!」

疲れた?絶望した?そんなもん…俺だって同じだ!!!あんたを取り返すのにどんだけ苦労したと思ってやがる!!忍なんてクソだとも思ったくらいだ!

「大体、兄貴が妙に塞ぎ込みやがるからここまできたんだろーが!任務も放棄しやがって…暗部!?上等じゃねーか。少なくとも日がな一日ぼけっと雲眺めてる俺より100倍かっけーわ!」

兄貴が歩いてきた道は確かに苦しい事ばかりだ。変わって歩いてやりてぇとも思わねぇ。だってこれは兄貴の道だ。別の誰かが歩けない。兄貴だけの道。

「兄貴の記憶を見た時。どうしてかって思ったよ!なんで他人の為に自分の命懸けれんだって!そんなことばっかしてるから…苦しくなるんだろ」

他人の毒まで一緒に飲んでしまうような超絶なお人よし。

「でも、あんたに救われた人だって大勢いたはずだ。それは俺になってたら絶対できないぜ」

あんたは俺にとって自分は無益だって言ったけどな、…兄弟に利益も無益もあるかよ。ガキの頃から一緒にいたチョウジやいのと同じだろ。俺はあいつらに利益なんか求めない。もちろん兄貴にもだ。俺が憎たらしいなら、正々堂々俺の面見て言いやがれ。…

あんたがあんたを動かしている理由は、もうわかってんだろ。聞こえてたんだろ。本当は。ナグラさんの言葉が。

「あんたの忍道は…"立ち続けること"なんだろ」
「…お、まえに…」

お前に。だけは。

「言われたくない…、俺がどんな思いで生きてきたと思ってる!!七歳も下の弟に劣って、いつ間引かれるかビクビクして、っ。俺が…どんな思いで…!!」

暗部に入隊したか。お前にわかるかよ。わかってたまるか。何百何千の死体を見たことあるか。ついさっきまでそこにいた仲間がすべて事切れて、ぽっかり空いた穴からこっちを恨めしそうに見上げる眼を。お前は見たことないだろ。ナグラさんだって。俺が死なせたんだ。俺なんか助けたばかりに…あの人は死んで。俺が生き残って。

「どんな…思い、で」

こんな醜い精神世界に。シカマルだけじゃなくてチョウジやいのまで来て。俺の秘密もすべてダダ漏れさせてしまった。すべてだ。すべて、醜いもの全部、一番大切にしたかった人達に…

「…………、ッ嬉しかった」

愛はあげたり大切にする真似も振りもできる。だけど貰うことは下手だ。でもね…やっと、ずっと向けられていたものを見れた気がする。

「嬉しかったんだ…お前たちが…きてくれて」

誰でもない、シカマルがきてくれて。徐々に迫ってくる闇が怖かった。俺はそんな大層な人間じゃない。だから…沈んでいく意識が。遠ざかる声が。一人残されることが。…本当は物凄く怖くて。怖くて。

「…兄貴は兄貴だろ。俺は、あんたとの約束を守りにきただけだ」

やくそく。それは、俺が生きてシカマルの傍に帰ってくること。そうしてそれは…俺に命を与えてくれた家族や。俺を生かしてくれたナグラさんや、散っていった彼らから渡された命のバトンを…俺が繋げていくことだ。

「手放しちゃいけなかったんだ」

俺はその重圧から逃れようとした。逃れて楽になる道を選ぼうとして他人の言葉を待っていたんだ。そんなどうしようもないこと。俺の道は俺がきっちり歩かないといけない。どんなに荒れた道でも。俺だけが歩かなければ終わらない。終わらせない。

「どうして…忘れてたんだろ」

自分の辛さを吐き出して。本当に大切なことさえ失おうとした。裏切ろうとした。そんなの許されない。俺だけは。

「約束したからには、体だけじゃなくてここもしっかり揃えて帰って来いってんだ。世話焼かすな…クソ兄貴」

シカマル笑ってる。俺の心臓に手を当てて。笑ってる。

「帰って来い。兄貴」

振動する。何も感じなかったここが。シカマルに呼応するみたいに。あ…そうか。俺なんだかんだ言って本当は…

「生きたいんだね」




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