94.痛いほどの気持ち

「綱手様…彼の処遇についてですが、人への暴行に加えて自害を図るなど…とても」

忍としての復帰は絶望的か。シカマルがなにを話したのかは敢えて聞かないが、結果的にそれがトリガーとなって無感情だったシモクの心を揺り動かした。…最悪な方向に。ひとまず鎮静剤を投与し、木の葉病院から連れてきた医療忍者に任せてはいるが、いつなにを起こすか分からない。精神崩壊寸前だ。今暗部に戻す訳にはいくまい。前線を退いているシモクが任務に加わらないことで任務の成功率にも多少のばらつきが生まれた。増援を必要とする隊が増えたのだ。それも全滅した時は発見が遅くなり、死体を持ち去られるという事態も発生している。くそ…っダンゾウに、任せなければこんな…!!自分の決定に腹が立つ。

「…奈良シモクは、暫く様子を見る。シカマルには心情を見せたんだ。またなにか波が来るやもしれん」
「ですが、あそこまで感情の起伏を起こせば、精神の崩壊を招きます…!」

なにを賭けるか。

「奈良シモクが闇から帰還しない方に賭ける…あたしの賭けは、外れるからな」

優しき、忍。お前をどうにかしようとした、あたし達が間違っていたんだな。


―俺はお前の友でいる資格はない
―お前がなんと言おうが、俺はお前を友だと思ってる
―俺はうちはイタチを誇りに思うよ

「イタチさん?」
「あぁ、なんでもない」
「長雨に当たると、お体に障りますよ」

繊細な雨だ。一粒一粒を見つめていると、なぜか。あの男と過ごした日々が雨粒に光って反射した。優しくて、穏やかで、人の命を尊ぶ。曲がった事が大嫌いな、あの優しい男の顔が。木の葉へ赴いた時、サスケも、木の葉の忍もイタチの真実を知らなかった。彼は、今でもイタチの秘密を守り、保持しているのだ。友として。深々と降り続ける雨。振り払った腕。なにも言わずに見送ってくれた瞳。

「おや?イタチさん。その面は…」
「…あぁ俺の旧友だ」

割れた鹿の片面。未だに暗部に従事する男。抜け出すことすらできない、弱い男。


「死なせてくれと言ってるだろう!!?」
「なりません!!っ誰か!来てください!」

ガシャンッ。銀のプレートが床に撥ね付けられた。中に入っていた数本の硝子性の注射器は衝撃でぱりんと、か細い音で割れた。

「こんな俺、要らない!!」
「足押さえろ!足!」

腕や足を無茶苦茶に振り回した。シカマルが顔を出さなくなってから、シモクの精神の起伏は悪化した。交代での監視をつけたものの、夜中にも関わらずいきなり予兆なく発狂する。それも手当たり次第の物で喉を掻き切ろうとするのだから、監視役も楽ではなかった。…限界だ。監視役の医療忍者2人は互いに目を合わせた。こんなに追い詰められるまで、一体なにをしていたのか…。彼らはシモクが暗部構成員であることは知らされているが、ダンゾウの無理なカリキュラムを施されていることを知らない。知らないからこそ、気味が悪かったのだ。

「麻酔薬を!」
「注射器が!」

目の前の、この男が。

「なに…これ…」

いのは扉の隙間から中の様子をチョウジと伺っていた。シカマルは壁に背をつけている。目は閉じられていて見たくもないらしい。いっそ耳も塞ぎたいだろう。チョウジはゆっくりと扉から離れると、暫くその場に佇んだ。…シモクを最後に見たのは、演習の時以来だ。あんなに目が窪んでいたか。あんなに痩せこけていたか。あんなに、別人と思うほど憔悴していたか。シモクは、何度酷い目にあったって。笑っていた男だ。チョウジは知ってる。シモクが同い年の子どもから奈良家の事でからかわれていたこと。シモクはチョウジが体型の事で同じようにからかわれた時、こう言った。

―「チョウジは将来、チョウザさんみたいに立派で頼れる男になるんだろうね。誇りに思いな。だってチョウジは猪鹿蝶だ」

その、含まれた言葉のニュアンス。今ならわかる。羨ましいと言っていたんだ。猪鹿蝶の名を背負えることから、シモクとチョウジの立ち位置は生まれた瞬間から全く違う。出発点から違う。秋道家の一人息子として。猪鹿蝶の蝶を継いだのだ。シモクには、継げなかったそれを。チョウジは猪鹿蝶の蝶として継いでいるのだ。あの笑顔の下に、どれだけの卑屈や苦悩や嫉妬が渦巻いていたのだろう。それを隠して。隠し通して。自分達に接してくれていた優しい猪鹿蝶の兄。まだ幼くて。猪鹿蝶の意味を理解していなかった。こんな家系、とか。こんな家柄、とか。秘伝忍術の取得を面倒くさがったりとか。シモクにしてみれば、喉から手が出るほど欲しかった猪鹿蝶の証を。さも当然のように受け継いだ自分達を見ててどうおもってたんだろう。今聞こえる叫びは、本当の気持ちで。自分達が想像もできないくらい辛い体験から発する気持ちでもある。…限界、なのかもしれない。シカマルもなにも言わない。いのもショックで口を覆ったままだ。そっか…忍って、こういうことなんだ。シカマルも、チョウジも、いのも。最初に追いかけた忍の背中はシモクだった。印を結べなくたって。苦無を使ったり、素早く動く体術に。憧れ、追いかけていた。いつも先頭を歩いている"兄"に近づきたかった。…でも、大人になるに連れて思い知った。シモクだって忍である前に、兄である前に、人間だ。辛いと感じるのも苦しいと感じるのも、自分達と同じだ。背負うものが多過ぎたシモクの背中はついに折れたんだ。人の重荷だって背負い受けて。




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