あなたの守った国は、美しいです

「…ごほっ、」

空が青いと、言ってたのは誰だっけ。地面を掻き毟るように握りこめば爪に砂が入った。

「…っ、」

湿った草が頬に張り付いて、汗と涙と分からなくなった。周りには動かなくなった仲間の背中や顔が見えた。目を見開いて、この世を呪うかのようだった。

「行かなきゃ…」

撃たれて穴が空いた太腿を引きづって、長い銃を杖代わりにした。雨で濡れて足場の悪い、人が通らないような獣道を歩く。撃たれた腿がジクジク痛む。熱を持って、体全体に怠さが回る。血が滴る。

「死ぬわけには…」

飛びそうになる意識を保つ。俺には…まだ、死ねない理由がある。

「赤司…!!」



赤司とは幼い頃からの付き合いだ。育ちの良い赤司には近寄りがたい雰囲気がある為、あまり友人は出来なかった。誰にでも声を掛けに行く俺はそんな赤司の独特な雰囲気を飛び越えて会いに行った。

「徴兵…?」
「あぁ」
「…きたのか」
「そうだ、お前もだろう?」

赤紙。日本軍の召集令状だ。これを受け取ったら、戦地に赴かなくてはならない。赤司も?俺はどうなってもいい、だけど赤司も…?

「…赤司、お前ならこれを断れるよな?お前の家は由緒正しいし、嫡子の赤司なら!」
「…行くなと言うのか…?」
「当たり前だろ…!お前は行かなくていいんだ!!俺が代わりに2人分活躍してくっから!」
「…断る」
「俺が嫌なんだ!」

赤司と同じ薄茶色の学生軍服。それが本当の軍服になったときが怖い。死ぬのは怖い。昨日、…赤紙を受け取った俺の家族は、涙を浮かべて無理に喜んだ。母ちゃんの涙でぐちゃぐちゃな顔が、蘇ってくる。女学生の姉も、10下の弟も。

「赤司、断ってくれ。断れないなら俺がお前の腕を折る。そうすれば怪我人として戦地に赴かなくて済むはずだ」
「俺の腕を折るだと?やれるものならやってみろ、体術で俺に一度でも勝てたらな」

一度でも。赤司に勝ったことはない。勉強でも体術でも、一度も。

「俺は、そう簡単に死にはしない。お前もだろ?」
「…だけど!」
「生きて、また帰ってこよう。ここに、2人で」

赤司は笑ってみせた。俺達が、戦場に送られる一週間前の事だった



防空壕の中には負傷した兵士が、簡易ベッドに乗り切らない程溢れていた。生々しい傷口。忙しなく動く医療部隊。俺は赤司を探した。あの赤い頭をひたすら探した。

「っ!」
「あ…!申し訳ありません!」

変声期の。まだ年若い少年が、奥の方から走ってきた。目には僅かに涙を滲ませて乱暴に汚れた裾で拭って。俺に深く頭を下げた少年はまた外へと走っていった。伝令役だろうか…?その少年の背中を見送って、俺は赤色を再び探した。

「…あの、ここに赤司征十郎って収容されてますか…」
「申し訳ありません、何分負傷兵が多くて特定はできません…」

頭を下げて女性は俺の横を過ぎ去った。呻き声が聞こえる。きっと、休む間も無く介抱に追われているのだ。…赤司。お前は俺と同じ陸での戦闘を命じられた筈だよな?なんで…どこにもいない?

「空襲だー!!!!」

その声に顔を上げた瞬間、ぐわりと地面が揺れて、医療器具が音を立てて落ちる。劈くような爆発音。防空壕自体が軋んだ。

「…ここにいても埒があかないか」

俺の隊は全滅だ。なら好きにさせて貰おう。御国の為よりなにより。俺は幼馴染の方が大切だ。



雅臣の気持ちはよく分かっているつもりだ。俺を死なせたくはなかったのだろう。だが、俺もお前を死なせたくはない。お互いそう思っている。幼い頃から共にいた。唯一無ニの存在。朗らかで、よく喋り、よく笑う。天真爛漫なお前。そんな元気有り余るお前が兵役に取られる事は分かっていた。俺も健康な体を持って生きた為、赤紙が来たときは親にも反対されたのだ。雅臣の言う通り、俺の家はそういう家系だ。嫌と言えば、通ってしまう。…だけど、雅臣は?雅臣は普通の日本国民。だめだ。だめだ。だめだ。雅臣のいない世界で生きるなど、あり得ない。どことも知らぬ地で死ぬな。俺の目の届かない所で…勝手に死ぬな。

「…は、」

小高い丘を登り切れば真っ黒な海から敵軍の船が攻め込んでいるのが見えた。…あれでは、もう詰まらされたようなものだ。八方塞がりの、どうにもできない戦況。

「赤司!!!」

自分を呼ぶ声に海から視線を離す。よたよたと頼りない足取りで歩くその見知った声と顔。随分汚れているが紛れもない、雅臣だった。

「雅臣…!脚を撃たれたのか!?」
「赤司…良かった…生きてて…」
「だから、言っただろう…?そう簡単に死にはしないと…」
「はは…そうだ、ったね…」

倒れ込む寸前の体を抱き留めながら、雅臣の息は浅かった。俺を探して、怪我をそのままに歩き続けていたのだろう。土が付いた頬を拭ってやれば薄らと目を開ける。

「赤司………お前、生きて」
「…は?」
「…生きて帰れ」

嫌な、言葉の羅列。一週間前の雅臣の笑顔がぶれた。

「…ふざけるな雅臣。2人で帰るんだ!」
「…生きるんだ」

うわ言のように繰り返される。それは、2人で、と約束しただろう?

「良かった……赤司が、無事でいてくれて」
「雅臣…!」

雅臣が脚を動かす度にどくりと血が溢れた。片手で止めようとしても上手くいかない。その間にも雅臣の顔は色を失っていく。唇が変色して乾燥が目立った。水を口にしていないことは、すぐに分かった。

「お前…」
「日本に…帰ったら…俺の家族によろしく。母さんには遺書を遺してる…弟には…」
「ふざ…ける、な」
「………なんだよ赤司お前…らしくないよ…」

雅臣は死に際だと言うのに笑みを浮かべて、静かに口を閉ざした。深い深い海の色。真っ黒な敵船。鉛色のくすんだ空。色の滲んだ軍服。白い顔。午後、昼の太陽が真上に上がる時。戦争は終わりを告げた。


赤司征十郎 / あなたの守った国は、美しいです


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