元に戻りゆく世界と隣の空席

「すいませんッス。待たせて」
「いい、別に。無事渡せたのか」
「ばっちりッスよ」

なら、いい。そう仏頂面で素っ気なく返してくるも、ちゃんと手紙を渡せたのかと気になってる。黒子っちからの手紙を彼に渡して、俺が生まれ故郷ですることは、もうあれで最後。次は知らない地で。陸で敵と戦うんだ。悲観するな。怖くない。だって俺は一人で特攻部隊に行った黒子っちより、恵まれているじゃないか。

「黄瀬、行くぞ」
「はいッス」

戦友なら、平次っちがいるじゃないッスか。悲観するな。俺は恵まれているんだ。

「…怖いのか」
「そんなわけないじゃないッスか。あんたがいるのに」

寡黙で、感情表現ド下手で。でも取り乱して泣かないで、前を見据えている。これからの自分の役目だけを見つめている。そんなあんたが側にいるから、まだ俺はこの戦争に狂わないでいられるんだ。

「…生きて、またここに戻ってくるッスよ」
「…前向きだな。俺は靖国で会いたいよ」
「どうせ挑むなら、目標があった方がいいッスよ。」
「目標?」
「そうッス。平次っちはなにがしたい?」

戦争が終わったら、なにがしたい?

「思いついたッスか?」
「…たい」
「え?」
「黄瀬を描きたい」

平次っちは絵を描くことが得意で、好き。学生の内はよく薬の包み紙とかなんでもいいから紙という紙を集めて描き親しんでいた。平次っちがなにを描いていたかというとなんてことない。日常の一コマだ。ジャガイモ畑。太陽に背伸びする向日葵。洗濯物のタライ。妹を背中に括り付けながら家事をこなす母親。道端で遊び回る子ども達。なんてことなかった。それは、戦争という大義に呑まれて、なんてことない。なんて物ではなくなってしまったけれど。じゃあ、またここに一緒に帰ろう。平次っち。

「…楽しみにしてるッス」


もうだめだ。日本は負ける。


「もう、だめだ……」
「諦めるな、銃を構えろ!」
「駄目なんだよ平次!お前見えてるのか!?周りはどんどん死んでいく。ここだって見つかれば!俺達なんて!」
「日本は負けない!負けるものか!」

平次っちは周りを鼓舞しているように見えて…でも必死に自分を奮い立たせているようにも見えた。俺は片目を潰され、平次っちからの手当てを受けて、狭い防空壕の壁に寄りかかっていた。生憎、俺は更に片腕が吹っ飛んでしまったから銃を握ることすら出来ない。そんな俺を、平次っちは守りながら恐怖と戦っている。

「…怖い、怖いよ母ちゃん」
「…っ!」
「…怖いよ…!!」

一人の恐怖が、周りに伝染していく。俺達の部隊は先導者を失くして、辛うじて一緒に行動しているだけだ。烏合の衆と、対して変わりはしない。

「平次…悪い、僕もう限界だ」
「…なに、して…やめろ!!!!!」
「ごめんな」

平次っちの怒声が響く。それに被せるように、バァン。破裂音が響いて、一人の少年が黒く焦げて地面に倒れた。…自爆だ。胸に手榴弾を抱き締めて、逝きやがった。俺達の、目の前で。嬉しそうにして。

「…死にや、がった」
「…そうだよ、死ねばいいんだ。そうすれば、もうこんな…」
「血迷うな!俺達はお国に心臓を捧げ、天皇陛下に忠誠を誓ったんだ!!簡単に死んで良い筈が無い!!」

破裂音。破裂音。破裂音。平次っちの制止を振り切り、次々に黒く焦げて地面に倒れていく。

「き…せ、俺達も死のう、一緒に死のう!お前、怪我辛いだろう!?」

なに言ってやがるこいつ。多分、一人で死ぬ勇気も、平次っちみたいに最後まで忠義を尽くす度胸もない。完全に、精神が参っている目だ。

「嫌ッスよ、死ぬなら、一人で死ねば…」
「もう残ってるの俺達3人だ!平次は死なない!お前は勿論皆と行くよな?」
「ふざけんのも大概にしろ…平次っちを置いて、一人で楽になりたいと思う筈ねーだろ…!!」

コン。そいつは俺の話に聞く耳持たず。ヘルメットで手榴弾に衝撃を当てて、胸にあてがいながら。あろうことか、俺にくっついた。やめろ…やめろ…!やめろ…!!!死ねるものか。目が片方見えなくても、腕が欠けても!平次っちを置いて、死ねるか…!!!

「離せッ!!!」
「黄瀬!!!!!!」


嘘だと、言って欲しかった。一瞬のことだ。聞き慣れた声、体を引っ張られる感覚。同時に弾ける破裂音。どさりと倒れ込んだ奴はお望み通り、死ねたようだ。

「平次っち…平次っち!!くそが!あいつッ!!」
「…ッは、ぐ…、」

平次っちを、巻き込んで。

「…き、せェ……無事…か、ぁ?」
「なに言ってんスか!!あんた、…あんた、なにやってんだよ!」

俺にくっついた奴を引っぺがす為に。近づいたから。手榴弾の威力に巻き込まれた。俺を、守る為に…!!

「……悪い、腕…飛んだから…、目標…不達成…」

形の良い眉を苦しそうに歪めながら。

「いいッス…いいッスよ!そんなことはどうだって!一瞬に帰ろう!!平次っちはこんな所で死ぬ男じゃねーんスわ!」

痛々しく、焦げて血が滲むそれはどんな傷より、俺自身の傷よりも痛く見えた。片手で平次っちを抱えるも、立ち上がらない。…っくしょう!!

「あんたがいなくなったら!!俺はどうすりゃいいんスか!?仲間の死体に囲まれて、終戦を待てって言うんスか!」

平次っちの目は徐々に光を失うみたいに。閉ざされていく。死者と、生者の壁が築かれようとしている。嫌ッス。嫌ッスよ、平次っち。

「俺はあんたと一緒だったから!狂わないでいられたんだ!こんなクソみたいな事に、怯えることもなかったんスよ…!」

あんたが、いつも前を向くものだから。日本を誇らしく思っているから。

「お願いッス…いかないで、…平次っち」
「…黄瀬、お前の、目標は、生きて帰る、ことだったな…」

顔半分が血と火傷で見えなくなっても、片方は綺麗に俺を見上げる。

「…黄瀬、お前は……生きて、生きて、子ども作って、孫作って…爺になるまで生き通して…………それから、死ね」

平次っちの微笑は、息が止まるほど美しくて、命の全てを燃やして象られた。そんな、全てが詰まった笑みだった。

「狡いッスわ、本当」

平次っちが息を引き取った、その日の内に。戦争は日本の敗北を喫して、幕を閉じた。終戦直後、敵軍に防空壕の中に侵入され、なにを言っているか微塵も理解出来ない言葉の羅列を聞きながら、平次っちの亡骸を抱き締めていた。その亡骸を腕から引き離されて、平次っちを防空壕に残したまま、敵軍の占拠地に連れて来られた。俺以外にも多くの負傷した日本兵がいた。治療されながら、思う。あと、少し。あと少しだけ、終戦が早かったら。俺の隣には、平次っちがいたかもしれない。同じように治療を受けて、お互い生き残ったな、って言って笑いあってたのかも。ぼろぼろと零れる涙は止まらなくて。俺だけ。一緒に帰れない戦友の名前をいつまでも呼び続けていた。


黄瀬涼太 / 元に戻りゆく世界と隣の空席


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