あなたの遺したこの世界
「青峰」
「おー」
青峰は戦闘狂ではないが、腕前は隊一だ。そんなこいつを尊敬するし、憧れもちょっと混じっている。
「なぁ雷蔵。俺らって中々死なねぇな」
褐色の肌に透明な汗が伝う。特攻に入る前は敵軍の戦闘機の撃ち落し部隊に配属されていた。そこでも俺達は死ななかった。青峰と同じ空にいると妙な対抗心が沸いて奴より多く敵を落とす。それだけ考えていたら、お互い生きて帰ってくる。中々死なない俺達。
「そうだな」
「まぁ、それも今回きりだ」
言わんとしている事が、言葉なくとも伝わってきた。特攻隊は、その名の通り特攻が使命。敵の軍艦に体当たりするのが戦法。生存率0。シンプル過ぎて思わず青峰と鼻で笑ってやったら教官にぶん殴られた記憶がある。
「最後までよろしくな」
「上等だ、お前となら悪くねぇ」
肘同士をぶつけ合って、これから死ぬっていうのに全然恐くなかったんだ。青峰と一緒なら、大丈夫な気さえしたんだ。
「…どういう、ことだよ」
「…わかんねぇよ」
隊はまた更に細かく分けられて、俺と青峰は離れた。初めてのことだった。空軍に配属されてから一度も離れた事がなかった。多分、青峰の腕は良いから最後の方に持ってかれたんだろう。俺の出陣は、今日だ。
「…なんだよ…お前、先に逝くのかよ…なんだ、俺。手震えるんだけど、なんだこれ」
「青峰…」
「…逝くなよ、先に」
片方の手を押さえて青峰が呟いた。その時、集合の声が響いた。行かないと。
「…らしくねーじゃねーか青峰。敬意を込めて、見送ってくれよ…戦友」
ゴーグルを目元に下げた。薄汚れたレンズ越しで、青峰の頬から一筋光って落ちた。自分の旧型の戦闘機に乗り込んで大勢が手を振るその場所を見つめた。青峰は、呆然とこっちを見つめ返していて、だから、らしくないって。俺の前の機体が次々に空へと昇っていく。嗚呼。次、俺の番じゃないか。帽子と旗を振り回して、期待を込めて見送ってくれよ。他の皆みたいに。そんな顔しないで、俺の成功を祈って。きっと、当てて見せるから。そんな気持ちを込めて、最後の敬礼。
「青峰…さんきゅ、」
機体は上昇した。真っ黒い海はすべてを飲み込む化け物が口を開いて俺たちを待っているように見えた。どうしてだろう、青峰。お前が同じ空にいないだけでこんなにも俺は怖気づいている。あれほど感じていた高揚はどこかへいってしまったかのように。眼下には真っ黒な海に点々と白い敵の母艦がある。…今から、あれに突っ込む。日本が限界の状況なのはわかっていた。もしかしたら、俺が死んだ次の日くらいにでも戦争は終わるかもしれない。そうなれば…青峰は生きるだろう。それなら、それでいい。
「そうだな…そうなったら、俺を忘れてくれるなよ」
真っ直ぐ、真っ直ぐ降下する機体に無数の銀色が貫くように迫ってくる。黒い煙が点々と空に漂う。仲間の機体は砲撃を受けて無残にも化け物に呑まれていく。一矢報いるなら、この俺が。
「俺が、やってやる」
敵艦艇の横っ腹。次の瞬間には目の前が真っ白になって、何も見えなくなった。
雷蔵の機体が見えなくなって、雲の中に吸い込まれていった。本当なら、一緒に並ぶ筈だったのに。青峰は呆然と見送りながら、一歩一歩土を踏みしめて、止まった。残された。雷蔵に置いていかれた。特攻は燃料が片道分しかない。帰ることは決してない。もう二度と、会うことはない。それはとてもあっさりしたもので、今まで自分の側に居た存在は実は夢だったのではないかと思わせるほど。
「…畜生。震える」
今までの乱戦での高揚が嘘だったかのように、襲ってきたのは恐怖だった。そうか、俺は雷蔵がいたからここまでこれたのだ。
「勝手に…死ぬんじゃねーよ、雷蔵…!!!」
雷蔵の後に青峰が戦闘機に乗り込むことはなく。三時間後。戦争は終わりを告げた。
青峰大輝 / あなたの遺したこの世界