名誉だなんて思えない

「緑間真太郎医師でよろしいんですか?」
「………その呼び方やめろ大地」

喉を鳴らして笑いながら言う男に緑間は眉を寄せた。

「高尾から聞いたんだ、緑間が軍の第26師団の医師になったって」
「あいつ…」

あのお喋りな昔馴染みが頭の中で吹き出すように笑っているのが簡単に想像できた。

「……緑間」
「なんなのだよ」
「俺がやばい時は、救ってくれよ」

振り返れば大地が馬鹿笑いを引っ込めてもの悲し気な顔でこっちを向いていた。

「お前は殺しても死なないだろう」
「…そうだね」

その3日後、大地に赤紙が来たと知ったのは、緑間が本格的に師団として働く。戦争末期の頃だった。

「止血しろ!!!」
「薬を持って来てくれ!」
「帯が足りない!」
「はやく診てくれ!!」
「助けてくれ!」

そこには、もう血で溢れかえっていた。爆弾を受け、肌を焼き、風穴が空いた体を診るのはもう、何百回目だろう。

「怪我が酷い者から順に運ぶのだよ!!」
「緑間ァ!こっちに来てくれ!」
「今行く!」


「………」
「生きてる、?…お前」
「…生きてる」

陸が、ここまで敵軍に占領されているとは思わなかった。俺の隣にいる奴は同じ部隊。全滅した隊の生き残りだ。

「…お前、どうするんだ…これから」

赤い髪を頬に張り付かせて、端整な顔を歪ませている。

「…会わなければならない人がいるから…ここで、さよならだな…」
「……そか、そんじゃ…さよなら、だな…」
「お前…可能なら、師団に行け…ここから、あまり離れてはいないだろう」

俺の腹部の怪我を見て、彼はそう言った。

「…生きろよ」
「お前もな……」

赤色はフッと笑って森の中に消えた。彼はどこに行くつもりなのだろうか…それはわからなかった。腹に空いた穴から血がごぽりと呼吸をする度に吹き出した。

「あー……緑間…やばい」

頭がくらっくらしてきやがった。視界も霞みやがる。声を出して立ち上がる。ちくしょう、精一杯だ。

「貴方は敵ですか!!!?」

日本語…どっからどう見ても健全なる国民だろう。草叢の影から出て来たのは年若い少年だった。学徒出陣の者だということはすぐに分かった。

「俺は…味方だよ、…っ、」
「!…大丈夫ですか!」
「へへ、…もう無理だ…なぁお前、第26師団に…緑間真太郎…って奴がいるから、そいつに…伝えてくれないか」

少年は俺の命が長くないと悟ったのか、真摯な顔を向けた。…彼なら、伝えてくれるだろう。

「…はい、…っはい!伝えます!!!」



防空壕の中で日本兵が溢れ返っている。戦争が終結に向けて過激になって行く度に、その激戦を物語るかのように負傷者は夥しい数に増加していった。中には運び込まれ、早々に命を落とす者から四肢の欠陥を負ってくる者、マラリア感染もザラにいた。

「…緑間、さん」
「順に診る!待つのだよ!」
「緑間、」
「何人いると思ってる!そこに寝かせろ!」
「緑間真太郎!!!」

変声期が来たばかりのまだ少し高い少年の声に、眼鏡のブリッジを押し上げて、緑間は漸く顔を上げた。

「なんだ!」
「……大地さんに、頼まれて来た者です」
「……なに?」
「大地さんから!伝言です!!緑間真太郎さんに!伝えてくれ、と頼まれました!大地さんは!一言!言いました!」

一語一句、切るように、確実に伝えるように。防空壕中に響く声を張り上げた。

「"緑間真太郎医師!!ご健闘を!"」

緑間の頭のキャパシティは超えていた。なぜ。ここは戦場だ。なぜ。ここに大地がいる。なぜ。そんな一言、己で言いに来ない。少年は敬礼をして、狭い出入り口を駆け抜けて行った。

「…大地さんは!!軍人として!立派な最後を遂げました!!!…っ失礼します!」
「…………馬鹿め…」

最後の言葉で、もう十分だ。

「そう呼ぶなと、言ったろうが…!」

殺しても、死なないだと?死ぬに、決まってるだろうこんな場所じゃ…!!!悲しみに暮れる暇もなく、緑間はまた手を動かした。ただ一つ。死んだ兵士の代わりに、己が戦場で出来ることは、兵士の命を一人でも多く救うことだ。外が、どんなに夥しい死体で溢れていようと。運び込まれた兵士を、命を懸けて救うこと。俺が手を止めるのは、戦争が終わった時。

休んでる場合じゃない。泣いてる場合じゃ……ないのだよ。



緑間真太郎 / 名誉だなんて思えない


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