♂proof of life(赤司)


※♂×♂表現注意

「風冷たいですね」
「冬って感じだな」

窓を開ければ冷たい風が室内に入り込む。雪も静かに積もりつつある。その様子の音も微かに耳を澄ませば聴こえる。普段ならそんなものに耳を傾けることもなかっただろう。男主名前の耳にはこの雪の微かな音が、聴こえているのだろうか。隣を見れば窓から身を乗り出している彼の口から零れる息が白くなり、とても、寒そうだ。

「寒くないか?」

窓硝子に置かれた右手の指先は擦れて銀に光る。触れれば硬い鉄が剥き出しになっている。人間でいえば筋肉だろうか。アンドロイドの普及率が90%を超えた現代社会で、男主名前はアンドロイド旧型にあたる。赤司家には、彼よりも新型の高性能アンドロイドが控えているが僕は男主名前を側においた。どれだけ他のアンドロイドより性能が低かろうと、僕の隣は男主名前だけだ。幼い頃から僕の側に仕えていた。性能が低いからと今更変える必要はない。例えるなら、そう。兄弟を、変えろと言われてるようなもの。自分の兄や弟を、別の誰かに交換しろと言われてるようなもの。僕に兄弟はいないが、男主名前は僕の兄弟といってもいいだろう。

「いつ、芽吹きますかね」

男主名前は窓の近くに置かれた鉢植を見つめて言った。濃い茶色の髪が鼻先に掛かっている。

「さあ…でもこれから冬を迎えるから、まだまだだね」
「前の花は散ってしまいました」
「花は散り際まで美しいと聞く」

思えば、あの頃から。体の発熱なんて、アンドロイドの体であっても苦しかったろうに。……早く、気づけばよかった。気づいてあげれば、よかった。

「征十郎様のデータには、あの花の散り際がまだ残っていますか」
「あぁ。お前と見たものだ。ちゃんと記憶しているさ」
「征十郎様」

私のことも覚えていて下さいますか。

「…らしくないな。急にどうした?」
「私にもなにか残せるものはありませんか?」

アンドロイドの人工知能に悩みなんてものは存在しない。インプットされたことを忠実にこなしているだけに過ぎない。だが、こうやって男主名前の"人間らしい"ところを見ていると、やはりアンドロイドと一括りに出来ないものがある。長年の付き合いなら、なおさらだ。わかるんだ。

「私が生きた命の、証というものを」

アンドロイドに寿命はない。強いて言えば、パーツの老朽化だろうか。パーツは替えれば問題ないし、データもバックアップをとっていればリセットはされない。永遠に生き続けられる。…だが、それは人間と同じ、健康に生きられたらの話だ。

「…お前が生きた証は僕だ」
「…」
「お前がいなかったら僕は存在しなかったかもしれない」

勝ちに執着する"僕"。男主名前が、母が亡くなる前に居てくれていたら。もしかしたら、"僕"という存在は生まれなかったかもしれない。赤司征十郎は、1人だったかもしれない。

「僕が、お前の生きた証だ」

男主名前の顔が、なにも聞こえない筈の彼の顔が、優し気に綻んだ。



幾度目かの冬を越えて、花も散ってしまう頃。私は自分の胸に組み込まれているチップが焼け付くように熱くなるのを感じた。そういえば、この頃ボディが発熱することが増えた。バグだろうか。嗚呼、でも。この感覚はバグとは違うな…。もう、私が旧型過ぎて直せる人材も減ってしまっているから修理屋を探すのは困難だ。それに征十郎様は今忙しい時期だ。御家を継いだ征十郎様は恐ろしいほどに忙しく、今まさに事業拡大という大プロジェクトに取りかかっている真っ最中だ。そんな主人に、ボディが謎の発熱だなんて言ったら、優しい彼の事だから。きっと余計な負担をかけてしまうことになる。それだけは。仕える"物"として。絶対にできはしない。征十郎様は相変わらず旧型の私を使ってくれている。だけれど、本当なら早く私を捨てて新しいアンドロイドを購入すべきなのだ。天下の赤司家の社長がモデルとしても性能としても古い私をいつまでも使うのは、世間的にも問題がある。痛くも痒くもならない胸に左手を当てた。心臓の音はない。聴こえるのは、中で巡る機械達の忙しなく蠢く音だけ。

「私は」

もう征十郎様の元にいるべき存在ではない。世代交代が近づいてきている。あの発熱から3年が過ぎていた。耳の機能が低下した。眼の機能が低下した。征十郎様の声が、遠く感じる。姿に、ノイズがかかる。

「男主名前、聞いているか?今回のプロジェクトは僕が…」

ええ。ええ。聞こえていますとも。聞いて、いますとも。

「それは、素晴らしいですね」

私のプログラムに、感情プログラムはない。怒り、悲しみ、喜び。それらのデータは征十郎様の元に来た時から更新されなかった。なのに、何故。私は、彼の言葉を、彼の姿を、それらが目の前から消えそうになるのを。何故、恐れている?恐れるとは?そんなデータどこにもない。ない、筈なのに。

「それは、それは、素晴ら、しい…」

私はアンドロイド。違う。インプットされたことを忠実にこなす。違う。征十郎様の、アンドロイド。私は。嗚呼、嗚呼。なんていうことでしょう。やっと手に入れた気持ちというものを。やっと、気づけたのに。もう、限界が近づいてるなんて。



「男主名前、寒くないか?」
「……」

3年前、既に男主名前の身体は限界を迎えていた。耳の機能、眼の機能。辛うじて言語機能と四肢を動かすパーツは生きているらしい。僕の言葉すら、もう届いてはいない。すべてが、消えてしまった男主名前には、なにが残っているのだろうか。表情機能がない筈の彼に、笑顔が浮かべられていたことに驚いた。

「男主名前、雪だ」

せめて、感触があるのなら。男主名前は花が咲かないのが寂しいらしいが冬の雪は好きだった。幼い僕と、少しの自由時間で遊んだ時から雪が好きなのだと。僕と、楽しく遊べるからと。発熱で高温に達している身体をなんとか支えて、まだ誰も歩いていない高原は果てし無く白が続いていた。

「征十郎様」
「ん?」
「征十郎の記憶に、私が残らなくても。私のデータ…いえ、思い出には、いつでも貴方がいます」
「男主名前?」
「なんの取り柄もない旧型の私を今まで使って頂いて、」
「…男主名前、聞け」
「こうして、お時間割いてまで側に、いてくれて」
「聞いてくれ、」
「私に残せるものはないようです」

泣いてるような、そんな微笑。お前、泣いてるのか?

「征十郎様、最後に私の言葉、聞いて下さい、最後のお願いでございます」
「…、いいよ」
「征十郎様は、1人ではありません。奥方様が亡くなられた時もバスケットボールをしていた時も、貴方は、1人ではありません」

この先も、ずっと。

「私は、征十郎様のご友人に会ったことがありますから。わかります、知っています」

なんだ。それ。最後の言葉って、僕に、僕の。

「貴方のお側で仕えて、貴方の為に働けて、私は、……大変、幸せでした」

長い睫毛に雪が積もる。人工的な瞳がゆっくり細められる。薄い唇が、弧を描く。透けそうなほど白い頬に舞い降りる雪が、溶けなくなった時。彼の発熱が止んだことを知る。

「世界一、幸せなアンドロイドです。私の眼にはなにも見えません、耳はなにも聞こえません、ですが、貴方の笑顔だけは、消えません」

優しい優しい征十郎様。

「寂しくはありません。征十郎様。聞こえはしませんが、伝わっていますとも」

僕が、お前の生きた証だ。

「これが、本当に最後になります」

征十郎様。今まで、ありがとうございました。



「……素直に、寂しいと、言えばいいのに」

発熱が止んだだけではない。寒さで冷えただけではない。男主名前の、全機能が停止した証だった。お前の笑顔がもっと見たかった。もっと話をしたかった。もっと、もっと。一緒に、いてほしかったのに。

「嗚呼……雪は、嫌いだよ」
お前を連れていく雪なんて。


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