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08

放課後の図書室。いつもならもう少し賑やかな筈なのに、今日に限って人っこ一人いなかった。妙な静けさに無意識に警戒心を強めた。

背の高い本棚が並ぶ学園の図書室は民間の図書室に比べ、広く蔵書も多い。First nameはここが好きだった。ぐるりと一階を見渡すが、あのふざけた服装の男は見つからない。

上かな?

資料系ばかりが置いてある二階へ続く階段を上る。あまり二階へは言ったことはなかった。


「あ、First nameちゃん!よくここが分かったね」

「鳴海先生」


分かったねじゃないでしょ。

二階の奥まったところに鳴海はいた。そこは窓からの光も届かず薄暗い。


「で、何をすれば良いんですか?」


棚に並ぶ難しそうな背表紙に目を這わせながら聞く。


「んー、これの片付けお願いしようかなーって」


これと鳴海が指差した先にはごちゃごちゃと無惨に積み重ねられた本の山。


「……本が可哀想」

「え?」


私は反抗することもなく、そっと労わるように本を手にとった。そしてそれが戻るべき正しい場所へと帰していく。ただそのくり返しを黙々と続けた。鳴海はそんな私の姿を呆然と見つめていた。


「First nameちゃん、本当に本が好きなんだね」

「好きじゃないですよ」

「へ?」

「愛してるんです」


愛しい愛しい愛しい。美しくも儚く羅列された文字、絵。それら全てが芸術で私をこの世界から救い出してくれる。別の世界へと連れて行ってくれる。たとえそれが一時の幻想だとしても。


「ふーん、じゃあ芹生先生のことは?」

「……」


帰していた手が反射的に止まる。背中に刺さる視線を感じる。

あぁ、きっと今鳴海先生はいつもみたいなヘラヘラした顔じゃなくて、怖い顔で私を見据えている。

耳触りなほど鼓動が煩い。まだ本を掴んだままの手が震える。口内に溜まった唾を喉を鳴らして呑み込んだ後、そっと震える息を吐き出した。そして本から手を離した。


「何の、ことですか?」

「僕が何も知らないとでも?初等部校長のお気に入りのこの俺が」

「……ッ」


落ち着け、落ち着け、落ち着け。

頭の中で同じ言葉を何度も繰り返し、冷たい指をぐっと握りしめて意を決して振り返れば触れるぐらい近くに鳴海はいた。


「ねぇ、First nameちゃん。いや、Family nameFirst name。君の本当の姿を僕にも見せてよ」


あぁ、やばい。


「この、やろ……ッ」

「さすが危力。俺のアリスに抗うか」

「うる、さい……」


鳴海はフェロモンのアリスを発動していた。
男女問わず自分の虜にできるそのアリスは意識を奪っていく。


「さぁ、俺に見せて。君の本当の姿を」

「んあっ」


耳元で囁かれた声が耳から脳へと突き上がる。背筋に走った快感に思わず口から甘い吐息が漏れた。


「First nameちゃん?」

「いやっ!」


速まる鼓動にまるで彼との情事を思い起こされる。小刻みに震える指が鳴海を押し離した。が、その手は安安と鳴海に拘束されてしまった。


「へぇ、やっぱり君。あの芹生零とそういう関係なんだ」


じゃあ、君も呪われちゃってるの?


「お前!んっ!」


鳴海の言葉にカッと顔を挙げれば、唇に柔らかい何かが触れた。

え、あ、何。

何、何何何何何何何何、なに?

思考回路が上手く回らなくても身体は心はそれを拒絶していて嫌だ嫌だともがくいても手は拘束され、さらに十歳の身体じゃ大人の鳴海には何の意味もなさない。

長い口付けにようやく解放されれば、混乱していたせいかそれとも絶望していたせいか、簡単に鳴海のアリスに囚われた。


「大丈夫、君は気持ちいいだろう?」

「あ、あっ、んぁああ」


蛇のように滑り込んできたそれは口内を犯す。絡まり合うそれはいつもと違う感触に逃げ惑うのに捕らえられて離れることができない。

自分から漏れる甘い声に絶望した。


「ほら、早く」

「やっ、いや、れい、零……ッ」

「そんなにアレが良いの?君も変わってるね」


そう言って笑った鳴海の目は少しも笑っていなかった。無情にも鳴海はFirst nameの制服に手を掛ける。「はやくしないと恥ずかしい姿になっちゃうよ」なんて可笑しそうに言って。


「んあっ、あっ」

「ほら気持ち良さそうに喘いでないで良いから、早く君の本当の姿を見せて」

「んぁああ!」


胸の頂きを鳴海の歯が突き立てた時、走る快感とともに私のアリスは解けた。


「え、それが君の本当の姿?」


瞠目する鳴海・L・杏樹。動揺しているのか拘束されていた手は離された。後退る鳴海の踵が本に当たった。


「まだ、子どもじゃないか」


ずるりと床に落ちる身体。フェロモンにやられて力が入らない。

何だと思ったの?いったい何だと思ったの。もっと大人だと思った?もっとあなたに近いと思った?そうよ、どっちにしろ私はまだ、子どもなのよ。


「First nameちゃ……」

「触らないで!」


伸ばされた手を払う。涙塗れの顔で乱れた髪の隙間から意志の強い、そして儚い双眼が鳴海を睨みつけた。


「お前、嫌いだ」

「……ごめん」

「愛を奪われたあなたは、さぞ可哀想な人間なんでしょうね。あなたなんかが彼を侮辱しないで!あの人は!零は!……」


あなたなんかより、よっぽど可哀想で人間らしい醜い呪われた化け物なのよ。

愛おしくて愛おしくて、いっそ一生に死んでしまいたいぐらい。

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