16
思い返せば長い月日がこの世界で経っていた。向こうの世界で一度死んでいるなんてそんなこと忘れてしまうほど、私に生をこの世界は教えてくれた。
向こうの世界で知らなかった、家族、友情、そして誰か愛する想い。全てこの空の下で教えてもらった。幸せを感じられた。生きていたいと、明ける朝を待ち遠しいと感じられた。
だから、後悔なんてしてない。人生が甘くないことなんて知ってる。だから、だから、だけど。
「クロコダイルー!出て来いー!」
店内に響いた声。いつもと変わらないコインの音に混じったそれに私は眉を顰めた。
「副支配人、変なやつらが店内で!」
副支配人にはちらりと私を見た。私は溜め息を吐き小さく首を振る。
「警備で始末をつけろ。こんなことで騒ぎにするな」
「は、はい!」
私は出ないという意思を分かってくれた副支配人に感謝する。
「風さん、お騒がせしてます」
「いいですよ、別に」
「風さん?何だか今日は……」
副支配人の言葉は遮られた。
「困ります!お客様、当店は政府関係者は立ち入り禁止に……!」
「風さん!奥に……」
慌てたように私を見た副支配人は瞠目した。既に私が立ち上がっていたからか、それとも私が今笑っているからだろうか。
「か、ぜ、さん?」
「副支配人、今までお世話になりました。感謝してます」
副支配人が我に返り手を伸ばした時、既に私は風となり姿を消していた。残った微風に副支配人は背筋を伸ばし、ゆっくりと頭を下げた。
「……ッ!」
風に混じった雨に気づかれなかっただろうか。あぁ、どうしよう。雨が止まない。
秘密地下へと真っ直ぐ向かうつもりだったのに、突然降り注いだ雨に私は彼の自室へと駆け込んだ。
「あ、あ、あぁああああ!」
きっと今後、クロコダイルは彼らと対面しているだろう。良いよね?誰もいないもの。誰も聞いてないもの。良いよね?声をあげて泣いたって。
「あぁああああ!」
お願い神様。狡いよね。わかってるよ。狡いことなんて。でも、お願い神様。時間を止めて。
「お願い!もう少し!もう少し!」
誰に向って叫んでるの?誰に向って祈ってるの?これ以上、神に何を願うの?
狡いよね、新たな人生をもらったくせに。与えられればそれ以上のものがどんどん欲しくなる。人間はなんて欲深いんだろう。
「あ、あ、……ッ」
止めどなく流れる涙を強く拭った。瞼を閉じて小さく息を吐く。次に目を開けた時、私はまた新たな世界を生きるんだ。大丈夫、笑って、私。私は強くなったんだから。
「クロコダイルさん」
愛してます。
瞼を開ければ、すっかり見慣れた部屋。ここともお別れ。
「ありがとう」
ここで私は愛を育んだ。感謝してもしきれない。
「ばいばい」
新たな旅立ちをどうか見守って。何も持ってはいかないから。全て海へ還すから。[ 266/350 ][*prev] [next#]
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