13
明日、明日、明日、全てが終わるの?ねぇ、止められない?止められるわけない。彼の夢よ。彼の夢の邪魔をするというの?そんなのできるわけがない。その未来が別れの未来だとしても。
私は、そっとお腹に触れた。
「大丈夫よ」
お腹の子に言い聞かせるように囁く。違う、本当は大丈夫じゃない自分に思い込ませるために。
水槽から射し込む陽射しは穏やかに部屋を照らす。そっと、一つ一つの思い出を思い出すかのように触れる。
革張りのソファー。所々に付いた焦げ跡。彼が好む葉巻の灰が落ちた跡だ。ここに座ってロビンと彼とよくお茶をした。時には昼寝をしたり、彼に抱き締められたり、彼に抱かれたり。
重量感のある本棚。難しい本ばかり並んでいるから私が「読めない」と愚痴を零せば次の日には私でも読める小説や絵本が並べられていた。難しい本と一緒に並ぶ絵本。そのちぐはぐな感じが愛おしい。
そっと背表紙に触れれば、その本を読んでいた時の出来事をすぐに思い出せる。
彼の定位置である高級な椅子と執務机。アンティーク調のデザインが私も気に入っていた。背凭れに触れれば、彼の温もりが伝わってくるよう。いつも彼はここに座っていた。それが、いつの日か安心に変わっていた。
一度で良いから座ってみたくて彼のいない間に座ってみたら、想像以上に座り心地が良くてついつい時間を忘れてしまったら彼に見つかってしまって、そのまま抱かれてしまったり。
思い出すのは戦いとか争いとか、そんなのには遠く縁のない穏やか日常ばかり。それじゃ駄目だったのかな?それだけじゃ駄目なのかな?
きっと明日には彼の香りに包まれたこの部屋も、何度もカラダを重ねたこのベッドも全部全部、全部、この深い深い湖に沈んでしまうんだ。せめて、この切ない思いを、この愛しい想いを沈ませぬように。
「First name?」
心を締め付けるように胸元を掴んで込み上げてくる涙を堪えていれば、不意に名前を呼ばれる。
「あ、クロコダイルさん。会議は終わったんですか?さっきは邪魔してごめんなさ……ッ」
全てを言い終える前に砂に身を包まれていた。
「てめぇ、何つー顔してんだよ」
「あはは、酷い。クロコダイルさん」
笑い声を出してみてもきっとこの心の動揺は彼にばれている。
「First name」
「クロコダイル、さん」
背中から私を覆うように抱き締めている彼を見上げ彼の名前を呟いた。この瞳に映るのは彼だけ。他のものなんか写したくない。今だけは彼だけを見ていたい。
「First name……ッ」
切羽詰まったように私の名を呼んだ彼はそのまま貪るように私の唇に噛み付いた。私の名を音にするそれが、私を求めるように私に注がれる。この幸せをなんて言葉にしよう。
言葉になんかに表すことのできないほどの幸せを教えてくれたあなたに、最期の時は感謝の言葉を告げよう。
そう心に誓った。[ 263/350 ][*prev] [next#]
[目次]
[栞]