04
ヘルの引きこもりは三日続いた。さすがに、父上にまで心配され医師を呼ぶか?なんて言われた日には出て行かないわけにはいかない。
「お姉様!?」
談笑していたアフロディーナが逸早く気付き、顔中を綻ばせ駆け寄ってきた。
「お身体は大丈夫なの?」
「えぇ、すっかり。さすがに寝すぎたかしら」
「まぁ、お姉様ったら」
いつもなら煩わしく感じる絡んでくる腕も今は心地良い。
「良かったです、ヘル。私たちは今日自国へ戻る予定だったので」
アトラスがベラトリクスと顔を見合わせながら言った。
「そう、今度はそっちに遊びに行くわ」
「えぇ、お待ちしています」
「その時は、剣の腕を磨いておいてよね」
「ベラ!お姉様にそんな野蛮なことをさせないで!」
ベラトリクスの言葉にアフロディーナがヘルの腕に絡ませた腕を一層抱き締めて頬を膨らませた。
「あら、ディナには求めてないから心配しなくて良いのよ」
「そういうことじゃなくて!」
ベラにからかわれているアフロディーナを愛おしそうに見つめているキースを呆れた顔で見ていれば目が合った。
「何だい、ヘル?僕はまだ帰らないよ」
「一国の王子が執務を疎かにしてよろしいのかしら?」
「あはは、僕はまだまだ政には必要ないさ」
嘘を吐け。その甘いフェイスの下で腹黒いことを考えていることを私は知っているぞ。
ふと、一人足りないことに気付く。嘘、最初からヘルは気付いていた。
「あぁ、シリウスならとっくに南へと帰ったよ」
「……そう」
「やっぱり、君が引きこもっていたのは彼が原因かな?」
「……知った風な口をきかないで」
あぁ、そうだ。私はキースのこの顔が嫌いだ。綺麗な顔でその下は真っ黒だ。綺麗な顔で平気で人の心を乱す。
幼い頃からそうだった。キースの目にはいつだってアフロディーナしか映っていない。キースがヘルのに向ける視線は城の人間や民が向ける目と同じ目だった。いや、それよりもっと……。
「何を怯えているんだい?」
「……ッ」
「キース」
本能が逃げろと言った。警鐘が鳴り響いた時、アトラスが咎めるようにキースの名を呼ぶ。
「……、はっ、冗談さ。アトラス、そう怖い顔をするな。ヘルがいけない。ヘルが引きこもっている間、アフロディーナに寂しい思いをさせたんだから」
「私は、君のそういうところが好きじゃない」
「へぇ?」
「君はいつだって君のことしか考えていないのだから」
「当たり前だろ?俺は一国の王になるんだ。アトラス、君とは違ってね」
「いい加減にして」
強い口調で口を挟んだのはヘルではなくベラトリクス。ハラハラしているアフロディーナの隣で鋭い目をキースに向けている。
「アトラス、帰りましょう。馬鹿みたいに嫉妬に狂ってる男の相手なんてしてられないわ」
「嫉妬?この僕が?いったい、何に?」
演技がかったキースなどもう相手にする気もないベラトリクスはアトラスの手を引く。
「それじゃあ、ヘル。楽しみにしてるわね。あ、紅茶も淹れてあげるから。ディナ、あなたには美味しい焼き菓子を教えてあげるわね」
キースに向けた顔とは一変して、いつものお姐さんみたいに笑うベラにヘルもアフロディーナもどんな顔をすれば良いのか分からなかった。
「おい、待てよ」
「……ッ」
それが癪に触ったのか、キースがベラの腕を強く掴む。いくらベラが剣技の得意な王女といっても男の力には敵わない。痛みに歪んだ顔にアトラスが反応する。
「キース!ベラに触れるな!」
キースの手からベラトリクスを奪い返し、自分の背に隠す。
「アトラス、心配しないで。大丈夫よ」
大丈夫と言ったベラの腕にはくっきりと赤い手形が残っていた。どれだけ強く掴まれたのだろう。
アフロディーナが困惑と怯えの混じえた表情でヘルの背へと隠れた。それを見たキースは、ようやく我に返ったようで力を抜いたように体をソファに沈めた。
「すまない、ベラ」
「いいえ、大丈夫よ私は。あなたは大丈夫?キース」
「僕?僕は駄目さ。ディーナが傍にいないと頭がおかしくなる」
目を隠すように片手で覆ったキース。隠れていない口元が自嘲に歪む。
「ディナ」
「……お姉様」
「キースの傍にいてあげて」
「……」
戸惑ったようにキースとヘルを見比べた後、アフロディーナは恐る恐るキースに近付き、その足下に寄り添った。だらりと垂れた手をそっと包み込んで。
「キース」
「アフロディーナ、僕を嫌いになったかい?」
「いいえ、私があなたを嫌いになることは決してないわ。たとえ、世界中があなたの敵になったとしても」
真っ直ぐはっきりとした口調で紡いだ言葉にキース瞠目し、泣きそうに綺麗な顔を歪めた後、小さく、本当に小さく「ありがとう」と紡いだ。
ヘルは凛としたアフロディーナの横顔を見つめた。いつの間にか女の顔になったアフロディーナ。そこには純粋で無邪気な顔など欠片も残ってはいなかった。[ 33/46 ][*prev] [next#]
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