06
突き刺すような寒さ、撫でるような風。
その狭間でシリウスは手を伸ばしていた。その手は何を求めていたのか誰に触れようとしたのか、その意図は自身さえ知らず。ただ、その手を下ろしてしまったら、もう二度と太陽を見上げられない気がして必死に、必死に伸ばした。
風の隙間に漆黒の髪と、紫紺の瞳を見た気がした。
「ヘル!?」
霞む視界に映るのは眠る前に見たのと同じ天井。そして何かを掴むように伸ばされた自分の手。しかし、その手は何も掴むことができなかったようだ。
胸騒ぎがした。乱れた呼吸の意味を考えることもせず、隣を見ればそこに彼女の姿はない。天井に伸ばしていた手でシーツに触れればそこには温もりさえ残ってはいなかった。冷たい感触が不安を煽る。
「ヘル?」
何を焦っているんだ。
自分のことなのに自分の今の焦りを理解できないことが苛立ちとなる。部屋を探したが姿はない。
自分よりも先に起きるなど珍しい。ただそれだけのことなのに、何でこんなにも……。
過ごし慣れた彼女の部屋で佇む。
違和感。
眉間に皺を刻み、探るように部屋をゆっくりと見渡す。そしてシリウスは部屋を飛び出した。
城内は鎮まり返っている。
おかしい。何がおかしい?まだ日が昇る前、静かなのは当たり前だ。いや、この時間ならばもう下働きの者たちが動き回っているのではないのか?
不鮮明な違和感に、自然と腰を探るが剣は部屋に置いてきてしまったまま。戻るか?いや、それよりも……。
渡り廊下を渡っている最中、太陽が顔を出した。
眩しさに一瞬、目が眩んだ。
「……」
そして、全てを忘れた。
呆気ないほど簡単に。忘れたということさえ分からぬままに。
記憶とは、なんて儚く、脆く、残酷なものなのだろうか。
「ここで何をしている?」
「オーディン陛下」
「もう一度聞く、ここで何をしていた?」
「……いえ、特に……」
シリウスは答えることができなかった。何故ならシリウス自身ここで何をしていたのか分からなかったのだから。
オーディン王からはいつもの穏やかな気配が消えている。普段のシリウスならば、そのことに何か起こったのだということに気付いたはずだが、今のシリウスはそこまで考えることができなかった。
ふわふわする違和感を抱いたことすら忘れ、時は刻まれていくのだった。[ 28/46 ][*prev] [next#]
[目次]
[栞]