09
闇色ウルフ。
最近、東の森に現れる狼の頭の通り名だということはヘルの耳にも入ってきていた。森を抜ける人間を襲うこともあり、朝日昇る春風の東国では問題になっているようだった。
「アトラス、レグルスはどうだ?」
「矢は深く刺さってはいなかったです。大事な血管も切れてはいないし、簡単な治癒で治せそうですね」
キースの言葉に応えながらアトラスは袖を捲った。そして手を重ね傷口に翳すと治癒の呪文を唱えた。簡単な治癒といっても治癒関連の呪文は高度なもので使える者は数えるほどだ。この歳で使えるのはどこの国を探してもアトラスしかいないだろう。
「レグルス?大丈夫?」
ヘルは涙を浮かべんばかりに眉を下げながら獅子のつぶらな瞳を見つめていた。心配で心配で胸が張り裂けそうだった。
ヘルにとってレグルスは大きな存在であった。双子のディナが自分の片割れであれば、レグルスはヘル自身ともいえる存在なのだ。
「キース、矢を見ろ」
一人離れたところで木に背を預けていたシリウスの視線の先には地に投げ捨てられていた矢が映っていた。
キースは片膝を付き、その矢を慎重に手に取った。矢羽根を見たキースの顔は強張った。
「これは……」
「ふぅ、どうです?レグルス。だいぶ楽になったでしょう」
「すまない、若き癒者」
「いえ、このくらい大したことではありません」
レグルスの傷は綺麗に消えていた。ヘルは、ほっと胸を撫で下ろす。ようやく張り詰めていた糸が切れた。
「ヘル、もう行くのだ」
「え」
「日が沈めば、闇が動きだす」
獅子は天を仰いだ。
空は赤く染まってきていた。
「でも、レグルス、私はまだ……」
「行け」
「……ッ」
低く唸られれば、どんなに愛しい相手であっても怯んでしまう。それだけ獅子の覇気は恐ろしい。
「ヘル」
「シリウス……」
獅子の傍から離れられずにいるヘルの腕をシリウスが掴み、そのまま引き上げた。
「シリウス、ヘルを」
「あぁ」
嫌だ嫌だと駄々をこねるヘルを抱きかかえシリウスは黒馬に跨った。
「嫌!下ろして!レグルス!レグルス!」
伸ばしたヘルの手は獅子に届くことはなかった。[ 11/46 ][*prev] [next#]
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