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不変など、生き地獄である

或る晴れた日の昼下がり、真っ白なシーツは気持ちよさそうに靡き、青々とした草花は太陽に照らされ、流れる川のせせらぎが和をかたどっていた。


「あるじさま、今日も良いお天気ですよ。歌仙様が洗濯物がよく乾くと喜んでいました。今日は野花をお土産に持ってきました。薄桃色が桜のようで美しかったので、ぜひあるじさまにも見て頂きたくて.....。あるじさま、こちらにおいておきますね」


縁側に続く障子の前に、そっと可憐な野花をたむける。畳の上をころりと転がった野花。そのうち風に吹かれてどこかへ行ってしまうだろう。


「五虎退、ここにいたのか」

「薬研兄さん」

「第二部隊の連中が帰還したのに、お前の姿がなかったから心配した」

「すみません」


すまなそうに項垂れる五虎退に、薬研は仕方が無いなと息を吐く。ふと、畳に転がった花が目についた。あぁ、この弟はまた。


「報告が済んだら、来いよ?一兄にも顔を見せてやれ」

「あ、はい!」


薬研の姿を見送り、再び主に体を向ける。すると、主の上に乗っかる五匹の虎にギョッとする。


「と、虎くん!だめですよ!」


わたわたと手を伸ばせば、それを嘲笑うかのようにヒョイヒョイと手をすり抜けて逃げていく虎たち。「もう」と小さく零し、虎らに乗られても一向に目覚める気配のない主の顔を見つめた。

前任の審神者がいなくなり、この本丸の刀剣男士一同は人の子らを信じるに値する存在ではないと否定した。が、人の子らは実に欲深く本霊に還すことを許さぬばかりか、懲りずにも新たな審神者を送り込んできた。傷付いた刀剣男士たちをまだ扱き使う気なのかと、荒い性分の男士たちが自身を握り立ち上がった。それももう随分と前の話である。


「あるじさま」


五虎退の目前で横たわるのは、人の子。この本丸の審神者である。だが、五虎退はこの審神者が動いたところも話すところも、ましてや目を開けたところすら見たことがなかった。


「声を、声をお聞かせ下さい」


それでも五虎退は、この審神者のことをよく知っていた。本丸中を包み込む霊力、そして今自身の体内を血流とともに巡る、彼女の霊力。それが、全てを物語っていた。


「貴女様は、どんな声をしているのですか?どんな風に話すのですか.....ッ、どんな風に、どんな風に笑うのですか」


静まり返った部屋には、震える五虎退の嗚咽と悲しげに鳴く虎の声だけがした。





夕暮れ時、この時間には必ず現れる刀剣男士がいた。


「粟田口の短刀がまた参ったのか」


誰かは分からぬが、主の傍らに花をたむけるなど彼らのうちの誰かである。短刀らは、度々来ては今日の出来事を話していると言っていた。今剣はそんなことをしても虚しいだけだと言っていたが、粟田口の短刀らの気持ちも分からなくはない。

立派な体躯を持つ刀剣男士が、審神者の傍らにどかりと腰を下ろした。


「よい風だ」


縁側から入ってくる風に頬を緩ませ目を細める。


「なぁ、そう思わないか?人の子よ」


もはや当たり前のように返事はない。だが、この大柄な刀剣男士、岩融は語り掛けることをやめはしなかった。


「冷たい風は体に障る。名残惜しいが、そろそろ閉めようか」


見た目通り豪胆な性格を持つ岩融だが、審神者を見つめる眼差しも、掛ける声色も穏やかであった。


「そなたも寒くはないか?」


そう声を掛けたのは審神者の傍らで座布団の上にお行儀良く座る管狐にである。こちらもまた返事はない。岩融は、この狐を気に入っていた。無機質なそれの凛とした佇まいから、主の側から片時も離れはしないという意志が伝わってくるのだ。弁慶の死に様のように勇ましいではないか。


「ならば良い」


岩融には声が聞こえているようだった。いつかこの狐とも、そして人の子とも、言葉を交わせる日が来るのだろうか。


「なぁ、人の子よ。今日も今日とて変わらぬ日々ぞ。不変を飽いたと言うのは傲慢だと言う者もあるようだが、こうも毎日だとさすがの俺も」


飽いたぞ。

岩融は、色の抜けた審神者の髪を梳くように撫でた。さらさらと指の隙間から零れ落ちる様は、まるで自分には彼女を繋ぎ止めることができないと言われているようだった。

あの日、刀剣男士らは一方的に無慈悲な霊力を注がれた。頭が可笑しくなるかと思った。恋しくて恋しくて恋しくて、苦しくて、切なくて、寂しくて、愛おしい。そんな感情が爆発したかのように。





「な!?なんですか、これは!?」

「くっ、凄まじい霊力です」

「兄貴!これ!?」


逸早く感じ取ったのは御神刀である石切丸、太郎太刀、次郎太刀であった。何事かとざわついた瞬間、他の刀剣男士たちもそれに気づく。


「すごい、気持ちいい」

「みるみるうちに綺麗になります」


最初は喜んでいた短刀たちの顔色もみるみるうちに青くなる。


「これは、少しばかり多いね」

「少しどころではない!まだ送られ続けているぞ!?」

「これじゃあ、送り主の命が」


誰かの言葉に、一同がハッとした。

「どこから送られてる?」「誰が送っている?」戸惑う声が飛び交う、だが彼らは既に分かっていた。だって、そんなの一人しかいない。

「あの審神者か」そう言ったのは、唯一審神者と言葉を交わした刀剣男士、三日月宗近であった。

岩融は胸がざわりとした。ざらついた舌で舐められたかのような、不快感と不安で思わず胸元を握り締めた。

あぁ、なんとも残酷な感情だろうか。温かすぎる、優しすぎる、心地よすぎる。それでいて、苦しい。これは、このようなものは、どんな毒よりも毒だ。

岩融は、無意識に求めた。探していた。知りたかった。知って、言ってやりたかった。こんな、一方的なものを愛だというのかと。これが優しさだと、癒しだというのかと。こんなもの要らないと。ならば、俺の.....。


「岩融、どこへゆくのですか?」

「送り主の生命が消える前に止めなければ」

「な、何をいってるのですか!たすけるというのですか!?これは、このれいりょくは、さにわのものですよ!岩融を、あなたをきずつけたものですよ!?」

「俺を傷付けたのは、別の審神者であろう?」


岩融の着物に縋り行かせまいとする今剣に、岩融は細い眉を下げた。


「おなじです!さにわなど!誰もおなじです!さにわのいのちなど」

「今剣!」


それ以上は、今剣の口からは聞きたくなかった。主の命を、人の子の命を誰よりも悔いていたこの短刀の口からそのような言葉は聞きたくなかった。


「今剣よ、そなたは感じないか?この霊力は温かいなぁ。前任は愚かな人の子であった。だが、この人の子の霊力からは温かさしか、優しさしか伝わってこない。だが、同時に俺はとても苦しい。一方的過ぎて、胸が苦しい。諦めを感じる。愛されることはないが、そんなことは関係ないと。それがなんだと。それでも、自分は愛すると。それが、俺は苦しい」

「岩融」

「俺の主であった弁慶は、源義経を護らんと最期の時まで弓を浴び、仁王立ちのまま息を引き取った。この先は通さんと貫いた強い心の弁慶を敵も味方も関係なく、天晴れだと賞賛した。弁慶は、義経を愛していたのだ。愛のために、己を貫いたのだ。そんな男の相棒でいられたことを俺は誇りに思っている。だか、だかな今剣よ。その実、俺はもっと一緒にいたかったんだ。一緒に生きたかった。ずっと傍にいたかった。無様でも良い、俺が、俺だけは弁慶の強さを知っている。義経を連れ逃げて欲しかった。逃げて、生き抜いて欲しかった。愛しているのならば、盾になることを選ばす、手を取り背を向けても良かったのに、そう思ってならないのだ。薄情な相棒だな、俺は」

「そんな」

「温かいのに、こんなにも温かいのに、なんでこんなにも寂しいんだろうなぁ」


なんで、助けてと泣き叫んでおらんのだろうなぁ。

岩融は、豪胆には程遠い儚く美しい微笑を携えていた。


「岩融」


するりと今剣の手が離れていった。もう、岩融は今剣を見てはいなかった。霊力を手繰り寄せるように、その先しか見てはいなかった。


「やめてくれ!もういらない!もういらないから!」

「やめろ、やめろ.....ッ」

「やめてください!もういりません!もういりませんから!」

「う、あぁぁ」

「やだ、なんで、なんで僕涙が」

「苦しいよ、こんなに温かいのに、苦しいよ」

「おやめください、どうか.....ッ」


刀剣男士らは懇願した。刀剣男士らは、知った。否、知っていたんだ。思い出したんだ。人の子の真の強さを。我らの主たちは皆、強かったじゃないか。信念の塊。正義か悪か、そんなもの捨て置けとばかりに、自らの信念を貫き、自らの大切なものを護るために自ら立ち上がり、勇ましく我らを手に取り戦っていたではないか。そんな人の子らを我らが一番知っているじゃないか。

人の子は愚かであり、弱く、それでいて強い存在であると、だから、我ら刀剣は神に成ったんじゃないか。


「ここにおったのか」


岩融が辿り着いた部屋からは、微かに霊力の残存が感じる。半開きの襖に手を掛け音もなく引けば、ソファーに横たわる人の子が目に入った。足早に近付き、その傍らに膝を付く。そっと頬を寄せれば吐息が掛かった。

良かった、生きていると岩融は安堵する。


「おい、ある......人の子よ」


この女子を主と呼んで良いものかと口を噤んだ。前任とも、弁慶とも違い、目前で横たわる姿は実に弱気者であった。

幾度か声を掛けるが、うんともすんとも言わない。少し乱暴に肩を揺すってみても反応はない。おかしい、岩融はすぐに思った。


「どういうことだ」


眉を寄せて審神者を見つめる。ふと気付く。やはり、おかしい。あんなにも膨大な霊力を惜しみなく注いでいたのに、目前の人の子からは何も感じないのだ。何も、感じない?

岩融は、瞠目した。

霊力の枯渇。岩融は、慌てて審神者に手を当てた。迷いはなかった。今にも途切れてしまいそうな細い糸のような霊力を感じ、そこに自身の霊力を練り込む。

一向に醒さない目も、浅い息遣いも、まさに生を手放す直前であったのだ。


「顔も見たことのない我らのために生を捨てるというのか!?愚か者め!そんなこと、この岩融が許さぬぞ!」

「な、何をしているのですか!?」


今剣を筆頭に駆け付けた刀剣男士らが、絶句する。神気の譲渡、その意味を知らぬわけではない。


「この人の子は、顔すら知らぬ我らのために自らの霊力を使い切り死のうとしているのだ!我らを助けるためなどと.....ッ、そんな自己満足で自害することなど!俺は認めない!」


叫ぶ岩融の瞳には微かに涙が滲んでいた。刀剣男士らは、岩融の圧に押し黙り、ただただ人の子がこちら側に戻ってくるのを待つしかなかった。


「.....ッ」

「岩融!だいじょうぶですか!?」


苦しげな顔で脱力した岩融の元に今剣が駆け寄る。


「あぁ、もう大丈夫だ。ははっ、逝きたいという者を繋ぎ止めるのは実に根気がいるのであるな」


からからと笑う岩融に、今剣は仕方ないなと漸く口元を緩めた。


「岩融、ばかですね」

「あぁ、俺は莫迦者だな」


がはははは!と豪胆な岩融の笑い声が響く部屋に、春風とともに桜の香りが運ばれてきた。

誰かがお腹が減ったと言えば、誰かが料理をしようと立ち上がった。誰かが食材がないなと頭を悩ませたら、誰かが田畑へと足を向けた。金子がないなと零せば、誰かが共に出陣する者はいないかと声を上げた。こうして、少しずつ、少しずつだが、この本丸は息を吹き返していった。

本丸のどこからでも見ることができる神木である桜が、耐えることなく花弁を芽吹き、見守っていた。





「岩融、あ、やっぱりここにいたんですね。燭台切が、ごはんだとよんでいますよ」

「あぁ、今行く」


そう言ったものの一向に腰を上げようとしない岩融の元に今剣が近寄る。


「人の子はまだ目覚めぬのですか?」

「そうさなぁ」

「.....さみしいですか?」

「今剣」

「まだ、ここはくるしいですか?」


今剣の小さな手のひらが、岩融の胸に当てられた。


「そうさなぁ」


岩融は困ったように笑うだけで何も語らなかった。

寂しいに決まっている、苦しいに決まっている。岩融は、この人の子に神気を分け与えたのだ。岩融にとって、この人の子は何よりも誰よりも、特別な存在になったのだから。


「なぁ、今剣よ」


この世は、地獄よのぉ。




不変など、生き地獄である
(ただ息をして、生きをして、そこにあるのは生といえるのだろうか。話すこともできない、笑うこともできない、ただ流動的にその時がくるのを待っているのは、生きているというの?)




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