弍
五虎退の首元にはいつもの紺色のタイではなく、赤いリボンが揺れていた。そして引き連れている虎たちのリボンも赤になっている。
「五虎退、緊張してるの?」
「か、加州さん。僕、他所の本丸さんに来たの初めてで」
「いや、それ俺もだからね」
「あ、そ、そうでしたね」
へらりと笑う五虎退。だが、この儚げな短刀でさえ自分よりも格段に強いということを加州清光は既に知っていた。
「その赤いリボン可愛いね、似合ってる」
「ありがとうございます!加州さんとお揃いですね!」
確かに、加州の爪紅とよく似た色であった。出立前、いつもと違う姿に加州が尋ねたところ、何でも他所の本丸にも五虎退がいたら混乱すると思い藤四郎兄弟らが考えてくれたらしい。それは、五匹の虎にも反映されている。
「ねぇ、主」
「なぁに?加州くん」
「ここには、加州清光もいるの?」
「さぁ、どうだろう?でも、うちよりも人数多いって言ってたからいるんじゃない?」
「ちょっとー、主もう少し情報収集とかしなよ。幸先不安なんだけど」
「お話の最中失礼します。加州清光様、この本丸にも加州清光様、それに五虎退様はおられますよ」
加州清光の疑問に答えたのは先頭を歩き案内している他所の本丸担当のこんのすけである。うちのと違って、少し小柄で白を基調とした管狐だ。
千本鳥居のゲートを潜り、既に他所の本丸に到着していた審神者と二振りは、この白いこんのすけに案内され、この本丸の初期刀に会いに審神者の私室へと向かっていた。
本丸内は、うちの本丸と変わらず日本庭園さながらであるが、確かに別場所であった。
「じゃあ、加州くんも赤いリボン頭につける?」
「はぁ?さすがにそれはちょっと可愛くなりすぎ、って、ちょっ、主なにを!?」
急に立ち止まった審神者に、数歩控えて歩いていた加州も必然的に足を止める。審神者は、おもむろに加州の髪を留めている紐を外すと、自分の髪を留めていた赤い髪紐を外して加州の髪を結った。
「これで、もっとお揃いになったね。五虎退」
「はい!あるじさま!」
にこにこと春のように笑い合う一人と一振りに、加州は開いた口が塞がらなかった。
ちょっ!安定ぁあああ!うちの主、超可愛いんだけどぉおおお!
「さて、到着しました」
襖の奥から出ている歪な負の気配に、春風を纏っていた五虎退の空気が豹変した。五匹の虎も臨戦態勢とばかりに毛を逆立てて審神者の周りを固めている。
この時、加州は主が何故五虎退を選んだのか理解した。要はこの五匹も戦力なのだ。
一方、白いこんのすけは五虎退の様変わりに驚愕していた。この本丸の五虎退はここまで.....そう、ここまで殺意を顕にしたことはない。否、この様な殺気を見に纏えるかさえ怪しい。白いこんのすけは一匹、納得していた。政府からの資料の内容に。これが、噂の黒百合部隊か、と。
「五虎退、虎くんたちも大丈夫。ほら、加州くんは落ち着いてるよ?」
「え?」
突然振られて加州は戸惑う。実のところ、白いこんのすけ同様に加州も驚き、なおかつビビっていたのだ。
「あ、すみません。僕、驚いちゃって」
いやいやいや、その豹変にこっちが驚きだから。鶴丸も吃驚だから、と心の中で加州は叫んだ。
「こんのすけ」
「あ、はい。では、お入り下さい」
中の者に声を掛けることもせず、審神者は言われた通り襖に手を掛けた。瞬間。目にも止まらぬ速さで事は起こり、終息した。
あぁ、やっぱり。
「痛かったら言って下さい」
うちの五虎退は、恐ろしい。
加州清光は身動き一つ出来ず、自分の情けなさを見ぬように、ゆっくりと瞼を下ろした。
一瞬のことだった。審神者が開いた襖の隙間から飛び出してきた影。それに逸早く反応し主と影の間に滑り込み、その影を抜刀の勢いで吹き飛ばし、そのまま畳に影を縫い付けるかの如く刃先を突き付けた、五虎退。
「はぁ、ちょっと一体何なの?主、大丈夫?」
「うん、全然平気」
言葉通り何事も無かったかのように入室す?審神者に「もう少し動揺してよ」と加州清光は愚痴をもらす。
「も、申し訳ありません!審神者様!」
「いいよ、こんのすけ。主の部屋に部外者が入ろうとしたら、そりゃうちの皆だって同じように斬りつけるだろうから」
平謝りする白いこんのすけに、さも当たり前のように答え、部屋の奥まで飛ばされて五虎退に今にも首を跳ねられそうな影、刀剣男士の元へと足を向ける。
「主、俺の背に」
審神者は頷き、加州の背に付いた。
「五虎退、大丈夫か?って、げぇ!?」
五虎退に呆気なく倒された刀剣男士は、加州清光だった。途端に気分の悪くなった加州は、頭を抱えた。
「あらま」
「ちょっ、主!さっきから反応が薄くない!?」
「長く生きると驚きもなくなるのよ」
「そんなこと言ったら、俺のが超長生きだからね!?主なんて、まだひよっ子だからね!?」
一気に緊張感の無くなった加州は「あー!もう!」と乱暴に言葉を吐き、刃先を突き付けたままの五虎退の肩に手を置いた。
「折りますか?」
「物騒なこと言うな!あー、離してやってくれ。自分と瓜二つの奴が刀突き付けられてるなんて、もう吐きそう」
五虎退は言われた通りに加州清光から下りた。殺気は霞もしていないが。
「加州さんとは違います」
「は?」
「加州さんは、僕たちのあるじさまを襲ったりしませんから」
「あー、うん。まぁ、そうなんだけど」
そう、はっきりと信頼を口に出して言われるとこそばゆい。
「加州清光様!一体どういうおつもりですか!」
コンコンと喚く白いこんのすけに一瞬自分のことかとビビるが、起き上がろうとしているこの本丸の加州清光だと知り、ホッと息を吐く。
体を起こした加州清光は、ゆっくりと顔を挙げた。その顔色は、土気色と表するのが一番だった。
「どういうつもり?ハッ、それはこっちの台詞なんだけど。なんで部外者がいるの」
「先日もご説明した通り、新たな審神者様でございます」
「新たな?」
「新たな!?ちょっとこんのすけ!うちの主は、繋ぎでしょ!?そこ間違えないでくれる!」
白いこんのすけの言葉に、そっくり反応した加州清光両名。加州の言葉に「そうでした」と咳払いし、話を始める。
「政府は、この本丸を撤去したくはないとお考えです。次の審神者が決定するまで審神者不在となりますと、本丸の老朽、腐敗、何より刀剣男士様たちの顕現に関わります。そのため、急遽繋ぎとして他所の本丸から審神者が派遣されたのです。それが、こちらの審神者様でございます。そして、こちらの五虎退様と加州清光様は審神者様の本丸におられる二振りでございます」
「.....壊れてしまえば良い」
「加州清光様」
「あの人のいない世界なんて!俺なんて!壊れて消えてしまえば良い!」
畳に額を擦り付けて泣きじゃくる加州清光。同じ加州清光でも、この光景には何か異様さを感じた。
「.....ダメね」
そう言って背を向けた主。
「さ、審神者様!まさか見限られるのですか!?政府の司令は」
「白こんのすけ、他の人はどこにいるの?」
「え?あ、広間に集まって頂いてますが」
「審神者の急死で手入れのできていない人たちもいるんでしょ?」
「あ!はい!そうなのです!負傷したままの刀剣男士様が数名おりまして」
「じゃあ、そっちを先にしよう。あの加州清光は見たところ負傷してるのは心だけみたいだし。ほっとく」
随分と冷めた人間だと、加州は思った。加州はまだ主のことをよく知らなかった。初めて主に会ったとき、次の主は若い女の子かなんて奇妙な感慨に浸っていたら安定に実は経歴の長い凄腕審神者だと教えられ、驚愕したのもまだ新しい記憶だ。
短刀たちと一緒に走り回って無邪気に遊んだと思えば、出陣の命を下す時は酷く表情が乏しくなったり。他の刀剣たちとおかずの取り合いしたと思えば、道場で真剣な面持ちで一緒に手合わせしてたり。
主に比べれば沖田くんは随分と分かりやすい人間だったと思う。
広間に向かう最中、ずっと気になっていたことを聞くことにした。何だか、今聞いておかないとこの先、色々と精神的にきつそうだと判断して。
「ねぇ、この本丸の主って何で亡くなったの?」
「気になる?」
「気になるっていうか、だってちょっと異様じゃない?俺らはさ、皆一度は主を失ってる。だから喪失感は分かるつもり。でも、さっきの加州清光はちょっと異様だった」
「.....ここの審神者はね、自殺したの」
「え」
「刀剣男士と恋仲だったんだって。その恋愛を成就?させるために自ら死んだんだって。成就はしなかったようだけど」
「恋仲って、え、何?その相手って」
「加州清光」
「.....主、それを知ってて俺を選んだの」
それはなんでも、ちょっと残酷だ。
「ごめん、加州くん。知らなかった。恋仲の相手なんて興味なくて。でも、あの様子だと、彼だったみたいだね。ごめんね。辛かったら、今からでも他の人に」
「帰らないよ」
「加州くん」
「俺は帰らない。傷一つ付けずに主を連れて帰るって粟田口兄弟と約束したし。それに、俺は新参者で、うちの本丸の刀剣男士たちには誰一人にも敵わないかもしれないけど、」
俺は、俺自身になんて負けないから。
「くすっ、なんかそういうところ大和守くんに似てるよねー」
「ちょっ!何それ!?安定とどこが似てるっていうのさ!俺の方が絶対可愛い!」
「いや、うちの天使は五虎退と小夜だから」
いやいやいやいや、あの五虎退見たら天使なんて遠のいたよ。てか、小夜左文字って。加州は、きゃははうふふな妄想したらがらりと豹変した二人。
「こっえ」
加州は思わず腕を抱えるように摩ったのだった。
◇
つまるところ、政府の人間は審神者の死なんてもの気にしてはいないのだ。所詮は代替品。それよりも、歴史修正主義者を倒すことのできる付喪神様を失うことの方が一大事なのだ。そのための緊急措置。審神者の、人間の命よりも神の命か。
それが善なのか悪なのか、私には分からないけれど。
広間には刀剣男士たちが待っていた。負傷し、手入れのされぬまま横になってる者もいるようだが、ざっとみたところ。確かにうちの本丸よりも多そうだ。見慣れない顔が幾つかある。
え、あ、あれって。
「うわ、三日月いる。三日月宗近。凄い三条揃ってるじゃん。すごいなー。あ、膝丸だ。うち髪切しかいないから、弟早く見つけてあげたいんだよねー。やっぱり家族は大事だもんねー」
ブツブツと刀剣男士らを見ながら考察していると、ふと一人の刀剣男士が立ち上がり前へ出てきた。
「清光?」
「え?」
呼ばれた本人は、戸惑っている。それもそのはず。
「清光、良かった!ずっと主の部屋から出てこないから心配したんだよ?ご飯食べる?お腹、減っただろう?」
相手は、大和守安定。清光を動揺させるには充分な相手だ。
私は否定しようと口を開いたが、それは清光本人に阻まれた。
「大和守安定、悪い。俺はここの加州清光じゃないよ」
「え?」
大和守安定は私を見、そしてもう一度加州を見て「ごめん」と呟き、顔を伏せたまま先程まで自分がいた場所へと戻って行った。
清光をちらりと見れば、切なげな顔をしていた。
早く終わらせて大和守くんに会わせてあげないと。
大和守安定が戻っていった周囲には見慣れた顔があった。堀川国広、和泉守兼定。
新選組衆か。彼らはどこでも一緒か。
変わらぬ姿に微笑ましく思う。その和に一人見知らぬ刀剣男士がいた。ダンダラ模様の羽織のがっしりとした刀剣男士だ。
もう一人いるんだ。
「主?」
「あ、ごめん。揃ってなかったんだって思って」
「揃って?」
「ううん、なんでも。それより手入れをしようか」
「その前に審神者様のご紹介でございます」
三人の前にお行儀よく座った白こんのすけは、尻尾を揺らして話始めた。
「刀剣男士皆々様、こちらのお方は他所本丸の審神者様でございます。先日お話した通り、負傷の手入れ、本丸の霊力保持のためいらして頂きました。次の審神者が正式に決定するまでの間、こちらに支援していただ」
「私は認めませぬ!主はお一人!主亡きあと、刀に戻ることも許されぬとは何たる侮辱か!」
白こんのすけの話を遮り声を荒らげたのは、へし切長谷部だった。それを口火に、刀剣男士各々が主張する。短刀らは、まだ主死亡を受け入れていないのか、涙する者もいた。
随分と信頼の厚い審神者だったんだな。加州清光と恋仲だったと聞いたから、加州清光だけを可愛がっていたんだと思ったけど、そうでもなかったようだ。
これは、ちょっと想像してたのと違うな。
「審神者殿」
「.....はい、薬研藤四郎様」
私に向かって最初に声を掛けたのは薬研藤四郎だった。いつも「大将!」と呼んでくれるのに、同じ顔に他人のように呼ばれるのは、少し胸が痛い。それを察したのか、五虎退がそっと手に触れてきた。
うん、大丈夫だよ。
「わざわざ足を運んでもらって悪いな。俺たちは確かに前主を亡くし、こうして今の世に顕現されて新たな主を得た。ならば、またと思うだろうが。そう簡単にはいかないんだ。次の主を受け入れるために何百年、何千年もの時間が必要だったんだ。だから、悪いな審神者殿」
悲しげに笑う薬研藤四郎に、私は苦笑いを浮かべる。これもまた、困ったものだ。あぁ、どこの薬研藤四郎も男前らしい。なんだかやっぱり想像と違うじゃないか。困った困った。
「刀剣男士様、皆様のお心はわかりました」
「審神者様!?」
白こんのすけがギョッとして跳ねたのを、虎らが飛びかかり妨害する。
「私はここの審神者ではありません。私は貴方がたの主ではありません。なので、私は貴方がたに命令はできません。そもそも、人間が神に命じるなんて愚かなことだと思っております」
「だが、あんたも審神者だ。自分の本丸にいる刀剣男士らには命令してんだろ?」
「和泉守兼定様。私の本丸にも貴方がいます。うちにいる和泉守くんは、それはそれは面倒臭がり屋さんで、いつも堀川くんに追っかけ回されてるんです」
その光景を思い出し、思わずくすりと笑ってしまう。
「で、どこからか拝借したお団子を持ってよく私と一緒にお茶をするんです」
「あー、よくわからねーんだが」
意図が読めず、がりがりと頭を掻く和泉守兼定のその姿は、やっぱり微笑ましい。
「こういうと可笑しいでしょうが、私にとって本丸は家で、刀剣男士様方は家族です。できることなら戦場になど送りたくありません。でも、彼らは私のためだと戦場へ赴きます。だから、傷ついた彼らを私は私の力の限りで手当てします。私は、彼らに命令などしません」
たまに、お願いはしますけどね。
和泉守兼定は、気まずそうに口を噤んでしまった。
「それで、そなたは我らに何を願うのだ?」
初めて聞く声だった。
「三日月宗近様」
座敷の一番奥に座り、事の成り行きを見守っていた三日月宗近が口を開いた。
「まずは、傷ついた方の手入れをさせて下さい。話はその後です」
視線を離さぬまま、否離せぬまま数分の沈黙のあと、三日月は瞼をゆっくりと閉じ、片膝を立てた。そして、再びその三日月の映るひとみを開いた時。
「.....うむ、良かろう」
三日月宗近は、立ち上がった。その美しさに息を呑む。
これは、すごい。
思わず目をみはった。美しい、だけど美しすぎて恐ろしい。美にて人間を魅了する妖刀の如く。
「一期、弟らを審神者殿に見てもらうがいい。鶴丸、お前もだ。他の者も、全快では無い者は手入れしてもらおうぞ」
三日月の言葉に刀剣男士たちは動きだす。さすが、三日月宗近。彼のいる本丸はどこもそうなのか、わからないけど。ここの刀剣男士らをまとめているのは彼だ。
「そ、それでは皆様手入れ部屋へ。ささっ、審神者様も早く」
「はいはい、じゃあ二人共ちょっとお仕事してくるね。二人はここにいる?」
「付いてく!」
「付いて行きます!」
声を揃えて言われてしまえば、もう何も言うまい。
「あるじさま、無理してませんか?」
手入れ部屋に向かう途中、五虎退は悲しげな、否、心配気な顔で私を見上げていた。
この顔、昔から変わらない。
審神者は、目線を合わせるように膝を折った。
「あるじさま?」
昔は、私より五虎退の方が背が高かった。いつも手を引いてくれる優しい子だった。背は遠に追い越してしまったけれど、君のそのひとみはあの頃と何一つ変わらない。それが、私は嬉しくて堪らないんだ。
「大丈夫だよ。だって、私には五虎退が付いてるもの。迷子にならないように、転んでしまわないように、置いていかれないように、私の手を引いてくれるんでしょう?」
そうだ。小さい頃、皆で遊ぶ時、一番私を心配し気にかけてくれたのは五虎退だった。先頭を突っ走る今剣に乱、それに付いてるいく小夜。そして一番後に私の手を引く五虎退。
「あるじさま」
「五虎退」
コツンと額を合わせて、くすりと笑い合った。ほら、それだけでこんなにも胸が温かい。
手入れ部屋はしばらく使われていないようだった。一度に手入れできる数は三人。だが、部屋はうちに比べると随分広く、全員がはいれてしまう広さだった。どうやら見張られながら手入れをさせられるようだ。
「疲れた」
「お疲れ、主」
「あるじさま、おつかれさまでした」
休む間もなく、立て続けに何振りも手入れをしたためさすがに審神者も疲れた。何より、他人の霊力が混じった刀剣男士の手入れが難しいことを知った。刀剣男士らが私を拒絶していることとも関わっているのか、自分の霊力が一向に馴染まず上手い具合に手入れが進まなかったのだ。
「休みたい」
「主!?」
くてっと重力に逆らう術もなくその場で傾く体を、加州が慌てて抱きとめる。
「ここで寝ちゃ駄目だって、主?ちょ、主!?」
「加州さん?あるじさまは.....」
不安気に自分を見上げてくる五虎退に、加州は努めて安心させるように笑顔を作った。
「大丈夫、疲れて寝ちゃったみたい。白こんのすけを呼んできてくれるかな?主の部屋に案内してもらおう」
「わかりました!」
五虎退は虎を三匹手入れ部屋に待機させ、残りの二匹を引き連れてあっという間に飛び出して行った。さすがは短刀の機動力。瞬く間にとはこのことだ。
「もう、主。無理しすぎ」
他の審神者がどうなのかは知らぬが、主の手入れが匠であることは直に受けている加州は知っていた。早く的確であり、そして実に滑らかなのである。行き渡る霊力は、まるで血流の如く端々まで行き渡る。だから、主が苦戦しているのはすぐに察しがついた。
短刀の手入れなんぞ秒で終わらせる主が、一振りに掛けた時間は太刀並であった。それに対し、この本丸の刀剣男士らが嘲るような言葉を漏らすため加州は冷や冷やした。憤りを感じたのは確かであるが、それ以上に主を侮辱された五虎退がいつ抜刀するか肝を冷やしたのだ。
「加州さん」
「審神者様は大丈夫でしょうか」
「慣れない刀剣たちの手入れで霊力を使い過ぎたみたい。主の部屋に案内してもらえる?」
「もちろんです。審神者様には客間をご用意させて頂いております。加州様、五虎退様は続き部屋をご使用して下さい」
「それは助かる。主の側からは離れたくないからね」
主を軽々と抱き上げれば、五虎退が加州を羨ましげに見上げていた。
「五虎退?」
「僕も、少し前まではあるじさまを抱き上げること、できたんです」
「.....今だってできるよね?」
「え?」
「見た目は幼子のようだけど、君は短刀でしょ?主ぐらいなら容易いよ。少し不格好かもしれないけどね。それに」
加州は言った。自分は、こうして主を抱き上げて閨に運ぶことはできても、君のように主を背に護り戦うことにはまだまだ及ばない。俺は、君が羨ましいよ。何でもっと早く顕現しなかったのか、ほんと、悔しい。
白こんのすけは、先導しながらも彼らの会話に耳を傾けていた。実に人間らしいと思った。人間は欲深い。互いが互いのものに憧れ欲する。それは実に人間らしい感情だと思った。
まだ出会って数刻ではあるが、この審神者が刀剣男士らにとても大切にされていることが手に取るようにわかる。そして、審神者もまた刀剣男士らを至極大切に思っている。政府としてもそれは良い事であろう。だが傾国という言葉もある。依存という言葉も。共依存こそが、今回この本丸にも突然襲った災難。彼らの本丸がそうならんことを、白こんのすけは心の中で祈ったのだった。[ 6/7 ][*prev] [next#]
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