▼05(完)
(05)
それはどこかの映画のような、すこし灰色がかったパノラマだった。今日もぎんぎんに暑いというのに潮風は少しつめたい。北の風だからか。海からの風。シーズン前なんてひとっこひとりもいない、どことなく寂しさを感じさせる広さ。それでもどこまでも限りなく青くて。潮くさくて。
彼女はとうにローファーを脱いで、灼熱の砂地をなんてことなく歩いていた。こんなとことても歩けたもんじゃない。やはり彼女は普通じゃない。
肩に提げたカバンから、彼女は何もしゃべらずにプリントを1枚取り出した。無機質なフォントだけのまっさらな欄に、お前だけじゃないのよとため息をついたカカシ先生の顔が浮かんだ。
「…まだ出してないの、お前だったのかよ」
彼女のやや後ろから、距離をとって声をかけた。細い指先にかろうじて引っ掛かっている白は、反射してひどくまぶしい。
「自分がどんな大人になるのか、みんなどうして、そんな簡単に決められるの?」
知るかよ、とは言えなかった。笑い飛ばすこともできなかった。自分もそうなふうに思うから。
「大学でも専門学校でも、テキトーにかきゃいいだろ」
「テキトーに」
「今の時期まで悩んでんのはいくらなんでもヤベーだろ。どっか名前書いときゃ後で変更きくんだしよ」
「ふうん」
「進路希望書くらいで人生かわるわけじゃねーんだし」
「先生も友達も親も、みんなおなじこと言ってたよ」
「だろ」
「じゃあ」
「じゃあ?」
「なんで奈良君は、テキトーに書いて出さなかったの」
(ああそうか、見透かされてたのか)
ホントは。
「…ホントは決まってんだよ」
はだかの足の裏に触れた砂浜はくそ暑かったが、やってきた波ですぐにひやりとして。やはり1メートルくらい間を開けて彼女の隣にならんだ。
彼女本人も気づいてないけれど、彼女はとっくに見透かしていたのだ。
「そうなの?なら書いて出せばいいのに」
「…色々な」
ホントは決まってた。自分の本心を知っていて、でもめんどくせーといってごまかしてきていた。このごろガキの頃の記憶ばかり思い出すのは、きっとそのせい。
おまえなにいってんだ、いみわかんねーよ。またあんなふうにいわれるのをびびってただけ。踏み出せないだけだった。大人になるのも。オレが全力なんてかっこわるいような気がして。無理なような気がして。
でも彼女はこう言った。
「いいなあ。うらやましい」
「…そうか?」
「自分が何をしたいのか今まで色々試して見たんだけど、どれもピンとこなくて」
「…お前は決まんねぇっていうか、いろんなことに興味あるだけなんじゃねーの」
「そうなのかな」
「そうだろ」
「海をみればわかるかと思ったの」
「は?」
それだけ?
「お前ほんとに、こんなとこまてきたのかよ?」
「そうだよ」
授業サボって高い電車賃払って?バカかよ。知らず知らずのうちに笑いが込み上げた。
「奈良君てそんなふうに笑うんだね」
彼女は化粧もしていない。いのやサクラたちみたいな女とは違う。強い潮風にバサバサはためく髪は優雅に靡くとかそんなモンじゃなくて、いつかの屋上みたいに、まるでホラー映画の井戸から出てくる女のように荒々しい。しかし空に真っ直ぐ伸びたしなやかな腕、指先。こんなに誰かをきれいだと思ったのははじめてだった。
オレが彼女に惹かれた理由。あのとき、空を移したこどものままの瞳。
「…もうちょい、考えてみりゃいーんじゃねーの」
「時間ないけど?」
「なんとかなるだろ」
「ねえ、どうして空は青いの?」
「は?」
「奈良君は知ってるんでしょ」
よせてはかえす波を、日がくれるまで見ていた。彼女と見た海。
「お前はどう思うんだよ」
「わたし?うーん、そうだな。海と繋がってるからかな」
お前が答えを知っていてくれて嬉しいよ。
解放された瞬間に紙切れは空を舞って、とおくの波間にきえた。
「オッス、シカマルー」
「お前昨日なんでサボったんだってばよ!」
「どーせ1日中寝てたんだろ」
「アンタ鼻の上赤くない?日焼け?」
「違ぇよ。バカ」
オレの想像の範疇をこえた人間なので、聞きてえことは山ほどある。彼女と関わるのは多分面倒な部類に入ることだが。そういやまだ下の名前すら知らない。でもまあ、話す時間ならこれからたっぷりあるから。とりあえずはいい。
「おはよう」
次の朝には同じように日焼けした彼女が教室にいた。
サマーチルドレン
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