会館を出る時間には、たいていどの季節も真っ暗になっている空。冬になると寒さが上乗せされて、ひとりの帰り道が心細く思えます。
でも、今夜は違いました。
隣にスミスさんがいるから。

「さっみいなー」

ふうと吐かれた白い息がすっと消えゆく。金色の髪が木枯らしにさらさら揺らされるのを、見上げて眺めてしまう。
そういえば今日、彼の両手はずっと、コートのポケットに収められたまま。

「スミスさん、手袋は…?」

「家に忘れちまったみたいでさ」

コート、手袋、マフラー、帽子にブーツ。制服の上を冬の完全防備で極めた私に比べて、彼の寒さ対策はどうも手薄に感じます。
スミスさんが歩いている側の、自分の手袋をちらりと見る。淡い紫色の手袋。彼に貸すには小さすぎて、女の子っぽすぎるし、こどもっぽくて。

「わたしを送って遠回りになると…スミスさんが風邪を引いてしまうかも」

呟くと、ハハとスミスさんは少し笑って…というか笑って流してくれました。
彼のコートのポケットの中におさまった、ふしくれだった細長い指先。手をつないだらあったかいのかな。大きな手のひらに、ほんとうは触れてみたくてたまらない。素直に口に出せたらどんなにいいか、一歩足を前に進ませるたびにこの気持ちは強くなる。
手袋の下の指先、恥ずかしさでみるみるうちに熱くなってくこと、彼は知りません。



「ここで大丈夫です。送っていただいてありがとうございました」

「いいって。ゆっくり休めよ」

「はい。では…」

「あ そうだ」

「?」

「この前肉じゃがごちそーさんな。うまかったよ。弁当箱、次の研究会んときに持ってくな」

「…は、はいっ」

「んじゃ おつかれさんー」

吐く息は白く遥か高く、いつも視線は交わらなくて。あなたとの距離がどうしようもなく もどかしい。
あなたはその高い背の、高い視点から、どんな世界を見ていますか?
誰のことを見ていますか?

研究会で、わたしがあなたと目が合うのがこわくて、顔をあげられなくてずっと俯いているって、察しのいいあなたは昔から気づいてる。
わたしのこと、妹みたいな存在だって思っているでしょうけど、わたしも女なんです。あなたが風邪を引いたら困るし、看病するのが自分じゃない他の誰かなのだとか、そんな浅ましい想像すらこの胸に抱えてるんですよ。


妹弟子ではなく


ひとりの棋士として、ひとりの女として、あなたの隣に並べませんか。

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