ぐび、ぬるくなった缶コーヒーを傾ける。
年を越してからというもの、本格的に冷え込む日が多くなってきた。日が暮れると会館の廊下はお世辞にも快適とは言い難い。
俺は詰め将棋の本片手にしょっちゅう足を組み直したりしながら、エレベーター前の椅子で時間を潰していた。さも、たった今検討終わって一服してました みたいな体を装って。


「おっす いっちゃん」

「ようスミス!あちゃーっ、望月の手合いまだ続いてんのか〜」

「長引いてるみたいな」

「そっか〜。オレ、今日送って帰ろうかと思ってたんだけどな〜……ちょっと(バー美咲にいく)用事で…そろそろ時間が…(ソワソワ)」

「?望月送ってくの?珍しくね」

「うーん やっぱ兄弟子として心配だしさ〜」

「心配…?」

「え、あれスミス聞いてない?しつこいライターの話」


いっちゃんを問いただして知った。望月が近頃、将棋会館付近で若いフリーライターに時々待ち伏せされてるって。
三段リーグに在籍の女性奨励会員、女流棋戦のタイトル経験アリ、おまけに現役女子高生とあっちゃ、原則奨励会員の取材はナシとされつつも依頼が入るケースはつきものだろう。
つきものなんだろうけども。

「知らなかったのは俺だけですかい」

いらいらしてるのはそのせいじゃない。
寒いからだ。寒いから。




「負けました」

その日最後に投了を告げた低い声。間もなくすれ違ったのは、二十歳を過ぎた顔見知りの奨励会員だった。
まもなく、ブレザー姿の望月が腕にコートを抱え、同じように大部屋から出てきた。

「スミスさんっ!?」

「よっ」

目を丸くした望月へ、俺はいつもの飄々としたふるまいを崩さないようにしながらひらりと手を振ってみた。

「おつかれさん」

「お…お疲れさまです」

「その様子じゃ白星?頑張ったな」

「はい、ありがとうございます……あの、スミスさん 今日は対局ないはずじゃ」

「俺は修行ってとこ。それより、もう帰るだろ?」

「えっ?あ、はい、」

「こんな時間に一人じゃ危ないし送ってく」

そう言って立ち上がれば、望月は途端に顔を真っ赤にした。

「そんな、大丈夫ですよっ、すぐですし…」

「いっちゃんに聞いた。ライターの話」

「!」

「一砂には相談して、なんで俺には何もナシかな〜っ」

「それは…その」

「ったく遠慮すんなって。妹弟子の世話焼くのは俺らの大事な役目よ?ほらほら、コート着て」

妹弟子。その言葉をわざと強調して使うと、意外にも自分の胸あたりに、ぐっさりと何かが刺さってかえってきた。
わざわざ関係性を盾にしなきゃなんない際どい位置にいるのは、案外俺の方だったりするんだろうか。

師匠がはじめて女の子の弟子を、しかも内弟子で迎えてからこちら、俺やいっちゃんはほんとの妹みたいに望月に接してきた。将棋の師弟関係は千差万別、田中さんとあづにゃんのようにほとんど指導対局をしない師弟も多い中、やたら仲良い同門なのが功を奏したのか、望月も俺たちによくなついて。
望月が相談をしてこなかったのは、なにも俺の獅子王戦トーナメントを気にしてのことじゃない。
それがわかんないほど、こっちだって鈍感じゃないし。

だがしかし、だ。
それはそれ、これはこれ。あくまでも先輩として後輩が心配ってことで。

「しっかし長くかかったな」

「中盤からねちねちしたねじり合いになりまして…ぎりぎり勝てましたけど」

エレベーターを待つ間、眉をさげて苦笑する後輩。

「スミスさんは最近どうですか?」

「俺?んー、順位戦がなかず飛ばすなのがけっこうキツイかな。まあ獅子王戦よりかマシだなー、後藤とのは内容もひどかったし」

「そんなことありません!」

苦笑い半分で言うと、やおら望月がエントランスに響くような大声を出した。

「すごい勝負でした!後藤九段の居飛穴に、棋風を貫いて戦ったんですから!それに、風車を使いこなせる棋士なんて今じゃほとんどいないですし!よほどのバランス感覚がなきゃ…」

拳を握りしめて必死になる姿に、不覚にも冗談混じりの言葉を失った。ボーゼンとしてる俺を見て、向こうもハッ我に返る。

「すっ、すみません、出すぎたことを…」

見ているこっちが甘酸っぱさに堪えきれなくなった瞬間、自分の奥底に流れる感情にはたと気がついて。ついに噴き出してしまった。

「いや。いいって」

兄弟子のおもうこと


解ってる。
とどのつまり俺、ホントはいちばんに自分のとこ相談に来て欲しかったってことじゃん?

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