見学に来た職団戦。駒高の先生方が参加していると桐山くんから聞き、挨拶しようと近づいたら なんと全員もれなく闇落ちしていました。
勝負と名のつくものは、全力で戦えば誰しも必ず疲弊する。とくに ぜったい負けたくない戦いに連続で直面したら尚更。脳内サーバーはダウン確実です。
しかし恩師のあまりの変貌ぶりには、流石になんとも言えない気持ちに。ゾンビ、モンスター、目覚めるのが早すぎた巨神兵。今日1日で絶え間なく変貌を続け、四回戦を経てあしたのジョーよろしく真っ白に燃え尽きてしまった林田先生はというと、

「……文化祭!?」

元生徒のわたしを発見して我に返ったのでしょうか 慌てています。

「文化祭じゃん!忘れてた!しかも今日最終日!!桐山に最後の文化祭参加させなきゃ!!今から間に合うか!?あ でも雨……キャンプファイヤー中止にしなきゃじゃね!?」

「大丈夫ですよ林田先生。桐山は学校行きましたし、雨も止んでます」

「島田八段……!」

先程は“先生は後で俺がシメとくから”と言っていた島田さんも、林田先生のあまりの狼狽ぶりをみかねてか、穏やかにフォロー。その言葉に先生も「そうか…良かったー……」やっと落ち着きを取り戻して。
場が収束したところでようやく、わたしも疑問を口にできました。

「すみません 今更なんですが」

「ん?」

「なんだ?」

「島田さんと林田先生は、面識が?」




わたしが三段リーグに没頭している間に、どうやら人間関係の図式と矢印が目まぐるしく動いていたようです。
かねてより島田八段ファンの林田先生が当人と仲よくなっている。桐山くんの声がけで、それもぶっちゃけ“あかりさん絡み”で何度か顔を合わせてる……しかも川本家で。
これまでに至る事情を張本人たちの口から暴露させてしまった、この、気まずさといったら。
春先に わたしは三日月堂であかりさんとひなちゃん、ももちゃんに会った。時折お店に行って三姉妹と顔を合わせることはあったけれど、川本家って どこか桐山くんの聖域のような気がしたから、お宅には伺ったことがない。
それなのに、まさか30代半ばの男性二名が その敷居を跨いでいたとは!
そもそも、あかりさんに島田さんと林田先生を同時にぶつけていく戦法って超急戦すぎやしませんか。しかもあかりさんに比較的歳の近い一砂さんたちを総スルーしてのチョイス。そういうとこだよ桐山くん。

あと、思い出した。桐山くん 棋士たちのパラメーター表を手書きで作ってたけど、あれってまさか あかりさん彼氏候補のデータ収集だったの?っていうかあの表、スミスさんも含まれてなかった!?
ツッコミどころがありすぎるよ!


「な?あいつの計画が青すぎて、腹立つどころかだんだん恥ずかしくなってくるだろう?」

「はい。恐るべしです」

「変わるもんだよなぁ 屋上でひとり飯してたあの桐山が人にお節介なんてさ。教師たる俺が世話焼く側だったのに」

島田さんと林田先生、桐山くんの謎采配に下がり眉になりながらも、その語り口は穏やかなものだった。

あまやかなお節介


帰り道、大雨が降っていた朝方にはなかった甘い甘い匂いがそこかしこに溢れていて、オレンジのような金色のような花のかけらが アスファルトに点々と続いていた。
金木犀。
胸焼けしそうなほどに甘い、秋のおわりの香り。


猫のキーホルダーがついた鍵をくるりと回して、ドアに手をかけるとき、宿主が留守にしているとわかっていても つい呟いてしまう。

おじゃまします、って。

関西での対局に備え、スミスさんは今日から大阪に前入り。いちごちゃんのお世話をするため 彼の不在の日にこうして留守番を任されることは何度かあったものの、それも前とは少し、変わった。

その都度借りていた合鍵が、正式に手渡されたこと。
猫当番じゃない日にこの部屋を訪れるようになり、彼とわたしと一匹とで過ごす時間が、増えたこと。

「みゃあお」

「いちごちゃん。ただいまー」

「みにゃ」

「いい子にしてた?」

猫缶をあけながら、無意識にいちごちゃんに話しかけていた。
猫に言葉をかけるようになったのもきっと、彼のクセがうつったせいだ。



食べっぷりのよい黒猫の背中を撫ぜながら、会場で林田先生が話していた言葉が ふと頭の中で反芻される。

「三年のクラスにも馴染んでて、一緒に出し物考えたりしててさ。昼飯もひなちゃんとか男子なんかと食ったりしてて。望月にも見せてやりたいよ、桐山の今の学校生活」

将棋の世界にいる人間たちというのは、それこそ子供の頃から何十年もの付き合いになり 長い時間を共にする。
まだまだ短いとはいえ、桐山くんの人生を わたしも遠巻きながら 少しだけ目にしてきた。
奨励会に入る前、将棋大会で優勝したのに、トロフィーを抱えて影でひとり泣いていた男の子。四段昇段の免状を手にしたときは、遠い目をしてカメラに囲まれていたように思う。高校が被って一年だけ一緒だった年、寒空の下でぽつんと座り込んでいたこともあった。
でも、三日月堂でひなちゃんたちを紹介してくれたとき 桐山くんはやわらかい表情で輪の中にいたし、オープン戦では二海堂くんに向かって大声で叫んでた。
弱まった雨の下、傘を広げて全速力で走っていったさっきの桐山くんは、学校で待ってる人の姿が頭に思い浮かんでいたにちがいない。
大切な誰かをつくることも、ひとにお節介することも、彼の中で 当たり前になったんだ。


ポケットからスマホを取り出して、ゴハンを食べてるいちごちゃんを、写真に撮る。
わたしはまだ、大切な人をどうすれば支えられるのか全然見つけられていない。スミスさんの対局前日、対局当日の朝、そして対局が終わった後。同じ棋士だからこそ、彼にどう接していいのか、いつも言葉を探しあぐねてしまう。
けれど、いちごちゃんなら話は別だ。確実に。
スミスさん。いちごちゃん、あなたの帰りを待ってますよ。

「キミはいいなぁ」

一番の癒しが猫だなんて敵いっこない。ちょっと憎たらしく感じながら、ツヤのある毛並みをまた一撫でした。

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