対局のために大阪に前日入りすると、将棋関連のイベントでいっちゃんも大阪入りしてると判明した。
対局前日の過ごし方は棋士によって違う。あづにゃんのようにド深夜まで対策考えてる棋士もいれば、あまり根詰ずに、好きなことをしてリラックス優先の棋士もいる。どちらかといえば、俺は後者だ。
いっちゃんと合流して、せっかくだし旨いもん食おうぜ!と店を見て回っていたら、何の因果か 同業者に遭遇。
さくっと串焼きとか食って早めにホテル戻ってのんびりする計画は失敗し、藤本雷堂九段によって、速攻で路地裏の名店に連れ込まれた次第である。

「で?どうなんだ」

奥さんとの和解話をハイペースで呑みながら長々自慢し、キャバクラ禁止令を食らって若い女の子にモテなくなってしまったと騒ぎ立て、いっちゃんがキャパオーバーとなったとこでついに、藤本さんは今日の本題であろう 話題を振ってきた。

「本当なのか?お前と望月が付き合ってるっていうのは?」

直球キターッ
カウンター席の左からの圧迫面接。俺の心の涙が目の前の鉄板にハラハラ舞っていく。
すかさず鍬焼きに箸を伸ばし、“いま咀嚼中なんで”と口元を手で覆いながら時間を稼ぐ。うますぎ。俺今日はノンアルだけど、これ、ぜったいお酒と相性抜群だ。できれば違う機会に楽しみたかった……


「おや、三角六段 わたくしは少々違うように伺っておりましたが」

と、雷堂さんのカゲから滑川七段がぬるっと顔を出してきて、思わず叫びそうになる。ヒィッッ この人 昨日関西で対局だったらしいけど なんでちゃっかり同席してんの!?

「以前から懇意にしていた望月さんが四段に昇段したのを機に、正式なお付き合いを始めた、というのが正しいんですよね?三角六段」

「なっ なんだとう!?けしからん!いつから懇意だったんだ!?望月は今年二十歳でちょっと前までJKだったじゃないか スミスお前まさか、」

「未成年に手出してません!!」

ヤケクソで投げ返す会話のドッジボール。右の席に助け舟を出したくても、酔い潰れた親友の姿にますます泣けてきた。だってこれ、指宿前夜祭の地獄絵図を彷彿とさせる光景だもの。
将棋界イチ女好きの藤本九段&将棋界イチ棋士マニアの滑川七段と対局前夜に飯を食い、私生活を詰問されるって、いったいどんな盤外戦術よ。そもそも滑川に吹聴してんのって誰?神宮寺会長?

「望月は確かに可愛い。それは分かる。だがあいつは四段入りしたんだ、女流棋士と付き合うのとはワケが違うんだぞ!?大丈夫なのか?棋士同士うまくやっていけるのか?スミス、お前はまだまだ中堅で大事な時期でもあるんだ。いざというときのために女に甘える余地を残しておこうとは思わんのか!?」

だぁぁーもう!こっちが気にしてることをフルコースで口に出したりして、だから嫌なんだよこの人は!
これじゃ心配されてんだか、単なるやっかみなんだか、も、判んないっすよ。

「すいません ちょっとお手洗いに」

「待て!逃げるのかスミス!」

「お手洗いですってば!」


もう勘弁して。退避してスマホを見ると、雫から、一件。メッセージはなしで、いちごちゃんの写真が送られてきていた。

かわいい。
帰りたい。
できれば 勝って帰りたい。


「僕、明日対局なんでそろそろ失礼します。滑川さん、一砂のこと あとよろしくお願いします」

「はい。明日の対局、棋士室で拝見しますね」

「続きは明日聞くからなスミス!逃げるなよ!!」

だからもう解放して!


君の魔法




翌々日の朝。帰宅するとベッドで愛猫と彼女がそろって体を丸めて眠りこんでいて、ここは天国か と思った。
スーツに皺が寄る?んなもん気にしてる場合か。
あったかい背中を真綿を繭でくるむように抱きすくめて 彼女の腕に己の腕を重ねたら思いがけず、「…ぎゅってする相手…まちがえてません?」意外にも間延びした声が返ってきた。
眠りが浅かったのか、それとも起こしちゃったか。
寝ぼけながらいじらしいこと言うなぁ。

「まちがえてませんよ」

証拠に、抱き締める腕の力を強めた。うつらうつらと舟をこいでいる雫は、時計を確認しようとしても 瞼が重たいらしい。だいぶ間を置いて、おかえりなさい 早かったですね。そう紡いだ。

「帰るの、お昼すぎかと思ってました…」

「新幹線の始発乗って帰ってきた」

「お酒のにおい」

「雷堂さんの家で朝まで付き合わされてさ」

「相変わらずですね らいどう九段」

「ホント。あの気力、どっから沸いてくるんだかね」


公式戦の日は勝っても負けても精神が高ぶるもので、アルコールの香りこそ 尾を引いているが、新幹線に揺れているうちに酔いは醒めてきていた。
結果的に今回は勝てた。といっても自玉には長手数の詰みがあり、向こうがそれを読み逃していたのだ。相手のミスに足元をすくわれた ギリギリの勝ちだった。
賑やかな藤本邸に連れてかれても、東京の自宅に帰る道すがらも、頭のどこかで今回の将棋の内容がぐるぐる駆け巡っている。
そういうとき、俺は割りきって、研究に手をつけない。冷静に振り返れる後日に回す。
それでも、人間疲れすぎるとうまく寝れないもんだよな。クタクタなのに、目を瞑るとまた、脳内に将棋盤が見えてきちまうし。

雫のうなじ辺りをぼんやり眺めてしばらくそうしていたら、やおら 彼女がもぞもぞと寝返りを打ち、俺に向き直って腕を回してきた。
そっと頭を抱えられ、寝間着の上からでもわかる丘に 額がゆるく押し付けられる。瞼を閉じたまま寝息をたてている雫からは色めいたおさそいの気配は見受けられない。体温と鼓動を分け与えられているようで、お前は赤子を眠りにいざなう母親か。

「一番の回復魔法は女の胸だって、雷堂さんが言ってました」

「……あんのスケベ中年棋士」

心の中では大いに感謝 御見逸れ致しました!



*

目を覚ますと雫はいなくて、キッチンにはしじみの味噌汁が、テーブルには梅ゆかりのおにぎりが用意されていた。
こうして料理だけを残して本人が去っているという図、これで何回目だろ。温め直したしじみの味噌汁をすすりながら、うまい うまいけど、向かいの席にあいつが座っていっしょに食えてたら尚更うまいんだろうなー…とか考えたりしちゃう昼下がりでしたとさ。

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