棋士にとって、体力づくりは欠かせない修行のひとつだ。
脳をフルスロットルさせてド深夜まで対局を続けるためには、健康な身体が何よりの武器。というわけで僕はジョギングを日課としています。
棋譜研究と違って 体力づくりは1日につき決めた時間だけ そして対局に必要な分だけ備わっていればよいのだ。走って走って走り抜けるだけのシンプルさは気に入っている。棋士の中には壁を蹴破ったりガチ登山に挑んだりする人もいるようですが、そこまで強靭な肉体って将棋に必要?いいえ、そういう人は転職してくださいホントに。

次なる対局は獅子王戦準決勝。
カゲB(桐山)への対策、角換わりの研究はここまで順調。頭を休ませとく間に鍛練を積んで体力アップ。24時間1秒たりとも無駄にはしない。決して止まらないのが将棋特急あづさだ!!
町から町をすりぬけ、ときには買い食いをし 電車が通るタイミングで並走して対決を挑む それによって闘志を培い―――――

「…火止さ…」

誰だ?師匠か?
この前も“交差点や自転車の多い通りでのジョギングは避けたほうがいい。考え事をしながら走ると危ないからね”と言われたばかりで、こうして仕方なく交通量の少ない道を選んではいるが まったく これがいわゆる噂をすれば影か?

「野火止六段!」

しかし、雑司ヶ谷を通過するあたりで僕を呼んだのは より好ましくない人物 将棋界の猪女だ。
ランニングウェアを着ているところを見る限り、向こうも走り込みの最中らしい。生意気な……このコースは!俺の縄張りだ!

「あの!」

気づかないふりして走り去ろうとするが、望月雫はどういう訳か追いかけてきて、執拗に話しかけてくる。
は?なんで追ってくる!?

「このあたりでジョギングなさってたんですね!」


好ましくないどころか、はっきり言って苦手だ。
こっちが無視してんだから察するとこでしょ普通?あ、普通じゃないんですね。それとも新手の盤外戦術?仲良くしましょ的な?そういうの ホント勘弁なんですけど!

将棋界及びマスコミがこのところ件の人物で沸き立っているが、お決まりの“史上初”の三文字で持て囃されているだけのことだ。
僕は彼女より歳が一つ上だからというだけの理由で、「この度の女性初のプロ棋士誕生について何か一言お願いします」と、月刊将棋世界の特集記事にコメントを求められてしまいました。その記者には速攻で返事をしました。

“将棋は強さがすべてです。男女共同参画やフェミニズムの問題は、将棋の内容とは全く無関係です。そもそも、女性初のプロ棋士誕生と見出しをつけると女流棋士の立場がなくなり、性差蔑視や誤解を助長するのではないでしょうか?”

これは採用されず、他の棋士たちによる当たり障りのないお祝いコメントが記事には列挙されました。
分かってはいました。
世間は女性棋士誕生を騒いでいるだけで、その人物がどんな棋士でどんな将棋を指すかなど興味ない。
僕はとうの昔に知ってる。そして後ろから追いかけてくるヤツもいずれ知るだろう。
“おめでとうございます”なんて行儀の良い言葉を贈った棋士たちは、いざ将棋盤を挟んだ途端に牙を剥き出しにする。相手が男だろうが女だろうが全力でブン殴って潰しにかかってくるということを!!

「野火止六段の…」

何か喋ってるが、猛追してくる猪女を振り切るため、全速力でぶっちぎってやった。
いいかお前は!天才でもなければ、次世代の申し子とかおだてられているカゲAカゲBとならぶ“カゲC”ですらない。ただの新米棋士だ!!


居場所にまつわるエトセトラ


「野火止さんのコメントで、身の引き締まる思いがしましたっ!!」

後ろからそんな声がしたような、しなかったような。

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