隣に、意中の人が横たわっている。
わたしたちのあいだはたったの40センチ。頬を紅潮させた彼が、時折くるしげに熱い息をつきながら天を仰いでいる―――
と、そんなふうに表現するとセクシーな光景が頭に浮かぶやもしれません。しかし残念無念。手を伸ばせば届く距離にいても、指一本触れられない というか指先一本動かせません。
我々は現在、旅館の砂蒸し風呂なう、首から下が完全に砂に埋まっているのです。

第一印象は灼熱。慣れてくるとサウナ感覚に近くてかなり健康に良さそうですが、それでも 好きな人の傍らで全身から滝のような汗を流すって 些かハードルが高すぎませんか。

「雫、横溝、いっちゃん〜みんな生きてるか〜」

「わわ、スミスさんこっち見ないでくださいっ 汗がっっ」

「なんだこれ すげー。身体中の水分が抜けてくよ。ミイラ製造機?俺の頬ますます痩けるかな」

「血潮がたぎる!!がっくん先輩に教えたらいいトレーニングになるって喜びそう☆」

「いっちゃん…こんなときまで…」

指宿出張最終日。今日は約束の、デートの日。意気揚々と身支度を整えてる最中にシングルルームのチャイムが鳴り、ウッキウキで扉を開けるとそこには一砂さんと横溝さんが立っていて。“砂蒸し風呂で脳内将棋のロケをするから来て!いますぐ!”と 強引に引っ張り出されてしまいました。
脳内将棋 またの名を、目隠し将棋。
横溝さんの話によれば、昨日早朝にプロ棋士4名で収録する予定が一砂さんの二日酔いで流れたのだとか。

「横溝 この企画中止になったんじゃなかった?マジでやんの?」

「一砂くんが復活したからね。MHK将棋サテライトの棋竜戦ダイジェストで流したいらしくて。頼むよスミス」

「わたしも参加するんですか?脳内将棋」

「桐山も来るし望月は立ち会いってことで。すまん、男4人じゃあ絵面がムサ苦しくてさ」

そんな 全身砂で覆われて汗だく顔面の女子が必要なんですか!?
ああでも、ここでお断りしては 将棋サテライトMCの横溝さんのメンツが。

この収録が終わればデート、この収録が終わればデート、スミスさんとリゾートデート…などと、わたしが必死で己に暗示をかけている頃に、残る最後のメンバーが現れました。

「遅いぞ桐山ぁ…って、どどど土橋さん!?」

え?

「どうも。脳内将棋指してるって職員さんに聞いて」

「これから始めるとこなんです。桐山が来次第…」

「桐山六段、外出したみたいですよ。あの すごく美しい女性と」

「「「…桐山あんにゃろおぉぉぉおお」」」

桐山くん、巻き込まれ体質やめるってよ?
叫びたいのはこっちのほうですよ、わたしだってスミスさんとお出かけに行きたいのに!
しかしながら 脳内将棋を聞きつけ嬉々として砂をかけてもらってる真打ち(土橋棋竜)の登場により、企画中止の線がいよいよ無くなってしまいました。


「カメラさんいいですか?…ハイ、では 先手番▲は一砂くんと僕、後手番△は土橋棋竜とスミスくん、それぞれ交代で指してくということで。よろしくお願いします」

「「「よろしくお願いします」」」

「じゃオレから!▲7六歩!」

「三角六段 お先にどうぞ」

「あっハイ、さーせん。えーと △3四歩」

「では▲2六歩」

「△5四歩」

「おお!土橋さん、中飛車リベンジマッチ!?」

「キターッ!これはアツい!▲2五歩!」

「え、オレ振っていいの?土橋棋竜の飛車振っちゃっていいの!?」

「どうぞ」

「わああっ…土橋ぱいせん尊敬っす!△5二飛っ!」

視覚的には個々人生き埋めですが、皆さん土橋さんを囲んですっかり盛り上がっちゃってる。
…ああ もうだめ、頭が、ぐわんぐわん……

「▲4八銀」

「超急戦かぁ せっかくの脳内将棋なのに」

「僕ら砂に埋まってるんで長手数だと湯立っちゃいます」

「あ そうだった △5五歩」

「ようしっ!王様動かすぞぉ!▲6八玉っ!」

「うわ ちょっ、ちょっとストップ」

「長考ナシだぞスミス!」

「ちがくて!雫が!!ノビてる!!」

「え」


*

さて、ここまでの展開でおよそ予想がつくかと思われますが、人生初の砂蒸し風呂であえなく逆上せたわたしは収録をリタイア。
そして回復を待つあいだに 列車の時刻がきてしまいました。

「俺も鈍行で帰ろっかなぁ」

「順位戦間近なのに移動疲れしちゃいますよ。いちごちゃんも、ペットホテルでお迎え待ってます」

「うん そうなんだよねー…でも雫、まだグッタリしてんじゃん、ちゃんと帰れんのか?」

「これは精神的ショックです…体は砂蒸しでさっぱりしました」

だって ふがいないでしょう?
一緒に朝食ビュッフェもなし。ラウンジでソフトクリームをつつくのもなし。海辺のお散歩も、全部おじゃんになってしまったんだもの。

送迎まで見送るよと、さも自然にわたしのバッグを手に取るスミスさん。わずかに肩を掠めた指先は、砂蒸し風呂でご一緒したせいか お揃いにしたみたいにポカポカで。
結構荷物あるのな 苦笑いが返ってくる。そうなんです 雷堂先生がお土産をたくさん持たせてくださって、そしたら、ぎゅうぎゅうになっちゃって。かるかん。さつま揚げに兵六餅。山川漬け。指折り数えるわたしに、ハハ 見事に食い物ばっかだなぁ 彼がまた、はにかむ。
仕事を終えた最終日なら許されるかなと、カーディガンの下に着た、おろしたてのワンピース。ふんわりした白い裾が海風に揺れるのは、駅行き送迎バスに乗り込むまでの、10分にも満たない持ち時間のあいだだけ。少しずつ淡くなっていく潮のにおい。後ろ髪引かれる思いです。
この10分が繰り返されればいいのになぁ。
千日手みたいなことは成立しないんですよね。


荷物を座席に乗せ、バスを降りたスミスさんの、金色の髪が潮風に揺れる。あまりに名残惜しくてステップの途中までついていく、わたし。

「落ち込むなって。次は二人で来りゃいいよ」


その背中に、すっと濃紺で引いた水平線を見つけて、昨夜の雷堂さんの挨拶が重なりました。
雷堂棋竜の見た、美しい景色のこと。
記録係の席からも海が見えていたけれど、彼らの見ている海とは、恐らくはちがうものだった。雷堂さんと土橋さん ひとつ舟に乗り合わせて二人が見たのは、いったいどんな景色だったんでしょう。

「次来るなら…」

厳しすぎる世界。
それでも同じ場所に立ちたい。

あなたと二人で。


「そのときはタイトル戦がいいです。スミスさんがタイトルホルダーで、わたしが挑戦者で」


恋の冒険王



発車時間になりました まもなく出発いたします

そう 運転手さんのアナウンスが聞こえてきて。
言葉にしたらとても長いラブレターになるこの気持ちを、この一瞬で伝えるには?
考える前に 先に体が動いていたのでした。

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