女流タイトルに一時期参加歴のある身として、棋戦前日に開催される前夜祭には、ほんの少しばかり経験があるつもりでした。
けれど、今宵の催しは、わたしの知ってる前夜祭じゃない……

「よっ、よか酒じゃあ〜っっ!!さあ皆飲んでくれ!俺のためにっ!」

東軍に北新地のおねえさんたち。西軍には藤本棋竜の奥様と娘さん(現在別居中とのこと)。
両軍に挟まれ戦々恐々の藤本棋竜が一砂さんを巻き添えにしつつ青ざめた顔で一升瓶を振りかざし、ただいまの前夜祭は、さしずめ地獄絵図。和やかなファンの集いとかけ離れて将棋界イチやばい修羅場を迎えております。
藤本棋竜の熱心なキャバクラ通いは棋士のあいだでも有名ではありますが、恋の大海原に漕ぎ出して冒険をし過ぎた男性の、これが末路というものなのでしょうか。
ちなみに関係者祝辞と写真撮影が済むなり、土橋九段は研究のために、桐山くんは川本三姉妹と夕ごはんを楽しむために、それぞれさりげなく退出。
スミスさんと横溝さんはというと……あ、ついに酔い潰れてしまった一砂さんのもとへ、今まさに駆け寄ったところです。

「うわあああ いっちゃーーん!!」

「一砂くんしっかり!!」

スミスさんたちの阿鼻叫喚。応答のない一砂さんを担いで会場を去っていった二人は、ご当地Tシャツ姿に旅館の法被姿ということも手伝って、傍目には従業員さんにしか見えませんでした。

そしてここで、ひとつ問題が。ヒト柱を担っていた一砂さんがあえなく脱落し、藤本棋竜は再び辛い現実(別居妻子とキャバ嬢のブッキング)へと引き戻されるピンチに。しかし棋竜、転んでもただでは起きない。この窮地に何を思ってか、奨励会員として控えめに現地のお客さんと談笑などをしていたわたしのところへ、近づいてくるではありませんか!

「やあ……楽しんでるかな?望月」

「は、はい 楽しんでます」

「ん?酒はどうした?今年成人したと聞いたぞ。芋焼酎を飲まんと真の意味で南薩に来たことにならないぞ?」

「お酒を飲める歳にはなったのですが、明日のお仕事に差し支えてしまいそうでしたので…」

「なら試飲だけでもどうだ?支配人が伝説の森伊蔵を出してくれてな、これこそ心と体を潤す薩摩の聖なる水だ!なかなかこんな機会はないだろう!」

「えっと〜…」

「今期三段リーグの景気づけにもなるぞ!なあに遠慮するな!さあさあ!」

試飲といいつつなみなみ注がれた酒器を握らされてしまって、いけません、これは完全に雷堂棋竜のペースです。別の話題を振って逸らさなくては。


「そういえば、藤本棋竜は和服で前夜祭にご参加なさるんですね…!」

「ああこれか?ハハ 先ほどプールで得意の着衣水泳を披露してしまってな。この俺としたことが検分前にうっかりしていた」

え?スーツでプール?

「男は美しい女性を見るとつい力を発揮したくなってしまうものなんだ。ホラ、東京の若造たちだって……ああ、ヤツらは単にあの麗しいお嬢さんの前でカッコつけたくて飛び込んだ程度だがな!」

「……」

…なるほど。
スミスさんよりなされた“3人ではしゃいでプールに落ちた”という説明は、冒頭につくであろう“あかりさんに良いところを見せたくて”の一節が見事に省かれていたようです。うすうすそんな予感はしていたのですが……そういうことでしたか。

隣でマシンガントークを続ける棋竜を尻目に、会場にいる女性陣を 遠巻きに眺めてみる。
藤本棋竜の奥様は上品なかたで、きっとお家でもキリッとなさっていて、旦那さんの棋士生活を長年支えてこられたに違いない。
北新地のおねえさんたちも、メイクや自前のドレスがとても似合っていて、ノリもよくって 棋竜がころっといってしまったのもわかるような気がします。
きっとスミスさんにとっても、あんなにキレイなおねえさんたちと夜のお酒を楽しんだりするのは、それはそれは素敵なひとときなのでしょう。

好きです でも待ってもらえませんか。
そうお願いして、かれこれ一年半。
これほどまでに長い間スミスさんをキープしてるのは、他ならぬ、わたしで。それなのにヤキモチをやくのは、あまりに幼稚すぎるでしょうか………

と、そこまで常の思考回路が進んだ最中に、わたしは春先に遭遇した香子さんの言葉を思い出しました。

「往生際悪くっても、肝心なもの掴みそこなうよりマシでしょ」

いい子ぶったり臆病風吹かせるのはあの季節でおしまいにしようって決めたのでした。
ローストビーフで気持ちをごまかしてる場合じゃない。いま必要なのは勇気。
神様。ポジティブ大権現さま。ほんの少しでいいのでわたしに力をください。心の内でお願いをしながら、グラスを満たす森伊蔵をぐぐっとあおりました。
ああ 喉がやけそう。これが薩摩スタイル!



ご利益がさっそくあらわれたのか、前夜祭の会場を出て少し行ったところで、なんと 会いたかった人が向こうから歩いてくるではありませんか。
しかも、横溝さんは部屋で一砂さんの介抱中なのか、スミスさんおひとりです。

「おっ、雫 いたいた」

「スミスさん」

「お前のこと無法地帯にほったらかしにしてきたの思い出してさー。問題起きてない?」

ずるい。反則です。こんなときにまで、やさしいの。

「白スーツ…」

「ん?」

「対局日の白スーツも素敵ですけど、Tシャツ姿も、しんせんで」

「ん???」

「あと、髪くくってるのも、カッコいいです」

あれ。なんか支離滅裂になってしまいました。
呂律が回らない。
ちがうの 言いたいのはそういうことじゃなくって……


「雫さ、雷堂さんの手酌受けちゃった?もしかしなくても酔ってね?」

「大丈夫れす」

「酔ってんじゃん!はい、部屋前まで連行〜!ったくもー、雷堂さんも手加減してくれよなぁ 犠牲者2号だよ〜……」

ガックリ肩を落としながら「移動で疲れてんだから、お水飲んですぐ寝なさい、この酔っぱらい」とエレベーターへわたしを連れていこうとするスミスさん。
あっ ちょっと待ってください。本題が、本題がまだなんです。

「スミスさん あのっ」

「ハイハイお次は何さ」

「あさって、空いてるお時間ありますか?」

「あさって?」

「はい。朝とか、お昼前とか」

「飛行機午後だし空いてっけど」

「もし……良かったら、わ、わたしと、デートをしてくださいませんか」

「…」

「そっ、その、お仕事と勉強で来てるのは重々承知の上で!ぜんぶ片付いたあとに旅館のお庭をお散歩するとか、一緒に海を見るとか……ほんのちょっとだけでもいいので…」

ほんのちょっとだけでもいいので、スミスさんといっしょに過ごせたら。
恥ずかしさに尻すぼみ、うまく声に出なかった言葉。けれどちゃんと伝わったようで、スミスさんはややおいて「…ほんのちょっとでいいんだ?」とニンマリしていました。

おっしゃるとおりです。
ほんとは、ほんのちょっとじゃ、いや。
仕事に集中と頭に何万回言い聞かせても、指宿に来てスミスさんと全然おしゃべりできてないなぁとか、そんなことをつい考えてしまってる自分がいて。ほんのちょっとで満足しちゃうほどこの気持ちは浅くはありません。
世界中の恋する女の子に聞きたい。好きな人が近くにいて、舞い上がらないなんてこと、あります?


あなたとの関係はわたしから張った予防線だけれど、

恋に反則はありですか



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