前期三段リーグ最終日。
太陽が落ちる頃、雫から師匠んちの家電に、連絡があった。


玄関の引戸をきちんと閉めたかロクに確認もせず、俺は師匠の家を抜け出す。通話が一旦終わったんだろうか、いっちゃんの大声や師匠の雄叫び、島田さんや桐山たちの声が軒下まで盛大に響いてくる。俺だって叫びだしたい気分だ。
けれど今はここで、大人しく待機してる場合じゃない。
駅前方向へ走りつつ、目についたタクシーを止め、乗り込みながら告げる。「運転さん、千駄ヶ谷。将棋会館まで」

新宿に近づくにつれ停車している時間が伸びてって、判断ミスったな 電車使っときゃ良かったと後悔した。見慣れた街並みに差し掛かかった。「ここでいいです、降ります」夜の競技場を背に、再び駆け出す。
悪ぃ桐山。いつだったか 島田さんに負けて全力疾走してたお前見ながら、しょっぱいとか甘酸っぺーとか言って。今の俺、まさしくしょっぱいわ。アラサー突入していまさら青春スーツ再装備する羽目になるとかさぁ 夢にも思ってなかったんだよ。あの頃は。
だってさ、大体なんなの?
昨日のあいつの電話。
かならす昇段するだの、諦めないでいてくれてありがとうだの、大好きだの、ちゃっかり途中から名前呼びだったし。寝不足の掠れた声で大胆発言を連投されてる俺の身にもなれっつーの。

一緒に頂上の景色が見たい?
いちばん近くに居てください?
支えますから?

「…そんなん、先輩棋士&男たる俺が言うセリフだろがぁあー!!」



ゼーゼー言いながら緩い傾斜を登っていると、同じく、観音坂を猛ダッシュで降りてくる人影が、まばらな電灯に照らされた。
だからさぁ ヒールの靴でそんな走んなよ、危ないって。そう思ったそばから、かくん、足元をぐらつかせて前のめりになった雫に 思いっきり両手を伸ばした。
いつでもそうだ。お前は俺の世界に 急に飛びこんでくる。
スーツがくしゃくしゃに皺寄る程きっつく抱き締めたまま、ややあって。圧迫されて苦しげに しかし喜びを隠しきれない様子で、雫が俺の腕の中でちいさく呟いた。

「待っててって、いったのに」

これはお前の時間切れ負けだよ。いや、俺の再びの投了?負けました?まぁ、そんなことはこの際 どっちだっていいんだ。


三角龍雪、青春スーツ再装備




「夢じゃないですよね」

もう一度呟いた彼女を、さらにぎゅっと強く抱き締める。
夢かどうか?そうだな。夢みたいな話だよな。
でもひとつだけ 確かなことを断言できる。

お前の思い描く場所にたどり着けなくても、俺はこの手を、ぜったい離さないって。

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