去る6月。研究会の帰り道 アパートまで送ってく途中だったかな、夏の予定を訪ねたときのことだ。

「今年の夏は記録係のお仕事でおでかけしてみるつもりです」

そんな風に、右隣を歩く雫から、ざっくりとした答えが返ってきた。

プロ棋士の公式戦で棋譜をつける記録係は、奨励会員が自ら志願して引き受ける、言わばバイトのようなもので。俺も修行時代は記録係のささやかな賃金を生活費の足しにしてたっけ。

「記録係か。なっつかしーな〜。夏だと東洋オープンとかか」

「はい。あと、棋竜戦の第三局も志願しました」

「え?まじ?指宿でしょ?俺も大盤解説で行くんだけど」

「そうなんですか!?」

「しかもいっちゃんと横溝も一緒」

「わあ、すごい偶然っ!賑やかな御一行ですね!」

賑やか…か。うん、間違いないな。
地方のタイトル戦遠征は連盟関係者に立会人、解説者と大所帯な上、第三局の開催地は藤本棋竜の総本山で盛り上がりも最高潮なはず。
俺、いっちゃん、横溝の3人トリオで大盤解説の打診が来たのはおおかた会長の差し金なんだろうけど、示しあわせたわけでもないのに雫も一緒に行くって、これが巡りあわせというヤツかねぇ。
って、いやいやいや。それよりも懸念すべきことあるっしょ 俺。
九州遠征に対局中の長時間に渡るハードワーク、おまけに記録係は現地で雑用押し付けられることも多いわけで、いまの雫には結構な負担なんじゃないか?しかも雷堂さんだとさ 秒読み突入とか何かとアクシデント多そうじゃん。

「無理してスケジュール詰め込んでね?」

「耳のことなら大丈夫です。静かな対局室は聞こえもいいですし、いまの安定した調子なら問題ないだろうって、神宮寺会長もOKしてくれました」

「そう?」

「気にかけてくださってありがとうございます」

「ん 大丈夫ならいーんだけどさ」

「地方対局での記録係、一度経験しておきたかったんです。さすがにこの耳で大盤解説とか将棋大会の講師は無理でしょうけど……棋士になってなにかお仕事の依頼をいただいたら 断らずに引き受けていきたいですし」

プロ棋士に“なったあと”の想定を口にする、それは雫にとって大きな変化だった。
指し手にも確実な変化が現れ、今期は良い意味で肩の力が抜けて白星を安定して掴むようになった。
研究会でも堂々とした指し回しをしてるし、なにより、楽しげに将棋盤に向かってるのが伝わってきて、前回の三段リーグを経て着実に成長してんだろうな。
「女流棋戦とも違った雰囲気でしょうし、土橋先生の対局の様子を間近で拝見できる良い機会です!」なんて、随分タフなこと言うようになったよなぁ。


「…しっかしなぜに棋竜戦?」

「藤本棋竜が 鹿児島開催もあるからぜひ同行したまえって誘ってくださって」

「うわ いつの間にそんな約束!抜け目ねえな〜…棋竜」


俺的にはむしろ万々歳だったんだ。
仕事でありつつもおんなじとこに一緒に行けるわけで、しかも夏の指宿という絶好のロケーション!なんなら飛行機で隣の席取って過ごしてみるのもアリなんじゃね?とかさ。
しかしそこは望月雫、兄弟子たちの構想の斜め上をいく妹弟子だ まさか俺らと別ルート・土橋ぱいせんと新幹線鈍行で移動してくるとは……。
いやね、飛行機は雫の耳じゃツラいってのを、遠征直前まで俺らが気づかなかったってだけなんですけどね。

とにかく、そうこうして今に至るわけだ。

* * *


「三人ではしゃいでプールに落ちたと……?」

「いや〜……面目ない」

「ここで待っててください。すぐ戻ります」

一言いい残し、白泉館の本館へ走っていく雫の背中を 条件反射的に横目で追う。
遠ざかってく白いシャツ。ポニーテールがたおやかに揺れて、また少し髪伸びたかな、とか考えたりして。
なんか……大人っぽくなった?
うーん 雷堂さんに絡まれんのもわからんでもないような。

宣言通りプールサイドにとんぼ返りしてきた雫は、腕にタオルやら何やらを抱えていて。

「シャツとズボンはクリーニングにお願いしてきます。明日の朝には戻るそうです。とりあえず今日はコレで凌いでください」

「あのう 雫さん」

「はい」

「これお土産Tシャツだよね」

手渡された替えの服は、ホテルのお土産コーナーで販売してるご当地Tシャツだった。薩摩T 島津T 家紋入り定番商品……

「えーっとつまり 前夜祭もコレで?」

「水着のほうが良かったですか」

「「「………」」」

「明日よれよれのスーツで大盤解説したらお客さんも呆れちゃいますよ。ほら、3人とも早く脱衣場へ。打ち合わせ遅れちゃいます」

「「「……はあい〜…」」」


三角六段の視線の先



3人ぶんのシャツとズボンを抱え、再びホテルへ走っていく雫の後ろ姿。てかさ、ヒールある靴でそんな走るの危なくね?
ヒヤヒヤしながら眺めていると、隣で横溝が呟いた。

「望月 オカン属性に転身したのか」

「それな〜」

同感だよ、横溝よ。
雫のやつ、大人っぽくなったんじゃなくて、大人になったんだよな。
髪までびっしょりの俺にヘアゴムも押し付けてくるあたり、しっかりしてるだろ。
冬の頃みたいな思い詰めた様子はなくなって、どこか生き生きしてて、もう前みたいに俺の背中に泣き顔押し付けることもなくなんのかもな、とか考えるとほんのちょっぴり寂しくなる兄弟子でしたとさ。

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