今日のために設けられた解説会場と、大盤、巨大モニター。地元のファンのみなさんは朝早くに集まり、こぞって最前列を陣取っている。
プロ入りからこちら、俺もタイトル戦同行がすっかり板についてきたけれども 開始前 予約の時点で解説会場が満員御礼になってるって そうそうお目にかかるものじゃない。
挑戦者の土橋九段にとってはタイトル獲得が、藤本棋竜にはストレート失冠がかかったこの第三局。おまけにタイトルホルダーの故郷対局。この場に同席するのはファンたちの心尽くしのもてなしでもあり、そして彼らにとっても、これは決戦なのだ。将棋のファンならば たとえ地元の英雄が背水の陣に追い込まれていようとも、あっちが負けてこっちが勝ってくれさえすればそれでオールオッケーなんて単純な発想には至らないわけで、お客さんたちは快活に笑いながらもどこか緊張感を滲ませていた。

どこか切迫したこの本局に、俺たちが解説役で呼ばれた理由はただひとつ。会場を和ませるため!

「お〜い 一砂く〜ん」

「…。…。」

「こりゃ無理っぽいね。顔キュビズムになったまんまだし」

と、首を傾げるヨコミゾ氏。
将棋界の隠れ癒し系にして賑やか中堅トリオのムードメーカー・松本一砂の、二日酔いで変わり果てた姿がそこにはあった。

「藤本棋竜も地元の人たちも芋焼酎浴びるほど飲んで翌朝は平常運転って、あの人たち アルコールをどうやって飛ばしてるんだ?」

「血が酒で出来てんじゃね」

「まさしくそんな感じだ」

「…とりあえず序盤は俺が聞き手に入っか。桐山も途中からゲストに入るしなんとかもつだろ…」

「うん。一砂くん復活を祈ろう…」


そして定刻。
カシャッ、パシャッ。心なしか常より長くきられるシャッター音をモニター越しに聞きながら、先手番の土橋九段の初手を待つ。▲7六歩。立会の関係者や報道陣が去り、一室には対局者両名と、記録係だけが残される。
さあはじまった。ここからはもう 誰にも邪魔されることのない、他の一切が介入することのできない 二人だけの世界だ。
大盤解説も序盤の戦型を追う。雷堂棋竜のファンが多く詰めかけるこの会場で、横溝も俺も、今日はいちだんと慎重に言葉を選んでいこうと方針が一致した。

「雷堂棋竜は中飛車穴熊ですね ガッチリ囲いつつ攻めの主導権も握る気でしょうか。土橋九段の判断に注目ですが、横溝七段は▲5六歩はどう見ます?」

「すでに駆け引きが始まってますね。第一局、第二局を経て藤本棋竜も入念に土橋九段作戦を練られてるかと思います。土橋さんは研究家ながらに生粋のチャレンジャーでもありますから、今回も後手の罠にあえて乗っかる、と」

序盤有利な場面で、まじで面白いほうに乗っかっていっちゃったよ。土橋ぱいせん。さすがは少年時代に抱いた将棋への初恋をそのまま育んで大人になった男!先月の今頃は宗谷さんとフルセット名人戦だったのに、続くこの棋竜戦で 疲労を見せるどころか益々ウッキウキで指し回してるっていう…。いやー、憧れるわ。

おそらく雷堂棋竜の期待を裏切っての、相穴熊の展開。
穴熊の駒組みは手数がかかる。その間の大盤は与太話をはさむことに。

「ここで午前のおやつが運ばれてきました」

司会の名人・横溝によるおやつ解説で、タイミングよく箸休めにしますか。

「藤本先生のオーダーはご当地銘菓盛り合わせでしょうかね。随所に薩摩愛を感じます。土橋先生には白泉館さんオリジナルのお菓子にプラスして…」

「今回も出ましたカロリーメイト!食べやすさ重視!」

「ね。すっかり土橋定跡に定着しましたよね、カロリーメイト。んー… 個人的には 記録係が対局者のおやつをガン見してるのが気になりますが……」

横溝が溢した一言に、俺もお客さんたちも、モニターに目を凝らす。
視線を対局者から記録係へ滑らせると、たしかに、記録係の雫が藤本棋竜のおやつを、穴開くかって位にじ〜〜〜っっと見つめていて。

「おっと、なんと記録係にもスイートポテトが運ばれてきました。白泉館さんのご厚意でしょうか お心遣いありがとうございます。さて記録係の望月三段、ノータイムでフォークを手にし、嬉しそうに頬張っております」

ちょっ。そりゃうまそうに食ってっけどさ、何記録係のおやつ実況はじめてんの横溝!
てか、雫も雫だよ。朝食バイキングも皿山盛りにしてたじゃん。いかにも神経磨り減りそうな角番の真っ最中に持ち前の食いしん坊スキル発動して、どんだけタフなんだよ!

「それにしても、本局は望月三段が記録係で同行という、中継画面的には華やかで珍しい感じになりましたね。ねえ三角六段」

なんで執拗に振るの横溝!

「そ、そうっすねえ…」

「数年前の女流タイトル戦で望月三段をご存知のお客さんもいらっしゃるのではないでしょうか」

雷堂さんに飲まされたりして 今日仕事になんのかなって肝が冷えたけども、なんだかんだで雫はしっかり役目をこなしていた。それも 闘志ギラッギラの雷堂棋竜と、読みに埋没する土橋さんの傍らで、だ。


「わ、わたしと、デートをしてくださいませんか」

横溝の解説に合いの手を入れながら、ふいに何度も、昨夜の会話が耳元でリピートされる。
様子を見て、飯とか声かけよっかなと考えてた矢先の、まさかのお誘い。酔ってるせいか変な日本語だったし、めっちゃ見つめてくるしで、とっさにからかってしまったが、内心満更でもない自分がいて。部屋戻ったあとにパンフ眺めたりとか周辺のスポットをググったりしちゃったもん。
ヤングアニマルかよ俺、桐山を笑ってられん。

なんてこった。先輩棋士の大一番の勝負に居合わせながら、油断すると別の欲が浮上してきそうになってるなんてさ。



大海


“今の将棋界 宗谷以外でやっかいなやつが誰なのか、よく分かった。たいした棋士だよ”

さきの名人戦 解説に出向いた雷堂さんは、インタビューで土橋さんについて尋ねられ そう答えていた。華がないとか、真面目すぎるとか散々言いながらも、近々その人が脅威として己の前に立ちはだかることを理解していたはずだ。
一時期 タイトル戦は防衛側に歩があると囁かれもしたが、それはひとえに 防衛する側が死力を尽くしてきたからに他ならない。
そして 文字通り魂まで懸けて尚、いつかはその席を去るときがくる。誰しもが必ず。

「今日の指宿での対局や 今回の番勝負で、藤本先生が地元の方々や将棋ファンのみなさまに深く愛され……また 将棋普及に多大に貢献なさっていると、改めて実感しました。藤本先生のお人柄に遠く及びませんが 更なる精進を重ねていきたいと思います」

ペコリと頭をさげた新星・棋竜に続いて、雷堂さんがマイクを握った。

「…対局室から、鏡のような錦江湾がずっと見えちょりました。延々とここに留まっていたいと思わされる美しい景色でした。此度の失冠で地元の皆には不甲斐ない姿をお見せしてしまったが、…西郷どんが何度となく表舞台に返り咲いたように……この薩摩の雷堂も、必ず大海から舞い戻って 再び皆さんの目に勇姿を刻む次第です」

終盤 最後の言葉に向けて心の整理している雷堂さんを、モニター越しに皆が見守っていて。
彼がこの部屋に現れる前にと ファンたちは袖で顔を拭ってたが、声を震わせての挨拶を聞いて堪えられる人なんて 居やしないよな。

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