人を超えた存在と書いて、超人。
どの世界にも超人はいる。将棋の世界では言うまでもなく 宗谷名人がその筆頭だ。
彼が中学生でプロ入りを果たした年には各地で将棋ブームが起こり、タイトルを制覇した年には、伝説の偉人として皆が彼の名を口にした。将棋のイベントではことあるごとに、さあキミたちも宗谷君に続け!そう鼓舞されまくったっけ。
都合良く祭り上げてた存在は、同じ土俵に立った瞬間に ラスボスに変わる。俺の師匠の世代は瞬く間に宗谷さんに名人位やタイトルをかっさらわれていったし、土橋さんや島田さんは“宗谷世代”と一括りにされて、あれほどの実力を持ちながら日の目が巡って来ない。そしてひとつ下の世代に当たる俺たちもまた、かんっぜんに陰日向だ。
宗谷冬司という圧倒的な存在がどんなに強く眩しく臨していようとも、俺は俺なりの将棋でプロの世界でなんとかかんとかかじりついていこうとしてきたというのに。
神宮寺会長から電話越しに語られる 宗谷名人のある秘密に、今までよりも遥かに遠い頂を見上げたような気持ちになった。
『前に宗谷にさ、秒読みはどうしてんだって聞いたことがあんだよ。そしたら 読み筋辿りながら並行して時間計算してるって答えやがってさ。そもそも秒読み前に終わらせてるっつーか……アイツはほら、そういう奴だからさぁ』
「……それで宗谷さんとこに、雫が押し掛けてるってわけですか」
『望月の本音は俺にもなんともな。まあ、奨励会の持ち時間じゃ秒読みは避けられねえだろ?耳で聞かないヤツの指し回しを近くで見てえんじゃねえか』
雫は元々早見え早指し。ただあの耳の状態でどうしても不利になりやすいというのは、まあ納得できるけども。
だからって、会長に仲介頼みこんでまで、面識のない宗谷さんに会いにはるばる京都まで出向くか?
耳の治療ほっぽりだして。
また俺には、なんの相談もナシに。
「…ったくも〜〜何で取り合ったんすか会長!これから良くなるかもしんないって時期にアイツが治療半端にして、症状悪化させたらどうすんすか!?」
『だって望月にさぁ お願いされちゃったんだよ、宗谷紹介してくれ、どうしても頼むってさ。断れんだろ?でもまさか即日京都入りして宗谷に押し掛けアタックしてるとはね〜!いやぁさすが豪腕の攻め!いいねぇ大胆不敵で!ハハハッ』
会長笑っとる場合かーッ!がきんちょの“はじめてのお使い”見守ってる的な微笑ましさ醸し出さないで!
「けど宗谷名人にとっても、いきなり奨励会員が押し掛けたら迷惑になるでしょう?スケジュールも多忙じゃないすか」
『そこんとこは丸く収まったぞ。年明け開幕の獅子王戦、今年の挑戦者、辻井だろ?最近アイツ後手番で四間飛車じゃないやつ振ってたじゃんか』
「ダイレクト向かい飛車ですか。あー、たしかにあいつ、辻井さんの棋譜見て結構研究してたっけ……」
『最近よく見かけるようになった戦法だが、指し手もまだ少ないわ定跡も整理されてないわで、望月のこと話したら実験台にちょうど良いって宗谷が言うもんでな。あいつは簡単に他人を寄せ付けん お前の妹弟子は強運だよ』
「……昔と今とじゃ違うんすよ?あんまり若い子にやんちゃさせないでくださいよ」
『ん〜?望月がやんちゃに育ったのは喧しい兄弟子たちの影響なんじゃないのぉ?スミス先輩』
「待望の女性棋士候補だとか何かにつけてプロモーションしてきたのは会長でしょうが!」
『あ〜〜そうだった。メンゴ☆』
でもなスミス、ほら
原石は磨かなきゃ光らんだろ?
神宮寺会長の言葉に、二の句が継げなかった。
この人たちは嵐の中 そうやって凌ぎを削り合ってきたんだ どんな手段をつかってでも。
でも その原石が輝く前に粉々になっちまったらどうしてくれんすかって話ですよ、昭和の豪傑棋士め。
自信満々な励ましと共に切られた通話。真っ暗になった液晶を憎らしげに見つめていたら 画面が徐にパッと瞬き、あらたに表示された さっきまでの話し相手とはちがう名前。
指が止まった。
ふいに想像した 本人じゃなくて、まったく別の誰かが出たらどうしよう、悪い知らせなんじゃないか、とか。
だが、
『もしもし』
続けて俺の名前を呼んだのは、まぎれもなく雫の声だった。
『遅くにすみません』
いま、いいですか?
約二週間ぶりに聞いた彼女の声 安堵と同じだけの“なんで”が渦巻いて、胸が詰まった。
「雫 聴こえんのか?」
『はい。左側が少しだけ治ってきてるみたいで…』
「今 どこにいんの?」
俺の質問に対し、場所は言えないが ある棋士のお宅にお邪魔してる、次の対局までお世話になりながら指導を受けるつもりだと、雫は濁して答えた。
そうか…直談判はうまくいったのか。
桐山がそうしたように、お前も徹底して宗谷さんの事情は他言しないと決めてんだな。
お前は自分が砕けるのも厭わない覚悟でそこに行ったんだな。
「会長にだいたい話は聞いた」
『……スミスさん、本当にごめんなさい』
まったく 何に対して謝ってるつもりなのかねえ。
もし俺たちが恋人だったなら、包み隠さず打ち明けてほしいと思うだろう。そんな願望は、ただの同門の先輩後輩の関係なら抱かない。
今、雫をひとりの将棋指しとしてだけ見てやれんのは宗谷さんしかいなくて、俺ではお前を、磨いて光らせてやることが出来ない。
たったひとつ 俺にできることは、
「わかってるから。迷うな」
このたった一言をかけるだけ。
「師匠には俺からうまいこと言っとく。他の事考えずに集中しろ」
『…はい』
「正月明けの例会いつだっけ?7日とか?会場大阪だろ。場所間違えずに行けよな」
『はい』
「くれぐれもそちらさんの迷惑にならんようにな?あ、それと、そっちでも病院探してちゃんと通えよ!?」
『…はい…っ』
彼女の短い返事が、俺の耳には泣いてるように聞こえた。
俺にできることは、涼しいカオして彼女の帰りを迎えること。
たとえ俺たちふたりの間の何かが決定的に変わってしまったとしても、もう2度と前みたいに戻れなくても、それでも後悔しない道を選ぶこと。
「迷うな」
あーあ、この言葉って、後藤に言われたやつじゃんか。こんなときに受け売りかよ、俺。
原石の覚悟
「桐山っ 急ぎヘリを呼ぶぞぉ!」
「うわああ二海堂ストップ!!ヘリで京都に乗り付けたら望月さんのストレスマッハになるから!!島田さんの二の舞!!」
「ならばリムジンだぁ!」
離れた廊下で通話を終え、戻ったエレベーター前ではギャーギャー騒ぎ続ける桐山と二海堂の姿が。あーあー、若いっていいねえ。俺もあとほんのちょっと青かったら今頃京都に駆けつけてんだろーなー……なんて考えながら、自販機ありったけの小銭を投入して、ホットの缶コーヒーのボタンを連打した。あ、そういや二海堂ってコーヒー飲めたっけ?
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