退院お祝いはまた後日でもいいしょうか?この雨ですし、スミスさんも大事な対局の最中ですし。

そう 一砂さんへお食事の延期を申し入れをした後、久しぶりに帰ったアパートの部屋は、素っ気なくわたしを迎えてくれました。
お見舞いのお花を飾ったばかりの窓辺。ガラスをつたう雨垂れ。まるで、深い海の底のよう。

きこえてないのが水中にいるときの感覚によく似てることを、最近わたしは知りました。海に潜ったときのように自分の声が身体に鈍くこもり、頭上で不思議な機械音が響き続けているみたい。
雨の音すらここには届かない。
ここにはいられない。
携帯電話片手に、わたしは持ち帰った大きな荷物を再びしょいこみました。


年の瀬が先でも、新幹線のホームって こんなに混むんですね。
お目当ての列車になんとか飛び乗って、電光板を確認。目的地までは2時間と少し あっという間に着いてしまうものなんだなぁなんて、他人事みたいに考えてたりしてしまいます。灰色のビルの群れを見送って、かばんの中の詰将棋本を取り出す。
この81マスでできた世界に、わたしの夢が詰まっています。


スミスさん。
あなたが昨日呟いたこと、じつは左耳に ほんのすこし届いていたの。
言い出さなくてごめんなさい。
やるせなく掠れたあなたの声がはじめてで、わたし 黙ったまま居てしまいました。
あなたが将棋に集中するための時間を心配事に費やさせてしまった自分が情けない。悲しい言葉を言わしめた自分が憎らしい。

「お前が元気ならそれだけで充分だって思っちまうんだよなぁ」


音をなくしたわけではありません。
わたしのききたい声は、これからも変わらずにあなたの中にある。けれど、いまのわたしには“聞く”ちからが弱すぎる。
あの辛い呟きが最後に聞くものになってしまうなんて、そんなのイヤです。せっかく記憶に閉まっておくのなら明るいのがいい。一砂さんや横溝さんたちとはしゃいでいるときの、楽しげな笑い声がいい。
そのためには荒野を進むしかない。

この世界には、ことばや音じゃない方法で対話をするひとがいるってこと、幼い頃から見てきた。
盤上で。
ならば答えもまた 同じ盤上にあるはず。



そうして、京都へ降り立った頃には、空は雪に変わっていました。
雨で輪郭の緩んだらしい街が雪化粧をしていて、もともと情緒深い土地なのでしょう はじめて来たわたしにはよくわかりませんが、とても静かで美しくえます。
いつかアパートの窓辺で見た 白い鳥の羽のような雪でした。

知らないまちでひとり、観光の案内標識と住所のメモを頼りに歩く道。視界に入る古い街並みも気に止めず、目的のお宅だけを探して黙々と歩き続けると、案外そのお宅はすぐに見つかりました。
風景に馴染む古いお屋敷。なんだか懐かしいような“ピアノ教室”の看板がちょっと意外だけれど……こちらで本当に合っているのでしょうか。

躊躇しつつ、呼鈴を、一度だけ。

「…」

お留守でしょうか 失礼と思いつつ もう一度チャイムを鳴らそうかと迷っていると、やおら戸が開いて。

「すみません、お待たせしました」

中から現れたのは、見知らぬ女性でした。

「えっ」

咄嗟に出た声が意外にも大きくて、わたしは動揺のあまり「あの、まっ 間違えました!」その場からそそくさ 踵を返してしまいました。

下ろしていた傘を持ち上げ、慌てて白い足跡を辿り直します。
いまの女性はどなたでしょう。ヘルパーさんやお手伝いさんに見えなくもなかったけれど、少し雰囲気がちがうような。
まさか 宗谷名人ってご結婚されてたの!?それともご親戚?神宮寺会長、なにかおっしゃってたっけ?
会長にお聞きしたご住所を今一度確認してみても、やはり番地に間違いはなく。むしろ、浮き世離れしてる将棋の神様が、どこかのまちで普通に暮らしているという事実にもいまいち実感がわかなくなってきます。どうしよう。参りました。
大きな荷物を背負い、うろうろ。雪も強く降ってきているし 心細さも増してきました。

本当に どうしよう……

そのとき、銀閣寺の近くに差し掛かった 向かい側の道をふと見やった瞬間。コートのポケットに手を入れて歩くシルエットに、目を奪われました。


神様 見つけました




なんでこういう日に限って対局長引くかな。なんとか勝ったけどもさ、も、ぐちゃぐちゃの混戦。ぎりぎりの辛勝でしたよ。マジ疲れた。
遅くまで中継室で検討していたらしき桐山&二海堂とエレベーターを待ちながら、スマホの電源を入れる。時間も時間だ おまけにこの雨だし、退院祝いもとっくに終わっちまってるよな。

…お、連絡来てるじゃん。


スミスさん、対局おつかれさまです。
突然ですが、今日からしばらく出かけます。
将棋の修行で東京を離れるつもりです。
落ち着いたら改めて連絡します。
どうか心配しないでください。


「………は??」

ちょっと待ってちょっと待って。
東京を離れる?
なにそれ。どゆこと?
字面からして実家に帰省するって雰囲気でもないよな。っていうか今晩って、退院した後いっちゃんたちと飯行く予定じゃなかったの?
雫に電話…は、かけても出るの厳しいか。
押し掛けた通話ボタンを戻り いっちゃんに電話をかけてみたけど、このことは寝耳に水の出来事らしい。

「どうしました?スミスさん」

へなへなとその場にしゃがみこんだ俺を気遣ってか、桐山と二海堂がこちらを見上げてくる。

いやいや、どうしたもこうしたも、何が起きてんのかサッパリだよ。

まてよ…こいつら雫と仲良いし、ひょっとしたら、なんか知ってるかもしれん。ちょっとした希望を抱きつつ二人にスマホの液晶を見せたが、反応をみる限り、桐山も二海堂も知らない様子で。

「修行だとぅ!?いったいどこへ!?」

「っていうかこれ、現状、望月さん行方知れずなのでは…?」

「行方知れず!?それは大変だっ!花岡っ!」

「はい 晴信ぼっちゃま」

二海堂にお供していたじいやさんが呼び掛けに頷くと、背を向けて ノートPCを開いてカタカタと作業をし出した。ほんの数分後だったろうか。「望月様は現在 京都府左京区銀閣寺町周辺にいらっしゃるご様子です」と、じいやさんが俺たちに告げたのは。

「京都!?」

「つーかなんで判るんすか!?じいやさん!」

「実は いざというときのために、お見舞いの筆談電子パッドにGP…ウォッホンゴホゲホンッッ」

「魔法みたいでしょう!うちのじいやは困ってる人の居場所がすぐわかるんですよ!(エッヘン)」

エッヘンじゃねえー!
お前んとこのじいやさん今GPSって言いかけたよね!?俺の好きな子、知らぬ間にめっちゃ監視体制敷かれてたんすけど!!

「なんで京都?くっそ 何起こってんのかまったくわかんねー…!」

「…あれ…ちょっと待てよ…銀閣寺?」

「桐山なんか心当たりあんの!?」

解析された場所は京都 銀閣寺周辺。
寄せた眉間を隠すように眼鏡をクイッと指で押しあげて、桐山はどこか濁した応え方をしたのだった。

「……神宮寺会長なら、望月さんの居場所を知ってる、かもしれません」

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