年の瀬。ハッチと望月が勝手にとりつけた約束は、当然ながら棋士仲間に広まっていた。
「どうなってんの?ハッチいつから望月に惚れてたの!?」と、いっちゃん。
「意外だよなー、ハッチ。それ以上に望月も話に乗るって意外だよなー」と、ヨコミゾ。
「賭け勝負で三角関係…三角…ミスミの三角関係…フフ…」
と、言わずもがな辻井さん。
あーもーこの非常事態に真冬の海に突き落とすような洒落、も、勘弁して!!
「どうしようスミス!もし望月が東のイライラ兄妹になっちゃったらああっ」
「いっちゃん縁起でもないイメージ膨らませないで!ダークサイドの検討はナシ!」
そんなこんなで、暇してる独身棋士が気になってギャラリーに押し掛けてきているここMHKで、波乱の番組収録がはじまろうとしていた。
一門対決
控え室を出た望月の後ろ姿を追わなければ、俺はいつもの制服姿の女の子を探してうろうろしてたかもしれない。
自販機の前で声をかけるのに戸惑った。話したいこと以上に、今日の望月が普段とちがうから。
どことなく大人びて見えるのは、着物のせいか髪を編み込んでるせいか…それともうっすらと化粧をしてるせいか?いずれにせよわからんが、派手な色とか大柄とか 目を引く髪飾りをあしらったりしないところがいかにも望月らしくて、とにかく、なんつーか………かわいい。
こんな日じゃなけりゃ、晴れ着姿をちゃんと、褒めたりしたかったのに。
「あ、あのさー 望月」
「なんでしょうか?」
「あの賭け勝負、意地の張り合いってことでハッチに謝ってちゃんと解消しとけよ?揉める前にさ」
ピッ ガタン
望月がわずかに屈んだ拍子に、肩のあたりの模様が目に入る。淡い乳白色の生地に、よく目を凝らさないとわからないくらいに淡く、桜模様が施されていた。
「意地じゃありません。本気です」
受け口から取り出されたのは、ホットのブラックコーヒーで。プルタブを引かず 中身の入った缶を両手で包みながら、望月は俺にこう訊いてきた。
「スミスさんは、今日の収録 勝ちたいって思いますか?」
望月の声色は反抗的な抑揚を含んでいるような気がした。
「わたしに…これからも変わらず妹弟子でいてほしいって、思いますか」
勝ちたいか?
お前と兄弟子妹弟子の関係のままでいたいか?
その質問には―――今の俺は答えられない。
「…ごめんなさい。ずるいですよね。いつもこんなふうにスミスさんの優しさにつけこんだりして」
沈黙のあいだに、常の彼女の 優しい声が織り重なってくる。
「でも…今日の対局は師匠とスミスさんと横に並んで一緒に指せる。わたしひとりじゃ勝てない勝負も、3人なら必ず勝ちにいけるって、そう信じられるんです」
望月は瞼をふせて微笑んでみせた。
そしてすぐに表情を棋士のそれに戻すと、それ以上何も言わずに俺の脇をすり抜けていった。
*
「それでは一門対局、よろしくお願いいたします」
普段の対局とは毛色のちがう、テレビ番組での仕事。女流 棋士 プロ棋士の兄弟子 師匠の順番で、数手ずつ指して交代していく。
先手はハッチ側 やつらの一門が軒並み早指しを得意とするぶん、こっちは分が悪くもある。
うちの一番手の望月は、序盤の数手を、振り飛車ではあったが 彼女らしくない戦型で指した。
それがどういうわけかは、俺が交代して盤の前に座したときに、その真意に気づいた。なんて指しやすい形なんだ、って。
あいつが攻めの棋風をぶん投げたのは、手番を引き継ぐ俺や師匠が受けやすいようにとの選択だった。
かたや、ハッチにとって十八番の超速も、前の指し手がつくる戦型と噛み合わなければ失速せざるをえない。段々と顕著になる 舌打ちと貧乏ゆすり。軌道修正するために早い手を決めれなくて苛立ってる、そんなとこだろう。
せっかく妹弟子が信じて開いた道をムダにしない。 とことん受けきってやるとするか。
望月、お前の近くにいるつもりで、俺、実はわかっちゃいなかったんだ。
その淡くて目立たなすぎる着物の色も、重い色を好まない俺や師匠に合わせてのチョイスだったんだよな。
飲めないブラックコーヒーを間違えて自販機で買っちまうほど緊張して、あっつい缶握りしめても指先を震わしてたお前に、兄弟子としてかっこ悪ぃとこは見せらんねーよ。
ハッチてめー、負けたら望月のこと下の名前で呼ぶのやめろよな。俺だって我慢して名字呼びしてるんだから。
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