会館の一室で、俺たちはいつものようにタイトル戦の中継と継ぎ盤を交互に眺めていた。
モニターの奥の宗谷名人は顔色ひとつ変えずに駒を進めていく。ホントにこの人同じ人間なのかよと 一手が繰り出されるたびに思う。将棋のこと以外考えたりすんのかな、趣味とか恋人?のこととかで悩んだりすんのかな。そうは見えないけども。

「後手が指しやすそうじゃないか?これ取ると…」

「ですが、7五歩から…」

いっちゃんの隣には、真剣な表情で盤面を見つめる望月がいる。俺の視線に気づいたのか、向こうからさりげなく目線が逸らされた。
なんつーのかな。心なしか最近、避けられてる気がする。理由はわからないでもない、が。

「スミスはどっち持つ?」

「え ああ…」

横溝に形勢を振られて現実に急浮上した。あれ、さっきから会話もまともに耳に入ってなかったかも。

「どした?」

「悪い、ちょっとボーッとしてた。気つけにコーヒーでも買ってこよっかな」

“チッ”

その矢先に聞こえてくる、大げさな舌打ち。
誰だか聞くまでもない 蜂谷すばるだ。
歳が近いだけあって、俺たちとハッチはガキの頃からしょっちゅう顔を合わせてる。にも関わらず奴は輪に加わって馴れ合ったりしないし、こうして中継室でも、少し離れて棋譜を並べている。触らぬ蜂に祟りナシだ こっちとしても不満はない。

「…集中しねえなら居るなよ…」

間違いなくハッチのその言葉は、集中できてない俺への悪態。そうだよな、そりゃ、俺も自分でもそう思うわ。

この狭い部屋で聞こえないわけもなく、空気がどっと悪くなって。場を和ませようといっちゃんが慌てて話題を変えた。

「そ、そういやさ!蜂谷も一門対局出るんだって?」

一門対局。
それは例年お馴染みになったMHKの特別番組で、将棋の師弟一門から師匠・弟子の若手棋士・女流プロの三人が代わる代わる指す、リレー式の対局だ。
今年はウチの門下に声がかかり、師匠と俺と女流玉座の在位経験のある望月が出ることになってる。
対局相手となる一門が、なにを隠そう ハッチのいる一門なのだ。

「フン。停滞してる一門連中に負けるか」

停滞してる連中てオイ、それもオレのことですかい。今日はやけにブンブンくるな。
息巻いて部屋から去ろうとするハッチだったが、「蜂谷さん」と後ろ姿を呼び止めたのは、他でもない望月だった。

「来週の新春一門対局、蜂谷さんたちには負けません」

え、いま望月、目上の人間に、棋士相手にマウント取った?まさかの光景に目を疑った。

「ハッ ウチの一門の棋力は知ってんだろ。三段リーグも抜けられねえ奨励会員が粋がんじゃねえ」

「団体戦なら勝敗は分かりません!絶対に勝ちます。負けたらなんだって聞きます」

「ハッ…なら負けたらウチの下っ端になれよ雫」

は?
俺もいっちゃんも横溝もそろって一瞬間抜けた顔になる。
いま、負けたら師弟関係鞍替えしろって?んな無茶苦茶な。
てかハッチ、望月のこと下の名前で呼び捨て?
まさか望月に気ぃあんのか?


「わかりました。こちらが負けるようなことがあれば、あなたの妹弟子にでもなんでもなります」

「は!?」

な、なんですって!?

望月が真一文字に唇を結んで頷いたことにより、普通ありえない提案が、予期せぬ波乱へと変わっていく。

「そちらが負けた場合は、えーっと……ハッチさんが持ってるってウワサの クレープ専門店“フロル”のフリーパス譲ってください。それでどうですか?」

「ああ。それで構わねえ」

来週忘れんじゃねえぞ、雫。

まんざらでもない表情を俺たちに見せつけて、あばよとハッチはピシャリと戸を閉めて去っていった。

イライラ王子に宣戦布告


「…ということになってしまいました。スミスさん」

「ちょ、ええええーーー!?」

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