シュッ、シュッ、ポーッ

パッフィング・トムの奏でる蒸気音を聞きながら、乗車ついでに買った地方紙に、目をくべる。
華やかな造船島に絶えないスキャンダルの数々 それらを片隅に押し込んでの、本日の一面大見出し記事の内容は、こうだ。


未来を駆ける“パッフィング・アイス“ 海列車2号船 構想発表

○日正午、W7市長兼ガレーラカンパニー社長のアイスバーグ氏はリグリア広場で記者会見を開き、ガレーラカンパニーでの海列車“パッフィング・アイス“の制作を発表した。アイスバーグ氏は、海列車の2号船となるこの“パッフィング・アイス“が、温泉観光地セカン島をはじめとした周辺の島々を結び、人と物の流通のあらたな架け橋になると語る。また、今回の計画は副社長に就任したパウリー氏に全権を委ねられ、設計主任に一番ドックのフレア氏が起用される旨も発表された。アイスバーグ氏、パウリー氏、フレア氏のインタビュー全文は二面に続く――――


紙面を広げようとしないわたしに、「読まねェなら貸してくれよ」斜め向かいの席から葉巻の煙に交じって不満気な声が届く。
パウリーはただ、ヤガラレースの結果が気になってるだけでしょう。その新聞はわたしがお金を出したんだからわたしのもの。
そんなしかめ面じゃなくって、尊敬する社長と肩を並べてるときと同じように 今もっとニコニコしてくれてたら、貸してあげなくもないのに。

「葉巻吸うんだったら窓を開けて」

「寒ィだろ」

「なら吸わないでよ」

この男はこれだから困るのだ。
車窓を全開にして、肘をもたげて夜景を望む。波のない静かな海、素肌をひんやり包む潮風に髪が遊ぶ。遠ざかるサン・ファルドの街は、大粒の宝石をいくつも連ねたネックレスみたいにきらきらと輝いていた。

シュッ、シュッ、ポーッ

日付が変わる間際のウォーターセブン行き最終便、 普段ならお酒の匂いと艶やかないでだちの人々の行き交うコンパートメントは、今夜はどういうわけかわたしとパウリー以外の人影がない。恋人同士なら甘やかなシチュエーション、けれど新聞を手から奪って「クソ」と小さく舌打ちするパウリーとわたしとでは、ロマンチックな雰囲気には程遠い。
今回のヤガラレースで、彼にはさらにいくらの借金が上乗せされるんだか。
スカートの裾をわざとらしくひらりとさせて脚を組み直すと、パウリーはわたしを……正しくはわたしの太腿を条件反射で見、直ちに視線を泳がせていた。
肩と脚を露出させた今夜の赤いワンピースドレスは、どうやら向かいの人のお気に召さないらしい。だからって、そんなに目くじら立てなくても。

「なにをそんなに怒ってるの、副社長さん」

「わかってんだろうが」

「そんな顔しなくても、図面なら明日の午後イチで仕上げるってば」

「違ェよ!!しらばっくれやがってこの」

ハレンチ女が。
ボソッと呟いて、険しい顔を窓辺へ向けるガレーラの若頭。
副社長に昇進してもパウリーはパウリーでいつまでも堅物なまま、わたしもいつまで経ってもただの生意気な仕事仲間のまま、駆け引きも何もあったものじゃない。こんな状況じゃハニートラップのひとつも仕掛けたくなる。

「パウリーがサン・ファルドまでついて来いって言うから、可愛い服をおろしてきたのに」

「おれはスポンサーへの挨拶だって言ったぞ」

「おめかしして出席するのも立派な仕事のうちでしょ。それに、遅い時間のパーティーだし、てっきりあっちで一緒に宿をとるものだと思ってた」

「バッ!フレア、いつからンな」

「やだ。なに想像してるの」

「…テメーなァ…!」

「ハレンチなのはそっちじゃない。セクハラです」

ぴしゃり。
とどめの常套句を放ち、それが誰の口癖だったかって、ふと我に返ったのは言い終えた後。そう、こんな風に、下着が見えないギリギリのラインで脚を組む方法を教えてくれたのも彼女だったっけ。

あたらしい葉巻に火をつけようと パウリーは既にわたしから顔を逸らしている。


シュッ、シュッ、ポーッ

海列車はわたしたちふたりを乗せて、我らが麗しの水の都へと帰る。
無言劇は続く。見慣れた街の灯りが水平線に現れてくるのと反対に、長身の同僚らと足をぶつけあって乗り合わせていたあの記憶が、次第に遠ざかっていくような気がした。
ふたりで座る四人掛けシートは広すぎると、わたしは席を立った。



《まもなくウォーターセブン、ブルーステーション。ブルーステーション。この便は本日の最終便となります。海列車はこのまま車庫に…おや、これはこれは一番ドックのフレアさん、何か御用で………って、グハぁああっ!!》

車内アナウンスの途中で車掌さんの悲鳴が混じり、ガタン、蒸気機関船が急停止。窓越しの風景も静止した絵画に早変わり。
すまし顔でコンパートメントに戻ると、パウリーが腰を上げてこちらを睨んでいた。

「なんだァ?お前、車掌に何した」

「ちょっと気絶してもらっただけ。まだ帰りたくないの。」

「あぁ!?笑えねェ冗談言ってんじゃねえよ」

「冗談なんかじゃない。…ねえパウリー、ちゃんと見てよ」

力で押してもびくともしない相手でも、こちらが上を取ってしまえばいいのだ。元の座席じゃなく パウリーの膝に跨がれば、彼はぎょっと目を丸くし、全身強張らせて葉巻をボロリとスーツに落としてしまった。あーあ。まぁ、その黒いスーツは借金取りみたいだから、いずれにせよ買い替えたほうがいい。

「フレア、離れろコノヤロ…っ!!」

「ちゃんと見て。もう大人よ」

「フレア!」

「それに」と、大きな掌を取って、露出したみずからの肩へと触れさせる。

「きれいに塞がったでしょ。肩の傷も、太腿の傷も」


パウリーが喚くのをやめると、がらんとした車内に、波の音が静かに響いた。
仲間だったあの人たちに受けた傷は、この夜の明かりの下で見つかることもないだろう。職人の分厚い手のひら越しには、脈打つわたしの鼓動だけが伝わってるはず。

いい加減気づいて。
あなたと一緒なら、傷はちっとも全然痛まない。

常時緩められてる襟元に両手を重ねて、そっと額を寄せてみた。しこたま飲んでた甘いリキュールより、しみついた葉巻の匂いより、がっしりした身体中にどっくんどっくん早鐘を打つ彼の心臓に、胸が締め付けられる。
パウリー、わたしに黙ってあなたがロケットマンに乗り込んだあの夜。もう二度と島に戻ってこなかったらどうしようって、それがいちばん辛くて怖かったんだよ。みんなの裏切りよりも何よりも。

活気を取り戻したこの水の都で、わたしたちの生活は続いていく。
真相を知るアイスバーグさんやあなたが、いなくなった人たちの名前を語ることはない。殺し屋だったという彼らが、今生きているのかさえわからないけれど、海列車2号船が完成したあかつきには、その知らせをニュース・クーが遥か遠くの島々へと運んでくれるだろう。
もし生きてるようなら、あの人たちにはこの島で過ごした日々を思い出させて、うんと後悔させてやるの。

「ねえ、キスして」

「…馬鹿野郎、おれァ偉大なる海列車でンなふしだらな真似はしねェ」

「じゃあベッドでならいいの?」

問えば、耳まで真っ赤に染めるうぶなガレーラの若頭。
それなら愛しのトムにありったけの石炭をくべて、全速力で帰りましょう。明日の新聞で、とびきりスキャンダラスな記事になるのも悪くないじゃない?


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最大速度を今は止めないで。


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