シカダイが自宅へ帰ったその日の夜。なのかは地面とくっついて離れない足を器用に折り曲げて、何年かぶりの星空を見上げた。
森の外の様子がこの十数年で様変わりしたとシカダイに聞いても 森の中で生きるなのかに実感がわくことはない。月のあかるさも、春の宵のひやりした風も、背中をくすぐる草木も、いつもの春の光景だった。
けれど何事も、朝になれば現実が顔を覗かせるもの。
なのかの菜の花畑に朝日と共に訪れた客が、それを物語っていた。



「久しぶりだな」

男の低い声がして、なのかの寝ぼけ目はある人影を捉えた。
ちょんまげ頭に猫背のシルエット。しかし今度は奈良シカダイではない。目があったのは、昨夜の三日月のように細い黒目だった。

「…なんですか。顎髭なんて生やして」

ようやく絞り出された再会の第一声の なんと意固地なこと。

「変か?」

返事がかえってきて、なのかの心臓を早鐘を打つ。
夢じゃない。

「老けましたね、シカマル」

「そりゃあ二十年も経つとな。変わらねェのはお前位だよ」

シカマルは眉間にシワを寄せて軽く笑った。


何十年かぶりに顔を合わせたというのに、再会とはこうもあっさりしたものなのだろうか。他に比較対象が存在しないなのかには想像しがたい。
もしも自分がほんとうの人間だったなら、こんなとき、涙を流したかもしれない。眼に滴が光らなくとも、なのかの胸に宿る痛みは、すでに植物が持ち得るものではなかった。

シカマルは荷物の中から着類を取り出すと、昔のようになのかに手渡した。以前なのかが腕を通した綿麻の浴衣ではなく、藤色の、丈の短い衣服だった。
まじまじと眺めながらも、なのかはシカダイの上着のチャックをきっちり首まで締め上げる。気を効かせたつもりでしょうが相変わらず鈍いんですね アナタこれ奥様のものでしょう?なんて問う気分にはなれなかったのだ。

「シカマル、あなたの息子さんに会いましたよ」

「ああ。シカダイから聞いて来たんだ」

「大人しい子でした」

「だろ?」

「シカマルより美形でした」

「これから森はあいつが面倒を見る。仲良くしてやってくれ」


なのかの頭に、以前シカマルから教わった世代交代の四文字が過った。
自分が眠りについている間にシカマルがどんな風に生き、今何をしているか 彼に聞きたいことは星の数より多い。
そのうちの、かねてより一番知りたかった疑問についてを投げ掛けた。

「シカマル、人間は、なぜ生きるのに意味が必要なんです?」

懐から煙草を取り出そうとしていた顔をあげ、シカマルはなのかと正面から見据えた。

「菜の花だった頃の私は、太陽の下に揺られて、月の下に眠ればいいだけでした。でもそれだけでは、この人生は長すぎる」

姿かたちが出会った頃と変わらずとも、いとけない面影はどこへやら。シカマルへと注がれる眼差しは、一人の悩める人間だった。
節くれだった指先で以てシカマルはなのかの頭を一度撫でた。

「…ほったらかしにして悪かった」

何故か詫びを入れながらもう一度。
妻子に触れるよりもたどたどしい仕草であった。


* * *


十数年越しの再会を経て、なのかは再び春の季節に芽吹いて花を咲かすようになった。
多忙極まるシカマルが顔を出すことは滅多になかったが、一族の人間たちの手によって森の平穏は守られた。シカダイは気だるい態度を見せながらも要領よく鹿たちの世話をこなし、なのかのよき話相手になった。
シカダイの他に、なのかにはもう一人、女の友人が出来た。
女ながらも豪気で気高くうつくしいというのが、なのかがテマリに出会った日に抱いた印象だった。よくできた奥方で、身構えていたなのかも これはシカマルが選んだのも納得できる、と密かに頷いたほどだった。
テマリが森での務めの折に菓子やら何やらを手土産に訪問してくるのが、なのかにとって、いつしか楽しみのひとつに変わっていった。


ある真夜中のことだった。

どういうわけかその夜はなのかの目が冴えて、いっこうに眠りにつくことが出来なかった。しかたなしに頭の上を通りすぎる満月を見送っていると、誰かの囁きが地を這うように響いてきたのだった。

「ゲハハハ…なんつーザマだよ」

シカマルでもシカダイでもなければ、幻聴でもなかった。
かつて花であった彼女の潜在的な感覚が研ぎ澄まされる。これは自分と同じで、普通の生き物ではないもの声だと。

「あなたは…」なのかは自分の足下を注意深く見つめた。

「オレの血をくれてやったってのにだらしねー顔しやがってよォ」
さらさらと土を撫でると、
「さわんじゃねえ!気色わりーんだよ!」声高に不満が叫ばれる。すでにこの世のものではないのに、ずいぶんと元気だ。

「てめー、あいつに惚れたってかァ?笑わせるぜェ!ここに咲いてるだけの花のくせしてよォ」

「私はもうただの菜の花じゃない」

「だからオレの血肉のおかげだろーが」

「あなたはとっくの昔に腐ったはずじゃなかったんですか?」

「あア?バカ言ってんじゃねえ。まだジャシン様にあいつを捧げてねーのに、こんなトコで死ねるかよ」

人間的に考えてこの男が父にあたると考えてみても、どうにもむず痒いものがある。嫌悪感が胸に立ち込めるのに、それでも憎めないのはなぜだろう。

「オレだったらあいつを一発で仕留められるっつーのに、てめーは何十年もチンタラやってんだよ!早くあいつの命を奪え」

「私はあなたの手足じゃありません。シカマルにそんなこと、したくない」

「じゃあてめーはなんだってんだ?」

生前のこの男の生き方は単純明快で、自分の神を信じて祈りと身を捧げてきたのだった。ゆえにこうして今も、最後に神に捧げると誓った標的に半ば縛られてるように執着している。
彼にしてみれば、なのかの生き方は無味乾燥なものに見えるのかもしれない。
そういえばシカマルは以前、老後は悠々自適に暮らしたいと漏らしていた。自分の息子が一人前になったら、と。シカダイにも、それなりに将来の願望があるらしかった。
では、自分は。

「私は…あなたとは違う。待ってるんです」

「待つだァ?」

「待っているの。時を」

「違ェな!てめーはビビってここから抜け出てかねェだけだろうがよォ!」

わめき声は雨のようになのかに降り注いだ。旋毛に生えた蕾が開かぬよう押さえつけて、なのかは執念の雨に耐えてじっとしていた。煙をくゆらせたシカマルを、瞼の裏に思い描きながら。

あと少し、あと少し。もう少しと。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -