桜はせっかちだ。
前の春よりも足早に咲こうとする。
開花、満開、散り際 どれをとっても女のように慌ただしい。

女といえば 春も当然のように忙しい。
今日は約束があるからと、奈良家の嫁はくのいちママ仲間と花見に出掛けてしまった。
早々に見限られたシカダイは、父と揃って縁側に胡座をかいている。
久しぶりの非番、悪くない。縁側から眺めるしだれ桜、悪くない。花見の人混みは好かないからちょうどいい。

シカダイがひとつだけ不満なのは 先程から微動だにしない盤面だった。

「で?」

「だから居なくなっちまったんだ。急にな」

多忙の父が珍しく明るいうちに帰宅して「久しぶりに一局どうだ」なんて珍しいと思ったら、父は自分の手番にやおら長話をはじめて。
それからというものこの将棋は全然進まなくなってしまったのだ。
なのかとかいう名前の、人の形をした菜の花って。
なんだそれ。

で?


「んで…数日して お前の母ちゃんを連れて森に言ったんだが、なのかはいなかった。その次の春も、そのまた次の春もアイツは何でか姿を見せなくなってな。それきりだ」

まだ続くのかよ。思い出話はいいから早く駒動かしてくれよ。愚痴は心にとどめ 適当にシカダイは適当に相槌を打つ。

「枯れたんじゃねェの?」

「そうかもな…俺たち人間にゃ判らねえこともあるってこった」


そもそも無駄話をしない父がなんでこんな話を持ち出したのか、シカダイには父の真意がわからなかった。正体未確定の生物に関する知識?それにしては脈絡もない。持論の男女観?いやいや違う。
むしろ墓穴もいいとこだ。
里の頭脳と名高いくせして、シカダイの父は女心にはめっぽう鈍感なのだ。母のイメチェンに気付かずに後ろ頭を睨まれてるのと同じで、そのわけのわからない生物にヤキモチを焼かせたことすら 今になっても自覚していないに違いない。


「それからは…」

「つーか親父、いい加減次指してくれよ」

「まあ待てよシカダイ。何も年寄りの気紛れでこの話をお前に聞かせたわけじゃねえんだ」

「じゃあ何」

「今日から森の巡回はお前一人でやれ」

「オレ一人で?」

仕事を一人で任されるのは悪くない。ただそれにしても、鹿角採集の繁忙期が落ち着いた時期にまた 森か…
しかし口癖を呟く前に、まだ上手のシカマルはシカダイを将棋盤越しにからかってみせる。

「そうだ。面倒くさがらずやれよ?」

家の外の顔ではなく、呑気な父親として顔で。

「まあ 現れる可能性は低いがな…万が一森で裸の女に会っても お前ヘンな気起こすんじゃねェぞ」

「まさか。ンなガキじゃねえよ、もう」


もうガキじゃねぇよ。
今のシカダイの歳には 母は砂忍一の風使いになってたし、父は暁とかいうヤバイ組織を相手にしてたと聞く。
その二人の間に生まれたシカダイは、正真正銘のサラブレッドだ。おまけに一癖も二癖もある幼馴染み二人と幼少から下忍時代までを共に過ごして、大抵のことでは物動じしない性格に育った。

目付きとタフさは母親似。
ただし 祖父の代から奈良一族の男が受け継ぐ女難の相からは、シカダイも逃れられなかった。
一族の森を管理するようになって 次の春、シカダイは、父が話していた例の菜の花と出会すことになる。


* * *



所帯を持った。
シカマルの口からそう告げられた日の夜、なのかはすっかりひしょげて 月にそっぽ向いていた。

明日には、シカマルが例の嫁を連れて来るかもしれない。そしたら一体どんな顔をして会えばいい?
ええい、ままよ。
なのかは半ばやけくそに、体を折り曲げて頭から土の中に潜り込んでいった。そして太陽の届かないくらい寝室で体を丸めた。
自分はこの森の一部で、奈良シカマルはこの森を管理している主。そのままで良かったのではないか。他に何を望む?
人の心がこれほどまでに醜いなら、心など持たずに花のまま無邪気に咲いていたかった。

涙のかわりに雨を伝わせ、息のかわりに種を吐き、なのかの意識はやがて遠退いていった。



それから季節が何巡したかもわからない。

なのかが瞼の裏に光を感じ、次に目覚めたとき。あたりの木々はてっぺんが見えない程に高くなっていた。

寝坊したかな。
くらくらと重たい頭を支えながら、なのかは土の中に両手をつきだして体を空気にさらした。
陽は穏やかとて風は冷たい。
自分よりも先に芽吹いていた菜の花たちに埋もれるようにして、素肌をあたためる。
朦朧としたまま森の声に耳を傾けるも、今朝はなぜだか 木々の声がわからない。聞こえてくるのは木の葉が擦れる音と、ひとりぶんの足音だけだ。


「…シカマル…?」

木立を掻き分けて向こうからやってくるちょんまげ頭の人影に なのかはとっさにある名前を呼んでいた。けれど姿を現した青年は なのかが記憶するシカマルとは随分様子が違っている。
シルエットが瓜二つでも、目は違うのだ。こちらに気付いた青年の目は、深緑の大きな瞳をしていた。

なのかは僅かに身を引いた。

「…話に聞いてたけど、マジで居たんだな。アンタ」

「アンタじゃありません」

思わずむっとなって言い返す。「わたしはなのかです。あなたは誰です?」

「オレはシカダイってんだ」

「シカダイ」

「そ」

「奈良シカマルではなくて」

「オレは奈良シカマルの息子。似てるだろ?」

確かに似てる。けれど。
頷きたいような しかし真逆に頭を振りたいようなまぜこぜの感情に襲われ、結局なのかにしかめ面だけを返した。
人間のこどもは植物のようには育たないと聞いていたが、なのかの目の前にはシカマルの息子が それも記憶の中のシカマルと同じ位の背丈でそこに立っている。
シカダイの端整かつ気が強そうな顔立ちは もうほとんど、大人だ。
ふてくされて眠ってる間に世界がぐんと大きくなってしまったらしいことに なのかは唖然とした。

そんななのかの様子を静観していたシカダイだったが、いよいよ目のやり場に困りはじめていた。素っ裸の女の子が前を隠しもせずに自分をまじまじと見つめてくるのだ。あまりいい感じはしない。
父から話を聞いていようとも、女の体を前に自制心を失うほど未熟じゃなくても。やはり色々参る。

「これ、着てくれよ」

シカダイは白い上着を脱ぐと、なのかに向けて差し出した。
彼女はしばしシカダイと上着とを交互に眺めていたが、ゆっくりと腕を伸ばし、服を受け取る。
目新しい生地でも 身を包むとなんだか懐かしい匂いがした。

「ふふ」

「なんだよ」

「シカマルそっくりです。親切か投げやりか、よくわからないところ」

なのかが笑った瞬間 彼女の頭の蕾が またひとつ開いた。




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