「おい、菜の花」

「はい」

飛段の眠る土の上に人型の菜の花が咲いてからというもの、このやり取りは毎日繰り返されている。
出会った日 シカマルは家から母の古い着物を持ってくると、ぶっきらぼうに呼び掛けて菜の花におしつけた。
帯紐の結いかたも知らぬくせに 花は「はい」とちいさく返事して、嬉しそうな笑顔を向けるのだった。

次の日、シカマルはヤマトと山中いのを連れて奈良家の森を訪れたが、菜の花畑の一輪に起きた異変をつきとめるには至らなかった。植物の力を得た人間と、人間の形を得た植物では そもそも根本から違うらしい。
菜の花は人の食べ物を与えても受け付けず、水と日の光を好み、一晩で目に見えるほど背を伸ばしていた。
その日わかったことといえば、菜の花が里に害をあだなすような危険性はないだろう、ということ位だった。


さらにその次の日が昇った。

頭のあたりにふわふわとした浮遊感を覚えるあたたかな日和だった。菜の花は地に寝転んで 色味の増した黄色の髪を扇のように地面に広げている。
大地に根をはっているものの、立ち上がったり座ったり膝をたてたまま寝転んだりと 異形も慣れてしまえば器用なものである。


「おい、菜の花」

「はい」

「お前…なんか他に呼び方とかねェのか?名前とかよ」

「名前はありません。このあたりの花同様に」

「不便だな」

「それなら、名を与えてくれませんか?」

明るい瞳を期待にしばたかせながら、菜の花が乞うてきた。
ヤマトの前では終始萎縮していた彼女だったが(いわく 植物界にもヒエラルキーは存在するらしい)、 シカマルにはすっかり心を許している。

「女が喜ぶ名前なんて思いつかねェよ」

「なんでも。あなたがくれるなら」

まったく何を期待してるのやら。こちとらお前の監視で 忙しい合間をぬってきてるってのに呑気なもんだ、と内心呆れながらも、ふと浮かんできたものを口にする。

「…なのか、とか どうだ?」


「なのか…なのか」

与えられた名前を口に出して呪文のように何度か唱える、なのかの顔がみるみるうちにほころんでいった。

「うれしい!わたしだけの名前です!」

根付いていなかったら跳び跳ねていたかもしれない。
見た目の年はそう変わらぬのに、なのかは世界に無知で、シカマルから知るものは何であれ 楽しくて仕方ない様子だ。


「シカマル、あなたの名前は だれがつけたんです?」

気をよくしたのか なのかは好奇心に目を輝かせ、シカマルを見上げてくる。
花は花でも形は女、おしゃべりな生き物にかわりはない。


「…どうだったっけな。親父と母ちゃんが一緒に考えたって言ってたような…」

「わたしが茎だった頃、あなたはよく似た人とここを訪れてましたね。あれがシカマルの親父ですか?」

「ああ」

言われてみれば そうだった。忍界大戦の前にシカマルはシカクと鹿の世話に来ていたのだった。

あれが 最後だったのか。


「もっと教えてください。シカマル」

歩くとはどんな感じですか。
泳ぐのは。
人のともだちとは何をして遊ぶのですか。
どんなことを考えるのですか。

なのかの興味に際限は尽きない。

常ならば多くを語らないシカマルだったが、小さなこどもにものを教えるような所作で なのかには素直に考えを伝えた。
彼女が人ではなく、この森から出ない存在だからこそ 気恥ずかしさも薄かった。

森に住まう奇妙な存在は、そう長くかからないうちにシカマルの秘密の友人となっていた。
あくる日も シカマルの足は森へと向かう。
結界の周囲では菜の花たちがぐんぐん背丈をのばし、地面は次第に黄色く色付いていた。
いよいよ春本番、といった景色が広がっている。

なのかと共に寝そべって、木立の間に覗く空の青さを眺めていると、シカマルには ここがかつて戦いの場だったことすら不思議に思えてくるのだった。

「せんそう」

「そうか…お前、知らねェのか」
「以前、遠くから来た綿毛に聞いたことがありますが」

「なんつってたんだ?」

「死を早めるものだと」

「なるほどな」

「よくわかりませんでした。どんなものですか?」

「いや…知らねェ方が良いことだ」

心配しなくてもこの森は平和だしよ。
まるで己に言い聞かせるように呟いて、いったい全体どうして自分がここに この忌まわしい場所に足しげく通うのか シカマルは察知してしまう。
忘れそうになるのを 恐れているのだ。

この森は穏やかで、人の住まう場所から離れている。
目まぐるしく移り変わる忍界と正反対に、ここには忙しないものはない。
シェルターのようだ。

流れ行く雲をゆっくり目で追うシカマルに なのかは、

「死んでも大丈夫ですよ」

と、近くに生えた若木を指さして突拍子もないことを言った。


「死んでもまた芽吹きます。ほら、あれ…彼はもと大きな木でした。まえの体は朽ちましたが、何十年かしたら また大木になるんです」

「…」

「いずれ再会しますから、悲しい部分は剪定してもいいんですよ」

言葉の使い方が間違っている。

指摘しようと思ったが、そばで寝転がるなのかがゆっくり上体を起こしたかと思うと、徐に シカマルの頭に手を伸ばして撫で始めた。

「なんだよ」

「シカマルは以前、このあたりの鹿たちにこうしていたでしょう」

「…オレは鹿じゃねーぞ」

「でも鹿たちは、シカマルに撫でられると嬉しいって言ってました」

なのかの行動はまるっきり真意が読めない。

「わたしに腕が生えたから、かわりに鹿たちの恩返しができます」

細い指先が行き来するくすぐったい感触にまぎれて、眠気が瞼に被さってくるような感覚を覚える。なるほどこれは 安堵と呼ぶに相応しいのか。


「シカマル、春は少し悲しくもなるでしょう。わたしの役目は、できるだけ穏やかに春を迎えることです」

眠りに落ちるすぐ前に、そんな言葉が聞こえたような気がした。

役目?

「はい。もうすぐお別れですが、でも次の春にはまた、会いに来ます」




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