春か

とシカマルがぼんやり空を見上げた頃には、もはや頭上に雲はなかった。雲は綿のように裂け 形もなく あっという間にさらわれていくのだ。この季節の突風に。

春か。春はいい。
奈良一族の森でいっせいに芽吹くいきものたちが 冬の静寂を上塗りしていく。牡鹿は春に角をおとし、鹿の子模様を身に纏う。草木はぐんぐん空へと伸びていき、蕾を膨らませる。そしてもうじきに あたり一面が黄色の花であふれかえる時期だ。ひねもす春の海、のたりくらりかな。
こんな季節はのんびり昼寝して将棋して飯食って寝るに限る。しかし残念なことに、惰性を貪ることは叶わない。森の見回りが済んだら会議。会議の後は任務がシカマルを待っている。
世界中を巻き込んだ戦争も晩秋に終わり、平和な世がやって来るかと思いきや、なにかと慌ただしく四季は移ろうていた。

春の訪れ以外に 今日もこの森に異変はないだろう。
シカマルが木立を抜けて 陽射しに包まれた その瞬間。結界が敷かれた草原に、謎の人影がある。

いまにも蕾の開こうとする菜の花の畑に紛れて、一糸纏わぬ少女がこちらに背を向けて座っているのだ。

「…!?」

みずから光を放っているかのようなまぶしい金髪の下に 剥き出しの背中を見てしまったシカマルは、とっさのことで木立の裏に身を隠した。
片腕に爪を食い込ませてみる。痛みはある。幻術にかかってるわけではないらしい。
一族の人間以外が立ち入らぬ森に全裸で潜り込む女が ただの痴女なものか。いずれにせよ不法侵入者だ。だが、女には同業者特有の気配が感じられない。周囲の森に溶け込むように、そこにいる。

あの墓穴の真上に。
不自然なほど自然に。

「おい。そこで何してる」

シカマルはどう対処すべきか逡巡し、結局シンプルに 声をかけてみることにした。すると驚くことに 振り返った女のほうが明らかな動揺を示したのだった。

「わ わたしに 話し掛けているのですか」

「他に誰がいんだよ」

髪と同じように明るい瞳を丸くして、シカマルを捉える。記憶を辿る限り 里では見ない顔だ。
素肌をさらして前を隠そうともしない、つくづく変な女だ。後ろ手でクナイに触れつつ、シカマルは質す。

「お前、木の葉の者じゃねーな。この森が関係者以外立ち入り禁止ってのは、里じゃあ周知の事実だ」

「わたしはこの森のものです」

「何わけのわからねェことを…正直に言えば手荒な真似は、」

「わたしは菜の花です」

「は?」

「菜の花なんです。信じてください、シカマル」

「…なんでオレの名前を知ってんだ」

まるで昔馴染みに接するような受け答えがかえって異常で、シカマルは彼女の手首を掴んだ。
忍者ごっこでもアカデミーでも中忍試験でも、街角でさえも、こんな少女に擦れ違ったことはない。うずまきナルトを彷彿とさせるこの鮮やかな髪色なら、今まで出会っていたら嫌でも目につくはずだ。
思い当たる節が無さすぎる。


「前から知ってます。あなたがこの森に来るのを見てたから」

「前からって…」

「種だったときから」

少女の解答はあさっての方向にばかり飛んでゆく。
マジで気が触れてんのかこの女は、とシカマルも眉根を寄せざるをえなかった。

「尋問部隊に引き渡されてェみてーだな。…とにかく立て。あとは関所で聞く」

「動けないんです」

「…今度は何だよ」

「ここから動けないんです。本当に。その証拠に ほら わたしの足をみて」


異性の裸に思慮分別なく鼻息を荒くする性分でないシカマルは、冷静さをつとめて女を一瞥した。
そこでふと 奇妙なものに気付く。女の足の裏と地面には境界線がない。
シカマルがいくら彼女の腕を引こうとも 植物が根をはるように強固で、その場から一歩たりとも動かすことができなかった。

「言ったでしょう、シカマル。なのはなだって」

* * *



「わたしたちはこの季節、地面に黄色い絨毯を敷くのが仕事です。
春の終わりに母から産み落とされると 種は土の中で一年ほど眠っています。
わたしも その一粒でした。
春はまだか、春はまだかと待ちながら 眠っていました。

ある日 あれは秋の頃だったでしょうか。突然にこのあたりの土が急に盛り返されたのです。ずいぶん深く穴を掘っては爆発させて再び埋めたりと、なんだか荒っぽい耕起でした」

奈良一族の森に全裸で三角座りをしていた“自称・菜の花”の語りに、最初は半信半疑に耳を傾けていたシカマルだった。しかし徐々に自分の行動が重なりつつある。
不死身の敵を始末するため シカマルがチョウジの力を借りてここに墓穴を掘ったのは、たしか晩夏のこと。

「土が撹拌され わたしは地表付近で陽の光を得ました。それに やり方は乱暴でも、その親切な方はご丁寧に肥料まで埋めてくださって、本当にラッキーでした。芽を出せば外の世界が見えます。この森に来たあなたを見て、お名前を知ったのもそのときです」

「肥料?」

「肥料の真上に位置していたわたしは、赤い血と肉とチャクラを吸って 気づけばどの子よりも茎を伸ばしていました」

そんなまさか、あるはずねェよなと小馬鹿にしていた絵空事が本筋になりだしていた。
言い分を鵜呑みにするなら 彼女の正体は菜の花で、シカマルが木っ端微塵にした飛段を養分に“人ならざるもの”に成長したことになる。
忍界には木遁忍術もある位だから 忍のチャクラで植物が繁茂する術がないわけではない。しかし人に化けるとなると話は別だ。人間のチャクラを吸って植物のすがたがかわるなら 戦場ではごまんと突然変異が起きるだろう。

目の前に座る何かの形はまぎれもなく女のそれで、人間じゃないとわかっていても シカマルは流石に目のやり場に困り始めていた。
この実在感は。
さっき触れた手首に感じた、あたたかな体温は。
尋ねて根拠のある答えを示してくれるのか?

山程つのる疑問のなかから、シカマルはひとつだけ 口にした。


「あいつ、死んだのか」


最も知りたかったことだけを 真っ先に。


「あの者の生死については植物界でも意見がわかれています」

「なんだそれ」シカマルの喉から渇いた声が出た。空笑いであったかもしれない。「そんなもんまであんのかよ」

「はい。ただ、彼のだいたいのものは皆で分けてしまいました」

シカマルは立てた膝に額を寄せ、数分ほど項垂れた。

「…あいつ、死なねェっつってたのに」

「はい」

「首一つになってもオレに復讐するって息巻いてよ」

「はい」

「…意外にあっけねえもんだったんだな」

息を吐き出すような呟き。


「で…お前が代わりにオレの喉元を食いちぎりに来たのかよ?」

顔をあげたシカマルは、鋭い切れ目でなのかを見据えた。油断なき追究に対し、菜の花は恐れをなして大きく頭を振った。

「ちがいます。わたしはここに 黄色い絨毯をつくりに」

彼女が首を振るごとに、風に一輪の花のように靡くきんいろの髪。あたりの青い茎からは 菜の花独特の 鼻につんとくる香りに充ちている。
春はもう目の前にやって来ていた。




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