「あ」

指先に静かな震えが走って、薄い硝子の試験管が音をたててこまかな破片と散る。

ぱりん

微動はやがて 広くゆるやかな川に身を任せているような流れの中に溶け込んでいった。まるで、チャクラの流れの舵を奪われたような感覚だった。

医療班の研究室をぐるりと見渡す。足元にできた調合途中の解毒薬の 淡い小さな水溜まり。
はちみつ色の日光にふくらむカーテン。
白いリノリウム。
誰かが術をかけているとか 何もおかしなことはない。
外の世界が変わらないなら 変わったのは私の内の世界だろう。

爪の先から掌、腕へ体へ まじまじ凝らしても目にはさやかに見えないけれど “これってもしかして”は、忍の勘と女の勘両方に支えられていた。



もろもろの必要なことを済ませ 、定時を幾ばくかすぎて病院を出た。
夕暮れの道に自分の影が伸びているのを見ながら歩いていたら 慣れた道を間違える。どうも混乱していけない。
ひとつ奥まで行き過ぎた家の通りでは、奈良一族のナイスミドルの親族が井戸端会議をしていた。

「シズクじゃないか」

「エンスイさん、こんばんは」

「今帰りか?」

「はい」

しっかり者のエンスイさん。鷲鼻のマエンさんとマエンさん・ジュニアだ。

「おう、久しぶりだな!お疲れさん!」

「マエンさん、お久しぶりです」

見てくれよ ウチの子大きくなったろ!そう自慢気に見せびらかされた。マエンさんに肩車された幼子は、父親似で鼻がとっても大きかった。
奈良一族は父親が優性遺伝なのか。それなら、うちも 眉にシワを寄せる癖とか、きっと似るんでしょうね。







「赤ちゃんできたみたい」

先に帰宅していたシカマルに告白すると 仏頂面が静止画のように固まった。

「…できた“みたい”?」

「実はまだ確かめてないの」


それも、チャクラが主導権を奪われたという不確実な、想像妊娠ともとれる歯切れの悪い報告である。喜んでいいのか悪いのか頭を悩ませたシカマルは、すぐに「母ちゃん ちょい出かけてくる」和室に声をかけ、返事も聞かずに私の体をくるりと半回転させて扉に向けた。

「どこいくの?」

「薬局に検査薬買いに行くに決まってんだろ」


動きを取り戻したシカマルは、珍しくめんどくせーの一言もなしに私の手を握って歩き出す。空は茜から藍に染まり、一番星から三番星までは数えられた。街灯を横切ると 二人分の影がユラユラとついてくる。繋いだ手はあたたかい。

「不思議だよな 何の実感もねェよ」

女の私がそうなのだから男の彼はなおさらだろう。「うん」頷く。

「静かだな」

「夜だもの」

「通りが、じゃなくてお前がだよ」

私の不安を、シカマルだけは見抜いて抱き締めてくれた。ものすごく強い力で 痛いくらいに抱き締められた。なだめすかすように背中をぎゅっとしてくれる。

「…今日は大胆ね」

影がひとつになる。

「歴戦潜り抜けてきたくのいちでもやっぱ不安なんだな」

勿論。これは専門外だもの。


ちゃんと育てられるだろうか。
幸せにできるだろうか。
その子はうまく影を扱うだろうか。
叫んでまわりたい喜びと期待と、その同じ分だけ膨らんでいく 暗い色した風船が胸の奥に揺れている。
ちいさな頃の夢も、あなたの隣でほんとうになるけど 大人になっても大変なことってたくさんあるのね。

「お前に似たら手がつけられねェやんちゃになるな」

「…シカマルに似たらめんどくさがりになるね」

「母ちゃんに似ても口煩くなるな。そりゃ困る」

腕をといて再び歩き出す。

「任務休みにしとくからよ 明日 病院行こうぜ」

「一緒に行ってくれる?」

「ああ」

なんとまあ珍しいことに、シカマルはほんのかすかに鼻歌など歌いはじめた。
でたらめなおたまじゃくしが漂う夜。あたたかい手を握り返した。

「なあ ちっと触らしてくれよ」

「ええ、まだ判らないよ」

不思議だね。お腹に手を添えるだけでこんなにも優しくなれる。振り向けばいつでも並んでいるこの影法師も、いずれは三人 四人になって、どんどん増えていくんだね。
ねえ 私とこの子のために、何度も何度も、その下手くそな鼻歌をうたってください。



次の日 同じように手を繋ぎ、私とシカマルは並んで歩いて病院に行ったのだった。



*


「“おめでた”だって?めでてえなあ」

数日と経たないうちに吉報は親族全体に広まり、まだ安定期にすら入ってもいないのに御懐妊祝いと称して宴会が開かれた。


「しかしチャクラで気付くなんざ 流石くのいちだなァ」


「早くも17代目候補か?」

「男の子だと大変よ。奈良一族の男はみーんなだらしない男に育つんだからね!」

「ヨシノさんは女の子希望だとよ!」

「いやはや シカクさんも今頃あの世で祝い酒だろうな」

「オヤジ、孫の顔が見てェって化けて出て来そうだな」


「ハハハ!それはあり得ますな」

シカマルもまんざらでもない顔でいつもよりはやく酒が回っている。深酒だ。
空になった一升瓶を見つめると、「お酒はだめだよ 妊婦さん」勘違いされ、「あら 体冷やしちゃだめよ」「これからが大変なんだからね」手厚く しかし厳しくお母様方に口添えされる。
どこの家でも女は強い。

嫁だけだと 旦那に一本線を足した、どこかひょろりと頼りない感じがするけれど、遠くないいつか《母ちゃん》という名で 私もここを守っていくんだ。



まだ見ぬこの子に誓いたい。

見渡す限り全員オールバック。
男は皆ちょんまげの影使いたち。
壮観でしょう。

このひとたちがあなたの家族よ。


ラララの魔法


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りり様リクエスト【シカマルで 連載番外編 主人公が妊娠したお話】でした。
りり様、リクエスト頂き 誠にありがとうございました!



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