▼Den lille Havfrue 1

海を渡る潮風に耳を澄ませても聞こえるのは乱痴気騒ぎ。ギャンブルの決着を感じさせる豪気な歓声。ジョッキが割れる音。ジョリーロジャーを掲げた船では、宴は夜明けまで終わらない。

人気のないほうの甲板で ひっそりラム酒を傾ける女に、エースは同じく酒瓶を手に近づいた。

「しけた顔してんなァ」

「好きな酒は静かに飲みたい派なの」

「はは、お強ェこって」

素っ気ない返事だが、ストロー80をストレートで煽る女。サングリアひと舐めで顔を染めていた遠い過去をこの船の面々には隠している。
船長をはじめクルーたちは、新参者の身の上をとやかく問い詰めたりはしなかった。この船に乗りたい者は意思と実力と、船長への忠誠心さえ示せばいいのだ。よって彼女の歩んできた道を誰ひとりとして知りやしない。

「上のカードじゃ最高潮だぜ。お前を賭け金にしてちゃ誰も引けねェようだ」

「勝手にギャンブルに使われちゃ困るわ。わたしは誰の女にもならない。へべれけに酔った男の相手をするなんてごめんよ」

たとえば永遠に続くティーパーティに登場するような可愛いキャストなら構わないが、悲しきかな、顔ぶれは億越えの賞金首ばかり。そして皆が皆強面では尚のこと。仲間入りしてまもなく男共を骨抜きにした新入り フィオは微笑む。

「あなたは参加しないの?二番隊隊長さん」

煽るような言葉に、エースはフィオをしっかりと見つめた。髪も瞳も唇も妖しく誘う目映きがある、まるで海原の人魚。この魔性さが悪魔の実に由来してないなんて誰が信じようか。
テンガロンを奪い取る、白い指先。その先の 柔らかい二の腕に噛みつけば甘くさえ感じるだろうと錯覚するほどに扇状的だった。
今夜のことはすべてを酒のせいにしよう。真夜中の黒い太陽には見えちゃいない。
エースは彼女の体を引き寄せた。

「おれたちァ海賊だからな。欲しいモンを手に入れる方法はひとつじゃねェだろ?」

「力ずくで奪う?」

「乱暴にはしねェよ。つまらねェだろ」

フィオの長い睫毛がエースの頬をくすぐった。どちらともなく唇を重ねれば 息遣いは次第に荒く変わっていく。
エースの筋骨隆々の胸板がフィオに押し付けられ、彼の体には瑞々しい双丘が擦り、互いの内側を震わせて高ぶらせていく。
この男は炎の男。情熱そのものだ。

「あなた、ずいぶん熱いのね」

「どっかの誰かと比べてもらっちゃァ困るぜ」

「比べてなんか」

いない。あの上司はここにはいない。

波の反射のように、てらてら光る唇。ぺろりと舌で舐めて問いかけたエースから フィオは目を逸らした。

あの人の凍てつくような体に触れたことは一度もないわ。

氷と炎、人ならざる温度が心を掻き乱す。彼女の心は今もむかしも、誰にも溶かせない氷づけのままだ。

「海を眺めてたお前は、どっかに帰りてェって思ってるように見えたぜ」

「どこかしら」

「さァな。故郷か はたまた海か」

「海?人魚じゃあるまいし、泡になんかなりたくないわ」

「それなら、お前はこの足のためにてめェの何を賭けた?」

「……自由」

答えた淫らな女よ、お前の愛はどこにある。
ただ一夜限りでも、泡になる前に さあ、凍った心ごとその身を燃やしてしまおう。さざなみのように揺れる髪に指を通しながら、エースは陸の人魚の足に唇を寄せた。


Den lille Havfrue=人魚姫

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