▼03 統べる者(三)

小南の傍らにはペイン天道―――否、弥彦も隣に眠っている。そして私の母も。彼女の横顔は、以前の 氷のように冷たい棺に入れられていたときよりずっと幸せそうに見えた。
純白の紙片に埋もれる身体はなめらかで、長い睫毛はさっき伏せられたばかりみたいに柔らか。蝶の標本を思わせる美しさ。脈を打っていそうなものなのに、どうしてもあなたたちは目を覚まさない。

「小南の最期をご存じで?」

「俺が発見したときにはもう死んでいた」

いつの間にか テル様が私の隣に並んでいる。同じく祭壇に祀られた死者たちを眺めていた。
この人は実に掴み所のない方だ。初対面の女の子の胸を品定めする一方で、小南に注ぐ眼差しはどこまでも深い。
沈黙の後 彼は語り始める。

「ある日、天使様はオレともう一人の部下をこの祭壇に招き入れた。そん時にはあそこに長門様もいたけどさ」

言われてみれば、指し示された祭壇の箇所には大人一人分の窪みがあった。そうか、父はあそこに安置されてたんだ。

「長門とも会ったことがあるのですか?」

「ない。その時初めて名と正体を聞いた。あァ もっとも俺たちは天使様の腹心的な部下だったから、ペイン様が輪廻眼の使い手ってことも、裏で暁を動かしてるのも知ってたが。ペイン様の正体を里の忍にも外部にも特定されないよう、神だとか風魔一族の末裔だとかテキトーな噂を吹聴したのは俺だしさ」

忍の死体は情報の宝庫。まして輪廻眼を持つ彼の身に、死後も平穏は訪れなかった。長門の遺体は輪廻眼を必要とした暁側によってここからを持ち去られ、果てには穢土転生にまで利用された。
黙って耳を傾ける。

「全部聞いたよ。この里を変革する動機になった過去の事件も、木ノ葉襲撃の真実も。そんでもって君のこともさ」

「私?」

前触れなく自分の名が出たことでやや驚いた。テル様は懐から 小さな綴じ本を取り出して私に手渡した。小さくともずしりと重い。

「天使様は覚悟してたんだろう。君は必ず来るから、訪ねてきたらこれを渡してくれと託された。暇を見つけて読むといい」

表紙を開くと、文字が綴られた。手記だった。死後は痕跡を一切残さぬのが忍の通例であるのに、小南がこれを私に?


「…私、彼やあなたたちの育った場所を見てみたい。もし叶うなら、力になりたい」

「待っている」


待っていてくれたのに、私 間に合わなかった。

テル様は霊屋に唯一ある窓へと歩いていき、壁にもたれ掛かるようにして外を覗いていた。しとしとと、小雨が耳元を打つ。 まだ降り続いているらしい。

「天使様は使命があると言い残し、己の死期が近いと悟って全て打ち明けた。あの人が過去を語ったのは、おそらく後にも先にもそん時だけだった……そしてあの日」

僅かな間。

「俺たちは全ての民を表出すなと任を受けた。里の外れで大規模な爆発が続いた。……駆けつけた時には既に遅かった。長門様の遺体も無くなってた」

「敵の姿は」

テル様は首を横に振る。
小南の最期は彼女自身も覚悟していたに違いない。“敵”にほだされて暁を脱退した小南への これは組織による粛清なのだ。彼女は私との再会が叶わないと、約束した時点で予想できていたのかもしれない。
手を下したのは暁の残党か、はたまた 黒幕のうちは“オビト”によるものか。終戦を迎え真相も明らかになった今、この推測に意味もなく、いっそう痛烈に無情が募る。
味方と敵。鏡のこちらとあちら。現実と夢幻。
求めている理想は同じ“平和”であるのに、対極からぶつかっていつまでも噛み合わなかった。


「ペイン様の“本来の夢”を継ぎ、俺ともう一人……ミルラってオッサンの二人で雨隠れを導くよう天使様から託されたはいいが、そう簡単にはいかなかった」

テル様は極端なしかめ面に変わった。

「正直、俺はそこまでペイン様を深く崇拝しちゃいなかった。だがミルラの方は違う。ペイン様に固く忠誠を誓ってた。その分戸惑いはデカい。まァ考えてみりゃわかるだろ?神と崇めていた方が突然死して、今までのやり方は間違ってました、なんてさ。ミルラだけじゃない。里の忍もまだ動揺してる」

「…」

「ミルラはペイン様のそれまでの、“痛み”による平和の思想を捨てられずに俺と決別し、去った」

「その方は里を抜けたんですか?」

「抜けちゃいないが、どっかに身を隠して行方知れずだ。で、俺がとりあえず里長になったというわけ。そんでもって ミルラのように以前のペイン様の教えを未だに盲信する忍も多いから、雨隠れはまたしても分裂の危機」

合点がいった。本来多忙である筈の里長が 朝っぱらから私のわがままに応じているのにも、護衛どころか付き人の一人もいないのにも。正式な後継者であってもこの人はまだ広く受け入れられてはいないらしい。
ならば、今回結ばれた木ノ葉との同盟の真意は?
私の名を出すなり、雨隠れからすぐに同盟合意の返事がきて驚いたとカカシ先生が言っていた。けど個人的な見解としては、変革の分岐点に立つ里へ私が赴くのはどう考えても妙案ではない。
ペインの実子であっても、私は木ノ葉隠れの忍だ。それに以前 暁討伐でこの里に不法侵入した過去がある。同盟締結時にテル様の耳にも届いてるはずなんだけどな


「今このタイミングで私が現れて 余計な混乱を招くのではないでしょうか?」

「言うまでもなくリスクは高い。君が登場するのは火に油を注ぐようなものだけど、でも雨隠れと木ノ葉との膠着状態を脱却する良いチャンスでもあった。ここはひとつ、神に委ねて伸るか反るかの勝負に出てもいいんじゃないかとさ」

軽い語り口はどこへやら薄れていき、代わりに緊迫した空気が張り詰める。弓なりに曲げられた彼の瞳に、冗談の色は毛ほどにも含まれていなかった。

「君こそ何のためにこの里に来た?わざわざ渦の目に飛び込んでくような真似を、普通はしないだろ。心境は察するがね。あァ、間違っても“よかれと思って”なんて言葉は聞きたくないな。善意ってのが俺は一番嫌いなんだ」

窓辺に凭れる彼とはやや離れていた。その距離を感じさせない凄みがある。気迫は若者のそれではない。
この里の力になりたいとか、“よかれと思って”が全く無いわけではなかった。しかし、いい子ちゃんの模範回答を封じられた。この人に綺麗事や大義名分は通用しない。

「違います」

気付けば口を衝いて出ていた。

「私は自分のために来たんです」

「自分のため?」

「そうです。私とこの里とのことがうやむやになってたから、筋を通しに来ただけです!」


「筋を通す」

聞くなり、テル様は目を丸くしてゲラゲラと笑い出した。

「おいおい、君は極道か何かか!」

「私そんなに可笑しいこと言いましたか?」

もう、あんまり笑われて恥ずかしくなってきた。

「はっはっは……まァ、せいぜい引っ掻き回してってくれよ」

正直に言えと促したのはそちらなのに。おちょくるなんてひどい。
雨隠れの忍って、寡黙で秘密主義で厳格そうなイメージがあったのに、この人に悉く崩されていく。せめてもの反駁に、じゃあ、と口を開いた。

「テル様は、悪意も善意も信じないでペインのこともほどほどで、何を信じてるんですか」

テル様はまだ笑っていて、問い掛けに真剣な答えは返ってこなかった。

「信じるものがない奴もいるだろ」

開け放たれた窓、吹き込む風は雨粒を散らした。その拍子に祭壇の紙片が宙に舞い上がる。小南の頬をなでるように揺れて。

ひらひらひらと、真白の蝶がはばたきみたいなそれを 彼はずっと目で追っていた。

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