▼なめくじ姫と鬼婆
背の曲がった一人の老婆が火影邸の応接間前へ向かっている。
杖をついているものの、足取りは力強い。ノックも無しに扉を開けた先、正面のソファには新しく五代目火影に就任したくのいちが老婆を待ち構えていた。
「チカゲ先生、何の冗談です?杖なんかついて」
綱手は両手をソファのヘリに乗せ 首は大きく天井へ逸らし、おまけに足まで組んでいた。
「十年来の再会の第一声がそれとはのう、綱手よ……若作りのお主にはわからんじゃろう。年寄りは年寄りらしくするものよ。師匠を呼び出しておいてあまりにも失礼な態度じゃ」
「すみませんねえ。さっきまでご意見番のジジイとババアを散々相手にしてたものでつい」
「息災じゃったろう?ホムラもコハルも」
「元気すぎて困りますよ」
「にしても……戦争に腰抜かして逃げ出した若輩者が、のこのこ帰ってきて影を名乗るとは感慨深い」
「相変わらずの辛辣さだねえ」
悪態のキャッチボールに慣れた綱手はフッと笑みを見せている。
亡き三代目と同期にあたるくのいち・チカゲの、この口の悪さは常。かつて医療忍術の師と仰いだ頃の二人の関係は、それはそれはひどいものだった。だが二人決裂せずに医療忍術の技を高めあった結果こそが、木ノ葉の医療班を今のレベルに引き上げた所以でもある。
チカゲは綱手の向かいに座った。
「で お主の用件はなんじゃ」
「月浦シズクについて聞きたい」
と、綱手は単刀直入に話を切り出した。
「あれは話題に事欠かぬ子だ。力についてか?それとも育ての親についてか」
「知りたいことは多いが……チカゲ先生、アナタですね?あの子に医療忍術を仕込んだのは」
「左様」
チカゲの応えもまた、簡潔であった。
はたけカカシ、うちはサスケ、そしてガイの弟子のロック・リー。綱手が木ノ葉に帰還してすぐに看た重症患者たちは、完治までは届かずとも、すぐ処置できるよう最善の体調に保たれていた。
どれも担当は月浦シズク。13歳にして上忍レベルの医療忍術を扱っているのは一目瞭然である。
「二度と弟子をとらないと隠居したアナタがわざわざ世話するなんて、余程のことでしょう」
綱手は呟き、一度伏せた目を開く。長い睫毛に縁取られた意志の強い瞳を。
「チカゲばあ。七年前 何があった」
ここで2人の会話は途切れ、チカゲは懐から煙管を取り出した。もくもくと煙を漂わせた後にその口が語り出す。
「奴のチャクラを見たか?」
「ええ。あれほど強力な陽のチャクラは珍しい」
「そう 由楽も同じことを言っとった。悪目立ちするその能力を隠そうとしとったが、勘づいた一派がいての。“鬼哭”と名乗る集団がシズクの存在の是非を巡り、繰り返し襲撃をしかけた。表向きは選民思想のフリをしとったが、見え透いた嘘じゃよ」
「その一派を猿飛先生はどのように?」
「事を穏便に収めようとヒルゼンも骨を折ったが、由楽が襲撃の犠牲となって死に、敵の尻尾を掴めぬまま片が付いた」
部屋の中をただよう煙を、綱手はどこか上の空で追う。組んだ足に肘をつき 重ねた両手に顎をのせながら。
「由楽の死後はワシも目を光らせておったが、シズクが再び厄介事に見舞われるのも時間の問題じゃろう」
それは何十年か振りに交わる視線だった。
共に戦乱の忍界を生き抜いたくのいち同士、どちらともなく威圧が凄む。
「そのシズクに、弟子にしてくれと頼まれましてね」
「ほっほっほ。問題事を連れて歩いとるようなガキじゃが腕は保証しよう。お前さんの技も盗みとれるじゃろうな」
「随分入れ込んでますねえ。アナタらしくない」
そう、確かに入れ込んでいるのだ。若者へ情けをかけぬ、この人が。
綱手にはそれが一番不思議だった。先程ご意見番が綱手に差し出した中忍昇格者の検討リストには、月浦シズクの名はなかった。試験官の評価はまちまちだが、ホムラ、コハル、そしてダンゾウの、三人の調印が揃いも揃って無し。三代目は別として、里の上層部がシズクを嫌煙しているのは火を見るより明らかだ。
そのこどもを―――おそらく捨て子たる出世やその後の騒動で里内の風当たりも強かったであろう子を、チカゲはまるで庇っていたようではないか?
「綱手よ。シズクをどうするかはお主が決めることじゃが、お主とてこれより先は茨の道。お主の想像よりも忍の闇は深い。火影になるならばせいぜい心のおける若者を側に置き 己の影とせよ」
物思いに耽る綱手に、チカゲは毅然として言ってのけた。忍の闇。火影の影。この二つの言葉が何を示すかわからない綱手ではない。
「……自分の教え子を暗部に薦めるだなんてね」
「忠義はときに何よりの生きる意味になるからの」
「古い考えだ」
そろそろ与太話も終わりだろうか。
言うだけ言ってチカゲは杖を持ち、椅子から立ち上がった。身を隠している山奥に戻れば彼女ともそうそう会う機会はないだろう。綱手は最後に、その背中に問うた。
「なぜシズクを弟子に迎えたんです?」
「ほっほっほ……いやなに、言いつけを破ればすぐにでも破門にしたわい。おまえさんと違って何一つ逆らわんかったから長続きしただけじゃ」
「それだけですか」
「そうじゃな。なによりも……似ておってのう」
「……由楽に?」
「なに、お前は知らぬ」
古い恩師にじゃよ。
チカゲのつく杖の音に紛れて、その語尾が綱手の耳に届くことはなかった。挨拶もなしに部屋から立ち去っていった。
すっかり曲がってちいさくなった彼女の背中を見、綱手は再び悪態をついたのだった。
「ボケて丸くなったかな…あの鬼婆め」
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