▼気付いてしまった

覚えてないだろーね。由楽が死んでから、実はお前と、一度だけ会ったことがあるんだ。
オレはまだ暗部で 日々黙々と任務を遂行していた。すっかり習慣づいた慰霊碑通い、ある日 オレに背後から声をかけたこどもがいたんだ。

「どうしたの?犬のお兄さん」

お前だったんだ。近づいてくる足音で察知して、どうするか迷って、あえて立ち去らなかった。暗部の面と雨除けのマントで、オレが誰だか分からないだろうと踏んで。

「お兄さん 泣いてるの?」

仮面を重ねたところで何一つ隠せやしない、孤独や悲しみはお前には筒抜けだった。
明るいほうなんて行くまい。
このままでいい。傷が癒えたら終わりだと、己に棲みつく云いようのない感覚が恐かった。
でもあの日、泣いてるの と聞かれたたったそれだけの言葉に、どれほど救われたか。
がんじがらめの糸をするりとほどいて、お前は口に出して言ったね。
だからオレも、暗部の手袋の鋭い爪を脱いで、お前の手を取る勇気がようやくできそうだと、そう思ったんだ。もう鉤爪はないんだからお前を傷つけなくて済むだろうと。




朝の日差しを感じて瞼を開ける前。頬に触れる温かな感触がシーツでないことに気づいた。
あれ、昨夜も寝込んでたはずなんだけどな。記憶を疑いつつ目を開き、オレは見てしまった。
目線の先、すやすや眠るシズクあどけない寝顔を。
思考回路をフル稼働させたいのに ぼーっとする。
しかも心はぐらぐら動かされる。
なんだこれは。
なんだこの状況は。

抱きしめたまま眠りに落ちて、その流れで布団の中に引きずり込んでしまったんだろうか。
やっちゃった。いや、やってないけど。
犯罪になるようなことはしてないけど。

仮にもシズクは部下で、忍の弟子じゃないか。大のオトナの男がひとまわり下の女の子と同じベッドで寝るなんて、しかも目覚めて見てみたら、オレの方から強く抱きついてたなんて、弁明の仕様もない。
幸いにもまだシズクは目を覚ましてないようだ。出来るだけ体を離そうと苦心するが、体がまともに動かなかった。その上狭いシングルベッドの中じゃむなしい抵抗。どうしたものか。
もやのかかった頭で悩んでいると、ぶん、と右腕が飛んできた。避けられず重い一撃が頭に決まった。

「いたた」

寝返りをうったシズクが今度はベッドの端から転がり落ちそうになった。この子 寝相が悪いな。
慌てて両腕で体を引き寄せると、その拍子に彼女の目がぱっちり開かれる。「あ、」起こしちゃった。

「……えーっと」

不潔!と殴られるか引かれて軽蔑されるか。しかし、彼女はまたしてもけろりとした表情で笑った。

「おはよう 先生」

「お おはよ」

布団の中から手が伸びてきて、ぴた、額に添えられる。

「37度8分。うーん まだ高いね。先生、食欲はある?」

「……あんまり」

「でもちょっとでも口に入れなきゃ。しばらくお腹に入れてないし、重湯がいいよね。……と、その前に、服をあたらしいのに着替えよう。汗ではりついて気持ち悪いでしょ」

「あ……そうね」

「手伝います」

「え」

言われて、素っ頓狂な声が出た。
女の子に着替え手伝って貰うなんてなさけなかったが、あいにく関節も痛むし、手伝ってもらった。口布は死守して、下は自分で着替えた。アンダーを着せるにも汗を拭うにも、シズクは手際がよくて、やはり医療忍者なんだなとしみじみ思った。

嗅覚も鈍ってはいたけど、運ばれてきた小鍋からいい匂いがした。

「はい あーん」

蓮華を口元に運ばれて、おとなしく一口含む。

「飲み込めそう?」

「……ん」

「よかった。ヨシノおばさまに習った玄米の重湯なんだ。重湯にしても玄米のほうが栄養あるって教わったの」

ゆっくり嚥下しながら、首をひねる。土鍋からお椀に重湯を小分けする彼女の、心なしか機嫌がいい。
シズクは勘が鋭い割にこういうことに鈍感だって知ってたけど、ここまでとは。自分が抱き枕がわりにされたくらいにしか考えてないんじゃないだろうか。
この子、いつか騙されてとって食われちゃうんじゃないの。

「これ食べ終わったらお薬のんでまた横になってね。ちなみにすっごい苦いから覚悟して」

「……」

「カカシ先生には早く復帰してもらわないとね。今は里中大忙しだし」

彼女が言う通り戻しそうなほどひどい味の薬を無理やり喉に流し込んだ後、ひとりでくるまった布団は、すこし広く感じた。


「シズク すまなかった」

「何が?」

「そりゃ……奴ら相手にこのザマだし」

「どうして謝るの?カカシ先生は守ってくれたのに」

シズクは去り際に、オレの目を見ながらこう言った。

「先生、つらいときは呼んでね。わたし、めちゃくちゃたよりないけど 頼ってほしいな」


看病していたときの彼女がどこか嬉しそうな顔をしていたのは、昨日、オレがシズクに弱さを見せたからにちがいない。
他人との間に引いた境界線を破ったと 彼女にもわかったんだろう。

昨日、シズクはオレを“先生”ではなく“カカシ”と呼び捨てで呼んだ。
出会った頃のように。
多分、彼女の中ではそれがオレの本当の呼び方なのだ。


*

「カカシ」

だから、眠りの向こうから呼び捨てで名前を呼ばれたとき。

「………シズク…?」

かな、なーんて思ってしまった。

「残念ながらハズレよ」

来客は紅だった。
これは間違いなく失敗だ。聞かれた相手が悪い。

「心配して様子見に来たかと思えば。今の、教師じゃない声色だったわよ」

現実に引き戻され、動かない体で窓の桟に足をかけたままの紅を見る。
オレも、そう思う。とうとう自覚してしまった。

「紅 今のは内緒で」

「あら、図星?」

シズクの笑顔を思い浮かべれば、触れたいと思ってしまう自分がいる。
どうやら 愛着とか親心では片づけられないところまできてしまったらしい。

「犯罪かな」

「それに輪をかけて変態ね」

「いっとくけど、誰彼かまわずってわけじゃないから」

「カカシ……もしかしてアナタ 由楽と重ねてるってことはない?」

眉をひそめる紅はどことなく悲しそうに影を落としている。紅も幼い頃から由楽を知る、数少ない仲間だ。

「それはない。由楽とシズクとは……違うよ」

「……そう。個人の事情を咎めはしないけど、くれぐれも良識を破るような真似はしないでよね」

シズクは昨日のことなんて気にも止めないだろう。それだけ無防備な相手に、気を許せば付け入ってしまうかもしれない。その忠告は有り難くいただくことにしよう。

忠告といえば。


「カカシさん、その眼を真の意味で使いこなせなければ、あなたの手では守れない」


去り際にうちはイタチが残していったあの言葉は、どういう意味だったんだ?
オレが写輪眼を使いこなせていない、それは自覚がある。だが、真の意味で、というのも、“何を”守れないのかも、奴は主語をはっきりと示していかなかった。
オレが守りたいもの。そう考えて、ある笑顔が瞼の裏を過る。
それが誰かは、明白だった。

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