▼長い長い夢

「おいカカシー、なに寝てんだよ」

前ぶれなく、ずっと聞きたかった声が聞こえて、耳を疑った。
幻じゃない。そこにいたのは、幼いままの親友だった。

「オビト!?な、お前、なんで」

「ねぼけてんのか?集合時間だろ!任務前に昼寝なんかして、オレの足ひっぱんじゃねーぞ」

周囲を見渡すと、濃い青い空に夏草が棚引いていた。一面に広がる里の景色。やわらかい風も感じる。オビトは近づいてきて、オレの顔をじっと覗き込んでいた。
慌てて上半身を起こして目の前の親友を見つめた。丸い黒目は左右揃っていて、にくたらしい不機嫌そうな顔を向けてくる。
なんで。これは夢なのか?それともオレは死んだのか。

「言い返して来ねェなんて、なんか今日のお前気持ちわりーな!」

「やめなようオビト、カカシはきっと任務で忙しくて疲れてるんだよ」

芝生に腰をおろしたリンが、いつものように、オレとオビトを交互に見やっては、困ったようにやさしく微笑んでいた。

「リン…!本当に無事なのか!?」

「え?カカシのほうこそ、ホントに疲れてるみたいだけど」

「とっとといこーぜ。今日は由楽の班とも合同なんだろ?正門前で集合だってよ」

「……あ、ああ」

オレは少年の姿をしていて、左目に走る傷もなく、瞳も両方とも自分のものだった。
あの任務で折れた父の形見のチャクラ刀も背負ってない。
夢だったんだ。夢だったんだなにもかも。オビトもリンも先生も由楽もみんな生きてる。死んだりしてなかったんだ。オレは長い長い悪夢を見ていただけだったんだ。
あのころのいつものように、オビトとくだらない言い争いをしながら、他愛もない話をしながら三人で門へと向かった。

「おーい、ミナトせんせー!由楽!サクモさん!」

オビトがばかに大きく手を振った先、昼の穏やかな光に包まれて、大門に三つの影がある。ひとりは鮮やかな金髪の、尊敬するオレの先生。

「ん!時間ギリギリだね!」

ふたりめは、父だった。

「カカシ、はじめての合同任務だな」

背には愛用の白いチャクラ刀を背負い、優しい眼差しでオレをむかえてくれる。

そしてもうひとりは、ハネた青い髪の、由楽だった。

「待ってたよ」

彼女は笑っていた。
オレの名前を呼んでる。

「カカシ、」

ああ、よかった。
お前に言いそびれたことがあるんだ。

「由楽、オレは―――」



ずるり。
何かぬかるむものに突然足を取られた。オビトたち、みんなが待ってるのに、どういうわけか先に進めない。
なんだ これは。足元を見下ろすと、そこには暗い赤が広がっていた。足元だけじゃない。空も、目の前も、いつの間にか真っ赤に染まってる。これは血か。血ならいったい 誰の血なんだ。
色彩が反転した世界で、気づけばオレは磔にされて、腕も足も縛られて身動きひとつ取ることもままならない。ああ、せっかく会えたってのに、また伝えそびれる。オビトに、リンに、ミナト先生に、父さんに、由楽に、伝えなければいけないのに。
オレの周りには無数の処刑人がいる。うちはイタチか……いや、ちがう。あれはオレだ。右手に雷切を構えたオレが、リンを、オビトを、そしてオレ自身をも貫いていく。
何度となく、目の前で死が繰り返されていく。
もうやめてくれ。ずっと前からわかってるんだ。
失ったのは全部オレのせいだってことは。
だからこそ こんな地獄は堪えられない。

「こんな地獄なら……いっそひと思いに……殺してくれ……」

呻きをあげながら、徐々に意識が朦朧としてきていた。ああそうか 正気を失えばいいのか。そうすればこの苦しみから 罪から逃れられる―――


「カカシ先生、」


絶望する矢先に、どこかから、声がしたんだ。

血で固まった瞼を開いて、狭い視界の中に見つけた。
黒衣を纏う処刑人のあいだを、小さな体で分け入ってくるシズクの姿を。

「カカシ先生!」

お前、なんでここにいるの。
やめてくれ。来るな。ここまで踏み込んで来るんじゃない。お前まで傷つけたくないんだ。

「ここから出ていけ」

しかしシズクは足を止めなかった。オレの目の前までやって来て、血にまみれた拘束を解こうとしてる。

「出ていかない。わたし、どうしても先生に会いたくて来たの」

「シズク……」

「先生、今日はわたしに守らせて」

シズクの透明な瞳が、まっすぐにオレを捉える。凜としたまなざしだった。
この地獄で、なんで笑顔を浮かべられる?

「大丈夫だよ」

そう 諭すような声でシズクは微笑み、片手から白い炎を繰り出して それを無数の小さな塊に変化させていく。
暗闇の螢の光のように。
その火は術者の意思に従うかのように四方に飛び散り、地平を埋め尽くしていた磔の十字を跡形もなく消し去った。 

磔から解放され 前のめりに倒れそうになったところを、シズクの両腕に引き寄せられた。
まだ幼い彼女が大人のオレを抱きしめようとするといっぱいいっぱいになって、必然的に、たよりない肩と胸元に己の額が埋まる。
とくとく。触れた耳元で聞こえる彼女の鼓動が、オレの胸を締めつける。

恐ろしい。
恐ろしいさ、今までのことをお前に すべて見透かされてしまったようで。

「だめなんだ。オレはここからは出られない。出ちゃいけないんだ」

「先生、自分を責めないで」


光に照らされて いつしか血みどろの地獄は穏やかな青空と草原に変わっていた。いつの間にか、オレを戒める処刑人のオレの姿もなくなっていた。

「ほらね もう大丈夫」

ぽんぽんと背中をちいさくたたかれて、これじゃまるで オレはぐずって母親にあやされる赤ん坊だね。
昔、母さんに、こんなふうに抱きしめられて眠ったことがあったのかな。
きっとその頃はなにもこわくなかったんだろう。

「一緒に帰ろう」

手を伸ばしてもいいだろうか。
今はただ抱きしめたい。
シズクの背中に手を添えると、温かくて、やわらかくて。かすかに甘い、温かなひなたの匂いがした。
お前の腕も、ことさらしっかりオレを抱きしめてくる。

「おやすみ カカシ」

安心するぬくもりに額を寄せ、オレはゆっくりと瞳を閉じた。

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