▼はじまりの鐘が鳴る
消毒のにおいが鼻につんときて、水面に体がふわっと浮かぶように 意識が浮上した。
「……ん?」
ぼんやりと、もやのかかったような思考のまま、処置台に横たわる体を上半身だけ起こす。どうやらここは試験会場の医務室のようだが、しんと静まりしていた。
シカマルに会ってから後の記憶がないということは、気を失ったわたしをここまで運んでくれたんだろうか。辺りを見回してみると、当のシカマルはいない。
医療忍も不在のようで、ただひとり、傷だらけのネジだけが座っていた。
「あれ、ネジ……」
呼びかけたけれどネジはすぐには反応せず、包帯の腕で顔を拭ってからやっとこちらを向いた。
「目が覚めたか」
手当ては済んでいるようでもたくさんの戦いのなごりが残っていて、彼の頬にいま落としきれなかったちいさな涙の跡がうっすら光って見える。
「も もしかして試合終わっちゃった……?」
おそるおそる尋ねると、彼は仏頂面のままにコクリと頷いた。
「うそォォ、なんで誰も起こしてくれなかったの!?」
「その布団をよく見てみろ」
わたしにかけられた薄いかけ布団には、起こしたら殺す、とやる気のない適当な字で書かれた貼り紙がしてあった。
「シカマルの奴ーっ!」
サスケやナルトの試合を楽しみにしてたのに、わたしをペンキ塗りたてのベンチ扱いして……許さない!ムキーと歯を剥き出しにして怒るわたしを、ネジがふっと笑った。呆れたように。その顔は前にみた氷のように冷たいものじゃなく、穏やかだった。
ここにナルトの姿がないということは そうか。
ナルト、勝ったんだ。
きっと今回も、いとも簡単に人の心を動かしちゃったんだろうな。
「ナルト、強かったでしょ」
「ああ」
誰がと言わずともネジには通じていて、驚くほど自然に短く相槌が返される。
「昔ね、ナルトに言われたことがあるんだ。イヤなことなんて全部変えちまえって」
窓の外、青空を見上げるネジのそばにわたしは歩み寄ると、包帯をしていない手の擦り傷と血豆を見つけた。テーピングの方にはもっと努力の跡があるのかもしれない。
「胡散臭いセリフだけど、あいつが言うからつい信じちゃうんだよね。こういう言い方でいいかわかんないけど…負けてよかったね」
ぽう、とチャクラが光って手のひらを包むと、白くて細い手から傷がふっと消えた、消した。
「あ、言い忘れてたんだけどさ」
「なんだ」
「死の森で助けてくれて、ありがとう」
「……礼には及ばない」
ネジが顔をあげて、すこし笑ったような気がした。
しばらく医務室で休むというネジと別れて廊下を駆けていると、だんだん近くなる試合場の奇妙な雰囲気に気がついた。誰かの試合中だというのに歓声のひとつもしない。なにより、いやな空気を感じた。
身の毛がよだつような気配がじわじわと立ち込めている。
「わっ!?」
走るスピードを速め、外の光が眩しく差し込む入り口を出ようというところで、ズズンと地面が縦に大きく揺れた。
試合で何かあったとかいう規模じゃない。
何か問題があったんじゃないだろうか。
揺れがおさまったのを確認して外へ飛び出す。回廊から開けた場所に出て、眼下の光景に思わず息を飲んだ。
「!!」
一般人、忍者を問わずに観客の大部分が頭をもたげて気を失い、試合会場には下忍ではなく 砂忍の姿がある。それに、見慣れない装束忍たちも大勢。
慌てて一番近い席の人へ駆け寄ってみたが目立った外傷もなく、幻術にかけられているようだった。
「一体何が……っ!」
背後から飛んでくる手裏剣を咄嗟に避けると、音符の印がついた額宛ての忍が襲い掛かってきた。
前に見たことがある。
音隠れ。このマークを以前目にしたのは、大蛇丸の額宛てだった。
「そこにガキがいるぞ!」
「!」
わたしの姿を目視するなり音忍たちは数名こちらに向かって猛進をみせる。
「邪魔っ!」
襲ってくる忍を怪力の踵落としで地面に叩きつけ、木ノ葉の忍の姿を探した。
銀色の髪の忍がちょうど真南を横切ったところだった。
「カカシ先生!!」
「シズク 戻ったか」
敵を凪ぎ払うついでにこちらを振り向いた先生が わたしを見つけた。
「先生!一体どうなって……、」
カカシ先生に叫ぶ。けれど、瞬身して襲いかかってきた忍によって視界を遮られた。幻術返しでちょうど目を覚ましたサクラに目をつけ、狙っていたのだ。
「サクラ伏せて!!」
「えっ、シズク!?」
座席に飛び乗り、後ろから強引にサクラを押し込めて屈めさせる。頭上では カカシ先生が今しがた迫った敵ふたりをクナイで始末していた。
「サクラ、シズク、ちょっとの間そうしてろ……敵の数を減らすから」
殺気立った戦場にそぐわないその穏やかな笑顔は、すぐにどこかへ消えていなくなっていた。
「サクラ、何があったの!?」
周囲に敵がいないことを確かめ、わたしは屈んでいた姿勢を正してサクラに問いかけた。
「どうして木ノ葉と砂忍が戦ってるの!?」
「わかんない!急に羽が空から落ちてきて…気付いたら変な忍が乗り込んできて……!」
サクラは怯えた声色で言う。両手は未だに頭を庇ったままだ。
「シズク、サスケ君を見てない!?さっきまで戦ってたのに、サスケ君がいないの!」
「サスケが!?」
“わたしも欲しいのよ うちはの血がね”
ざわざわと胸騒ぎがする。
試合中に誰かが幻術をかけたってことか。警戒体制下で秘密裏にこんな荒業ができるのは。
大蛇丸はサスケを狙ってる。……まさかサスケは連れ去られた?
「もしかしたらサスケは――――」
会話を遮るように大柄の忍が頭上から迫りくる。「キャ!」忍の気配にサクラが小さく悲鳴をあげた。
わたしは敵の背後をとると、頭を片手で掴み、抵抗されないうちにチャクラ刀で首裏を斬った。
向かってくる忍にも手当たり次第にクナイを投げる。
これだけの数じゃまともに動けないどころか、事態の把握すらできないじゃないか。
「サクラ!」
「カカシ先生っ」
再びサクラの前に背を向けたカカシ先生は流れるように敵の腹を仕留めた。血がバタバタと飛び散り、座席に滲みを作っていく。
「下忍合否のサバイバル演習で幻術を教えた甲斐があったよ。お前にはやはり幻術の才能がある」
「え?」
「幻術を解いてナルトとシカマルを起こせ!」
「!!」
「ナルトも喜ぶだろーよ。波の国以来のAランク任務だ」
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