▼37 禊

ミルラなる忍の捜索命令を受け、シズクは単身、雨隠れ北北東へと向かった。

バケツをひっくり返したような豪雨の中、目的地のミソギ川の森に踏み入れてようやく、外套のフードをおろせるようになった。
樹齢何百年とも推定し難い巨大樹や巨大茸の群生が彼女の傘になり、雨粒一滴どころか、日の光すら足元に届かなくなったのだ。

耳をすませても、響くは川のせせらぎばかり。
思えば 雨隠れに来てからというもの、スイレンやフヨウと隊を組むことが殆どで、任務の道中はもっぱらガールズトークで盛り上がっていた。常の賑やかさと比較すると、ここは異様なまでの静寂に包まれている。
森林に漂う濃密な空気も後押しして、シズクの歩みは自然と速くなっていった。

「捜索班の調べによれば、ミルラはミソギ川の上流付近の森に身を隠しているらしい」

「らしいって、随分曖昧なんですね」

「あの周辺は自然エネルギーが非常に強い聖域でさ、並の忍じゃ迂闊に近寄れないんだ。そのせいでミルラの足取りも途中までしか掴めなかった」


テルの言う通り、川辺りの森に満ちる自然エネルギーは奥地に分け入るに従って次第に強まっていく。
自然エネルギーは仙人にとっては莫大な力の源になるが、仙術を扱えない忍にはかえって体の毒にもなる。
立ち込めるエネルギーを誤って取り込もうものなら、あっという間に体内のチャクラバランスが崩れてしまいそうで、とてもじゃないが長居できない場所だ。こんなところに、本当にミルラは潜伏しているのだろうか――周囲を警戒しつつ、シズクは先を急いだ。


足跡を追い始めて半日。
シズクが行き着いた先は、ミソギ川の上流にある広い泉だった。
覗き込んだ眼下の泉から、水は滑らかに、こんこんと湧出している。
シズクは喉の渇きを思い出し、岩場に膝をついた。しかし奇妙なことに、澄んだ水を見下ろしても川底を捉えることは出来ない。底無し沼と見紛うほどだった。

この湧水も自然エネルギーの力の及ぶところかもしれないし、飲み水にするには懸命ではないだろう。
シズクが一歩退くと、波風の立たぬ水鏡に映し出された彼女の姿が小さくなる。
水面の目と視線が交わる。
鮮明に映し出される自分が煮え切らない表情をしている理由は、シズク本人が一番よくわかっていた。

「ミルラを呼び戻してくれたら君の要求をなんでも聞く。なんなら協定任務をきりあげて早く木ノ葉に帰ってもいいし」

里長テルの、あの見透かしたような一言。
踏ん切りのつけられない自覚がありながら、肝心の回答が、今のシズクには見つけられない。
仮にミルラの説得に成功したとして。そのあと自分は、テルに何を要求するだろう。
自分には為すべきことがあり、志半ばで木ノ葉へ帰ることはできない。しかし、一体何をもって志を果たすとするのか?


「その水に触れれば全てが解決するぞ」


「!?」

気配などまるで感じなかったというのに――振り返った先には、黒い外套に身を包んだ忍が1人立っていた。
フードに隠れて人相は窺えないが、背格好からして男だろう。
だがこの声には聞き覚えがある

「テル様…?」

知らず知らずのうちに口をついて出てきた名に、シズクは自分でも訳がわからなくなった。

声が似てると言っても、声帯模写は忍の基本中の基本ではないか。第一、テルが里の中心部から離れたこの地にいるはずがない。この森に潜んでいるとされる人物はただひとりのはずだ。

「もしやあなたが……って!」

シズクの言葉を待たずして、謎の忍はクナイを放ち、容赦なく浴びせかけてくる。
一先ず回避のため跳躍し、背後の泉に着水しようとした、その時。水面に触れた途端に 足の裏で溜めていたチャクラが忽然と消えたのだ。

「うそ、」

なんで――声を上げる間もなく、シズクはそのまま水飛沫をあげて水中に落ちていった。



投げ出された体は幾多の泡に迎えられ、勢いのままに沈みゆく。
シズクは光のさす方向に腕を伸ばすが、奇しくも、水の流れは鉛のように重たく、どれだけもがいても浮上することができない。
さながら海原に沈みゆく一隻の舟。
シズクの意識は薄霞に包まれ始めていた。

何故だろう。
岩場の陰にシカマルが立っているように見える。

カカシやナルト、サクラ。サスケの姿まで。
これはあの男のトラップなの?
それとも幻想?
わからない。ただ苦しい。

こんなはずじゃなかったのに。

眠りにつくように瞳を閉じる瞬間、シズクの頭に浮かんだのは、会いたい人たちの笑顔だった。


*

「――ぷはっ!」

静まり返っていた水面は、ひとりの女が水中から顔を覗かせたことにより大きく揺れた。
水を含んだ重たい身体を乾いた岩肌まで動かし、その人物は気持ち良さそうに両手を天に向け、大きく伸びをした。

「ふー。やっと自由になれた〜!」

間を置かずに、川面には濡れた頭がいくつも浮上する。通りすがりの一般人がこの場にいたら、小首を傾げたことだろう。それらは奇しくも、全員が全員、揃って月浦シズクの人相をしていたのだから。

「久しぶりの娑婆だね」

「だるーい。解放されるってのも面倒だなあ」

「ちょっと畜生道 あとつっかえてる!早く岸に上がってよ!」

「ったく地獄道はせっかちだなあ……」

ミソギ川から次々と這い上がった濡れ鼠のシズクが、数えること総勢六人。各々に髪や外套に含んだ水を絞り終えると、ようやく会話が再開した。

「さてと。外道が上がってこない内に出発しようか」

「え……ほんとに黙って抜け出すの?本体を説得してかないとさすがに……」

「何言ってんの餓鬼道。私たち同じ月浦シズクなんだから断り入れる必要なんかないでしょ」

「そうそう。早いとこずらかって、一楽のラーメン食べようよ〜」

「ラーメンよりまずバトルでしょ!久々に自由に体を動かせるんだし」

「隠密行動もバトルもめんどくさーい」


六人の月浦シズクたちはそれぞれ勝手な口をききつつも、一様に同じ方角へと体を向けた。
見つめるは、緑深い山々のその先にある故郷。

「とにかく早く帰ろ。木ノ葉に」

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