▼35 蟲のしらせ
シズクの仮説を聞き終えたシノは やや間をおいて回答を示した。
「それは“燐壊蟲の術”かもしれない」
「燐壊蟲の術……?」
「細胞サイズの毒蟲を敵の体に侵入させ 相手のチャクラを蝕んで殺す術だ。その人間が生きている間は燐壊蟲も活動し、僅かな間死体にも巣食うこともできる」
燐壊蟲の術を扱えた油女トルネとその父・油女クロのみで後継者は存在しない。
そう呟き、シノは長いこと沈黙を通した。
「でもよシノ、トルネって確かお前が仲良かったっつう暗部所属の親戚だろ?大戦前に殉職したっていう」
傍らで聞き耳を立てていたキバも、ちゃっかりと密談に加わっている。
「シズクまさか、犯人は油女一族って疑ってんのかよ?」
「そうじゃなくて!」
シズクはあらぬ誤解を抱かせてしまったのではと慌てて弁解する。
「ごめん。油女一族を疑ってるんじゃないの。蟲って決まってるわけでもないし。知りたいのは、他の忍がその術を転用できるかってことなんだけど」
油女トルネか油女シクロと過去に交戦し、燐壊蟲の術を受けた忍が雨隠れでその蟲を解き放ったのではないか――ここまでがシズクの推測である。
「油女一族と同等に蟲を扱うことは無理だが、サンプルを氷結保存させているように、燐壊蟲を殺さずに保つことができる。過去にその術を受けた忍が死を回避し 後に利用する……というのは不可能ではない。考えがたいが」
「そっか。任務歴がわかれば雨隠れ近辺で戦闘があったかかも辿れるか……でも暗部のトルネさんやシクロさんが生前どんな任務についてたかは調べようがないね」
「暗部だからな。詳しくは知らないが、油女シクロもトルネも“根”に配属され ダンゾウの部下として動いていたと聞いたが」
――ダンゾウ。
シズクの顔は、苦虫を噛み潰したような表情に変わった。“根”の首領は、全ての謎を引き連れて既にこの世を去っている。二人の任務履歴を洗い出すのは難しいだろう。
「けどよ、その奇病事件って再発してねーんだろ?」
「うん」
「ならそこまで気にすることねえんじゃねーの?」
「そうなんだけど」
なんかこう ひっかかるんだよね。自分が歩いてきた方角の 家々の灯りをぼんやりと見つめながら、シズクは煮え切らない様子でキバに生返事を返した。
*
濃厚な黒から群青。
群青から透き通った青。
その宵シカマルは 窓の外の雨音に耳を傾けながら、天井の色のうつり変わりを何度と見送った。
夜通し忙しなく思考を続ける頭をよそに、連日疲れが溜まっていた体は、先に降参。空が柔らかな乳白色に染まる頃にはいつしか瞼も降りていた。
「シカマル、」
なんか聞こえる 誰だ
「シカマル、いつもごめん」
なあ
何に 謝ってんだよ
いつものように 目覚まし時計より早く目を覚ましたとき、シカマルは違和感を覚えた。
浅い眠りに身を委ねている間、枕元でささやきが聞こえたような気がする。
あれは夢だったのか――ふと窓際を眺めて、朝日にまぎれてカーテンを揺れていることに気が付いた。
窓の鍵はかけないでいたが、しっかり閉めて寝たはずだった。
あいつが帰って来れるよう。帰って来たら気付くように。
余程疲れていたらしく、とどのつまり気付かなかったのだが。
「謝る位なら逃げんなよな……」
髪を結い直し、シカマルは早々に家を出た。
午前は木ノ葉隠れと雨隠れによる協定報告会議。その後は忍連合加盟里の長たちでの会合。
今日は会議に丸1日拘束されることになるだろう。
シズクと話す時間も 取れそうにない。
シカマルが早朝から関所に向かったのは、もしかしたら相手もそう思って早く会議の場に現れるかもしれないと期待してのことだった。
「おーい、シカマル!」
あいにく、関所の門前でシカマルを待っていたのはまったく別の人物だった。
「シカマルゥ、待ってたぜ!」
ナルトがにやりと笑んでシカマルに手を振っている。
なんか同じように待ち伏せされたことがあったような…これがデジャヴってやつか。
こういう場合に良い思いをしたことはねェなと、シカマルは目を細める。
「なんだよ?こんな時間に」
「今日の雨隠れとの会議、オレもまぜてくれってばよ!」
「は?」
何を言い出すかと思えば、ナルトが会議?
9月だというのに今日は雷か。それとも雪か。
「ナルト 頭でも打ったのかよ?」
「失礼だな!マジメに頼んでんだぞ!」
口を尖らせてシカマルに詰め寄るナルト。たしかに目は本気だ。
「お前、会議なんてガラじゃねえだろ。大体今日の協定会議に参加すんのは上役と一部上忍だけだ」
「けどよ!オレも知りてえんだ」
「なんで急に…」
「オレ、約束したからな」
「約束?」
「おう」
皆まで言おうとしないナルトだが、かつてナルトが雨隠れの長期任務に行きたいと直談判したときのことを思い返し、シカマルもそれとなく察する。
ペインが木ノ葉に襲来したあの日。和解の裏には、シカマルが知らない、当人たちだけで交わされた約束があるのだろう。
「それに 今はカカシ先生が火影だけどよ。次にオレが火影になったときに いちいち参謀に頼りっきりじゃあカッコつかねェからな!」
啖呵を切って笑ってみせるナルトに、シカマルもつられて笑みを浮かべる。ナルトが一歩前進しようとしているとあっては最早拒否できまい。
「ったく……調整すんのはこっちだってのに。無茶言うぜ」
その日の会議、シカマルは自分の隣にナルトのための席を設けて臨んだ。
どうせ寝ちまうだろうというシカマルの予想に反し、ナルトは奮戦した。
シズクが一年間の成果を報告し、カカシとテルを中心にあれやこれやと小難しい話をしている間、居眠りせずに 全然ついていけてないながらも現状を把握しようとしていたのだ。
その必死な様子を見、道のりは遠いなと苦笑しては、ナルトの手元の資料を指さして助け船を出してやるのだった。
*
異郷を訪れて3日目 雨隠れの一行は木ノ葉を発ち 自分たちの里へと帰っていった。
カカシの親切で宛がわれた見送りの役を他の忍に任せて、シカマルは火影邸の屋上 石造りの床に寝っころがりながら空を眺めていた。
シズクとはとうとう面と向かって話すこともなく また離れていく。
昨日の会議中 シズクが一度としてシカマルの目を見ようとしない態度からして、彼女が昨日の件についてシカマルと話すつもりがないのは明白だった。
シズクが何を考え、どんな答えを出すかは判らない。どうするかはアイツが決めることだ。
青空から茜色へ。染まる空を突き抜けるようにこちらに向かってくる墨色の鷹を目で捉えた。
気を揉んで待っていた サイからの返信だ。
自分はただ 今の火影と、未来の火影と共に、里のため尽力するしかない。
らしくなく背筋を伸ばし、シカマルは階下へと降りていった。
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