▼25 自由
口寄せ獣に丸飲みされた直後ならばカンダチの身体はまだ完全に消滅してない。ならばその肉体を医療忍術で治療し、器に魂を呼び戻してしまえばいい。
シズクの提案は、人を生き返らせる、人の業を越えた行い。死んで尚取り乱すだけの感情があること自体不思議でならないが、カンダチは激しく狼狽していた。
「そんなうまい話があるものか!この雨隠れのカンダチ、お前のような者に騙されるほどバカではない!」
「死んだお前を騙して何の利点がある」
サスケの言葉は追い風となってカンダチをおいたてた。
他人を信用するのはバカのやることだと カンダチは今まで思って生きていた。疑り深さが彼の最大の武器だった。しかし今回は、その刃は使い物にならない。
シズクの目には得体の知れぬ凄みがあった。彼女が死者の通過するというこの空間に生身のまま佇んでいることも、自分の口にした後悔を聞きつけてやってきたことも、彼女が普通の忍ではないと割りきってしまえば説明がつくのではないか。彼女の能力を以てすれば不可能ではないのでは、と。
「信じる信じないはあなた次第です。ただ、あなたは自分の人生はこんなはずじゃなかったと言ってた。もう一度やり直したい気持ちがあるなら 私を信じて」
シズクの態度は泰然自若たるもので、カンダチが首を縦に振るか横に振るかをただ待つのみだ。
彼女を信じずここに留まることは、死を受け入れることに等しい。信じても、もう一度人生をやり直せる保証はない。
これは救いの手か?それとも悪魔との契約なのか。
「……俺は…」
生前言われた文句が 不意にカンダチの頭を過った。
数年前 火の国のとある村を制圧していた折 潜伏先に伝説の三忍・自来也と金髪の派手なガキが乗り込んで来たことがあった。
身を隠したいなら村人たちに匿ってもらえばいいと、その小僧はこどもらしい、しかし尤もらしい一喝をカンダチに浴びせたのだった。
バカにはなれない、たとえバカになれたほうが楽でも。あの頃のままならこう答えたろう。
「俺は他人を信用しない。お前に俺の命を預けるなど、できない」と。
「もちろん」
自分だけに呟いたはずであったが、なぜかシズクの耳には届いていたらしい。
「あなたの命は私のものにはならない。最初からあなたのものでしょ。自由だ」
「俺が…今までずっと自由だったというのか?」
「うん」
「半蔵の下でも、他国で身を隠しても、命を落としても尚自由だと?」
「自由よ。どうしたいか、あなたは選べる」
笑ってしまうくらい単純で、ひどく幼稚な返しだった。以前遭遇したあの木ノ葉の小僧のように。
成程。愚者よりバカ者の方が、生きるには楽だ。自由だ。旧雨隠れのカンダチは 生まれてはじめて人に助けを乞うた。
「頼む。助けてくれ」
*
自分に恨みを持つ者を生き返らせようなどと、ここまで来たらシズクのお人好しも度を越えて阿呆者与太郎。そう思いつつも、サスケはこの問答をしばし傍観していた。シズクが死者と何をどうしようが、サスケの意思に然したる変化はないからだ。
さてその二人の討議が終わったところで、この狭間からどう脱出するかという問題が再び舞い戻ってきた。
「サスケ、急ごう」
道を戻ろうとするシズクに対し、サスケは何やら思案げな様相を呈し、その場から動こうとしなかった。
「サスケ?」
「ここに来る直前のことを覚えているか」
「直前って、確かメンチ切り合ってここに飛んできたんじゃなかったっけ」
「瞳術での空間の往き来は大抵同じ原理で出来ている」
「つまり?」
「往きと同じことを再現すれば手っ取り早く帰れる可能性があるってことだ」
「それ早く言ってよっ!」
「……やり方が不本意だろう」
「不本意?」
サスケがシズクに顔を近づけて影を落としたところでようやく、彼がこの手段を奥の手に封印していた真意を理解することになった。
「な!なにし、」
「動くな」
瞳同士を焦点が結ばぬ至近距離へ寄せるということは、詰まるところ、それだけ二人が接近するということだ。
先程は口喧嘩の最中でろくに意識もしなかったが、あらためて再現すると、近い。一段と背の高くなったサスケの、すらりと通った鼻梁がますます迫ってきた。たとえ旧知の仲の二人でも、吐息すら感じられる距離では性差を意識せずにはいられない。
「こんなのばれたらサクラに殺される!」
「黙ってろ。オレだって苦痛だ」
本人の言う通り、表情は見たことがないほど不機嫌そうに歪んでいた。こうして鼻先が触れ合うほど近づいた二人に、事情を知らないカンダチはおもいきり眉をつり上げて、一言。
「俺を助けるために、なぜその男とキスする必要がある?」
キスじゃない――――!!
頭に血が昇り、カッと目を見開いた刹那。シズクの体は無重力に投げ出された。移動の瞬間を記憶することはできない。シズクが知覚したのは、ザブン、という水音。そして真冬の水泡だった。
爪先から旋毛まで全身を針で刺すような冷たさにダイブして、その拍子にしこたま水を飲んだ。
息が苦しい。
「――っプハッ!」
酸素を求めてシズクが水上へ頭をつきだすと、波間には、角を生やした貝の化け物がふんぞり返っていた。
「うわっ!何あれ」
「あれがさっきの男の口寄せ獣だな」
シズクが声の方向を見上げれば、すぐ傍らにサスケがチャクラ吸引で佇んでいるのが見えた。華麗な着水を決めたようで、外套が濡れてないどころか足元に波ひとつ立っていない。
元の森に戻ってこないなら掴んでてくれれば良かったのに――ずぶ濡れのシズクは不平を口にしようとしたが、どこからか彼女を呼ぶ別の声がある。
「シズク!?」
サスケとシズクが貝螺王の潜む沼地へと飛んできたために、怪物に忍具を向けるスイレンとフヨウは、突然現れた二人にあんぐりと口を開けた。
「何で急に……ってかシズクどっから出てきた!?」
「スイレン、フヨウ!ごめん説明はあと!アイツ、人を飲み込んでて、吐き出させなくちゃならないの!」
シズクは水面から貝螺王を注視した。あの強固な貝殻の内部に、飲み込まれたカンダチがいる。カンダチの命を救うにはまず第一に貝螺王を倒さなくてはならない。
「飲み込んだものを吐き出させるって?」
事態を把握していないフヨウたちでも、人命救助の急務を知った上で悠長に状況説明を求めはしない。シズクは水面にあがり、サスケの隣に立つ。シズクの左右にはスイレンとフヨウが並び、四人は貝螺王の巨大なシルエットに対峙した。
「それなら吐かせるが一番だわ」
「砂吐きの要領か」
「砂吐き?」
「あいつは元々海から来てるって聞いたことがある。塩水を飲ませて全部吐かせればいいんだ」
「なるほど 実力行使ね!」
「私らがヤツの口に水遁で水を送り込むわ」
ならば残るサスケとシズクとで貝螺王の動きを拘束し、尚且つ二枚貝の口を開かせる必要がある。シズクは影分身の印を組もうと指を重ねた。しかしチャクラを練るよりも先に、水面が大きく波打つのを感じた。
「なんだ!?」
波の原因は前方で俊敏な触手を繰出してくる化け物ではなかったが、貝螺王と同等 或いはそれ以上の体格を有する生き物。背後に現れたのは 今や透明なポルターガイストではなく、褐色の皮膚を持つ巨大なカメレオンだった。
「さっきのカメレオン!どうしてここに?」
元“神の使い”は言葉を持たぬ生き物だったが、輪廻眼の支配を逃れて自由を得ても、この地に君臨することを選んだらしい。
「よーし お前も一緒に、作戦開始だ!」
自分に忠誠を誓い、寄り添うカメレオン。
シズクは少し嬉しそうに、物言わぬ新しい仲間に呼び掛けた。
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