▼23 牌を倒したのは誰だ
同刻・“狭間”
青空もなければ奥行きもないようなただ白い空間で、シズクは五歩前を歩くサスケの後をついて歩いていた。
歩みの早い彼に合わせて急ぎ足になっていたシズクの耳が、ふと後方からちいさな声を拾った。
――俺の人生はこんなはずではなかった。
「!」
シズクは思わず足を止めて振り返った。しかしそこには声を発する者はなく、時折すれ違う死者たちは誰もが背を向けて歩いていくばかり。おしなべて淡い灰色を被ったような姿で、無言で目的地を目指している。確かに誰かの声がしたというのに、往来の死者たちにはこの声が聞こえないのだろうか。
「ねえサスケ。今 声が…って、あれ?」
シズクは男の声に耳を澄ませつつ、同行者に質そうとした。しかしシズクの先を歩いていた黒いシルエットはどこにも見当たらない。
「サスケ?どこ?」
この狭間では時間の感覚はおろか物の遠近感さえ曖昧だ。サスケが急に消えるとは考え難い。シズクがもたついている間に先へと進んで行ってしまったのかもしれない。どうやらシズクはここでひとりになってしまったらしい。
「どうしよう」
――こんな筈では。
残悔を呻く声は次第にはっきりと、看過できないほど強くシズクの耳を打つようになっていた。
見失ってしまったサスケを追うか、正体不明の声の持ち主を探すか。逡巡の末 シズクは声の方向につまさきを向けた。
行き着いた先には 男が膝をついて譫言のような呟きをぼんやりと口にしていた。
特例を除けばこの狭間にいる理由は一つ。鈍く光る灰色の男の身体から、シズクは彼の命がすでに潰えていることを知る。着古した装束で、忍であるともうかがえる。
「…あなたは誰?」
男の傍らに立ち、シズクは声の主に恐る恐る問いかけてみた。
「!?」
男がバッと顔をあげ、面構えがあきらかになる。額から頬にかけて、右目を囲む特徴的な痣のある男だった。
顔に覚えはない。だが男の方は シズクを――彼女の瞳に輪廻眼を見つけるなり憔悴した表情を一変させた。
「お前!その眼!!」
憤怒、憎悪、恐怖。三つの感情が綯い交ぜになった視線だった。
「その眼のせいだ!何もかも!」
「え!?」
男はシズクに掴みかかろうと身を乗り出す。
伸ばされた腕は 突として現れた第三者によって阻まれた。
「触れるな」
「サスケ!」
男と自分との間に前触れなく割って入ってきたサスケに、シズクはポカンと開いたまま塞がらない。あまりの速さにサスケの外套の裾は遅れて棚引くほどだった。
サスケは男の手首を圧迫した状態を保ち、怪訝な顔をシズクに向ける。
「どこに消えたと思えば…今度は一体何なんだ」
「ごめん」条件反射で謝罪が繰り出される。
忍として経験を積んだ者であれば、相手と対峙しただけでその相手の力量をある程度読み取ることができるもの。男も例外ではなく、サスケの鋭い眼光に、力の差を自覚して一歩退いた。このまま去るかに思われたが、男は我に返ったように項垂れ、再びがっくりと肩を落としている。
「…何がどうだろうと…もう無意味か…俺は死んだんだ…」
絶望は深く、自嘲すら含んでいる。
「あなた 名前は?」
シズクは泰然とした口調で、彼の生前の名を再度尋ねてみた。
「俺の名は…カンダチ」
男の名を、カンダチという。
雨隠れの忍で半蔵の腹心の部下であり、シズクたちが目下捜索中の賊。そのカンダチがどのような経緯でここへ辿りついたかを、シズクは彼自身の口から聞き出そうと試みた。
半蔵の右腕であった頃が、彼の忍人生の絶頂期だった。
栄華に影がさしたのは、いつ 誰による仕業だったか。裏で糸をひく人物は一人ではなかったが、表向きの原因は、当時急速に台頭していた忍集団“暁”だった。暗躍する忍の影にそそのかされ、半蔵は自らの地位を危ぶみ、保身のために暁の芽を詰もうとした。
あの日 どしゃ降りの下で起きた悲劇を、カンダチは忘れない。
すべてはあの日はじまって、終わったのだ。
白が黒に。或いは黒が白にひっくり返った現場だった。
あの 赤髪の忍の 見開かれた紫の輪廻眼。世にも恐ろしい化け物の慟哭。怒りと悲しみが人を狂わせる瞬間を垣間見た。
カンダチは半蔵と共に辛くも逃げおおせたが、暁の脅威に怯えるようになった半蔵にもはや力はなかった。情勢は傾き、国は半蔵派とペイン派の長い内戦に突入した。
戦いの果てに半蔵が暗殺されると、カンダチはぺイン派に報復するどころか、隙をみて部下数名を率いておめおめと逃げ出した。新しい支配者は過去の遺物を慈悲で残さず、裁きとして等しく死を与えるのだ。
この国を離れ、あの眼の届かぬ場所に逃げなくてはならぬ。
カンダチは部下と口寄せ動物の貝螺王と、火の国へ渡った。時に小さな村を襲い力で支配しながら、ペインの追及を逃れ続けた。
「…ペインが死んだとわかって、あなたは再びこの国に帰ってきたのね」
カンダチが国境付近に出没し出した期間を集落で耳にしていたシズクには納得がいった。「でも、なぜ命を落としたの」
「貝螺王に裏切られた」
「ば…ばいらおー?」
「俺の口寄せ獣の名だ。元々狂暴な生物で年を追うごとに反抗するようになっていた。国に帰ってきてからはとうとう手がつけられなくなった。この巨大樹の森に来たのも、ここに住み着く獣の力で貝螺王の暴走を抑制するためだったが」
「ちょっと待って」シズクは眉根を寄せる。「集落の人たちは、あなたがその貝螺王とやらを用いて村を脅かしていると証言してた」
「…最初こそ脅しもしたがあとは違う。貝螺王は俺の統率に逆らい、人の肉を求めて勝手に村に向かうようになった。俺はそれを追いかけて止めに入ろうとした」
シズクカンダチの真意を探ろうとしたが、嘘の供述をしている様には見られない。むしろその逆で、自分が主を見限り国外逃亡したことも、使役動物に見限られたことも、死んだのだから洗いざらい語ってしまおうとさえしている。
「夜明け前だったか…急に暴れ出した貝螺王を抑えようとしたが、あいつの口に引き摺り込まれた…そうして気がついたらここにいた」
あれほどの暴走は今までしたことがなかったのだがと、カンダチは尚も納得しかねるといった顔をしていた。
シズクとサスケは、揃って顔を見合わせた。
夜明け前といえば、シズクが“神の使い”カメレオンを口寄せし、輪廻眼の隷属から解放した時間帯と重なる。
口寄せ動物には、忍者とは異なる獣独自の習性や勘を備えている。その貝螺王が、カメレオンが自由の身になったことを敏感に気取っていたなら。自分がこの森のヒエラルキーの頂点に君臨するまたとない好機を逃すだろうか。
シズクの額にどっと冷や汗が滲んできた。蓋を開けてみたらどうだ。まるでドミノ倒しのように次から次へと出来事が波紋していく。先頭の牌を、指先で ぴんとつついて倒したのは、他ならぬシズク自身だった。
「あ あの」
過去。忍の生き恥。殺し。全てを自白したカンダチを前に、ならば自分も この男に真実を告げなくてはならないとシズクは決心した。
「私、あなたに言わなくちゃならないことがある」
自分はペインの娘だと。カンダチの死のきっかけを作ったのは自分だと。
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