▼21 再び狭間へ

カメレオンの双眼は表皮と同じ色になり、やがてその皮膚も肉体ごと朝霧のまにまに薄れてゆく。音もなく、景色に溶けるように。
奇怪に富んだ一夜だったが、神の使い、もとい獣は目に見えずとも確かにここにいた。

解の印を結ぶなり、シズクの身体は錘のようにどっと重くなった。これまでの口寄せ輪廻眼での疲労と、さかれていたであろう力が戻り 蓄積したのだ。
一息ついてからスイレンとフヨウに合流しよう。シズクは近くの樹の根本に背中を預け、ずりずりと腰を下ろす。
カンダチの件はこれからだが、少なくとも“神の使者”の一件は本来あるべき形に戻した。集落の村人たちには訳を話し、問題を共に解決していこう。考えながら、ふう、とちいさな溜め息が出た。


ふと、サスケがこちらを見ていることに気がついた。漆黒の右眼から、射抜くような視線が、シズクに注がれている。

「サスケ?」

一点の混じりけもなく闇を湛え、吸い込まれるような感覚に陥る黒いまなこ。
その瞳が突然夜明けに赤く煌めいて、シズクは言葉を失った。

「……!」

シズクの身体は幹に凭れた状態で凍り付いたかの如く硬直し、指一本どころか唇さえも動かなくなった。

(サスケ、)

赤い瞳から眼を逸らせず、瞬きひとつできない身でシズクは声を発しようともがく。
視線の先のサスケは唇を固く結んだまま、ゆっくりとシズクとの距離を縮める。シズクのすぐ目前まで近付くと、腰を落とし、外套に忍ばせていた右腕を彼女の頭に翳した。

(何するの、サスケ)

声は届かない。
色白の、五つの長い指先がほんの微かに触れた。
触れて、すぐ離れた。

「そうか」サスケが低く呟く。

「お前は雨隠れの長期任務についてるのか」

輪廻眼で以て記憶を掠め取られたのだと、シズクが気付くにはあまり時間がかからなかった。
心を平静に保ち、己のチャクラの流れに耳を澄ませる。そして内側から乱す。相手が写輪眼の正統な所有者であるだけあって、術を返そうにも一筋縄ではいかない。
ややかかって、唇だけが動かせるようになった。

「術を解いて」

「その必要はない。今からお前を木ノ葉に送り帰す」

「はあ!?」

言葉少なに宣言し、サスケは記憶を盗み見た腕をシズクの背中に回す。そのまま右肩で米俵を担ぐように抱え上げると、方角を確かめて足を踏み出した。

「ちょっ、ちょっと サスケ!?」

流れるような動作。されるがままのシズクはサスケの肩で声高に叫んだ。

「下ろしてよ!ねえ!下ろしてってば!」

今から木ノ葉に送り帰す?
何を思ってか知らないが、そんなことをされては困る。自分は雨隠れでの長期任務中だし、これからスイレンやフヨウと合流し、賊に対処しなくてはならないのだ。

ひとの話を満足に聞き入れない彼の性分は昔から変わっていなかった。それに、年頃の女の子を積み俵感覚で運ぶのもいただけない。

「いい加減にして!!」

聞く耳も持たずに木々を掻き分けるように進んでいくサスケに、シズクのやすい堪忍袋の緒が、呆気なく切れた。
怒声と共に発動した輪廻眼の斥力で、サスケの腕が半ば強引にシズクから引き剥がされる。生じた僅かな間。
写輪眼の拘束が緩む。
好機。
シズクはサスケの背を蹴って木立に跳躍し、間合いを取った。
うちは一族と対峙したら決して眼を見るな。足の動きだけで応戦せよ。
再び写輪眼の術中にはかかるまいとシズクはサスケの足元を注視する。

「私の記憶を見たんなら、私が里同士の協定のもとに任務に来てるってことも知ったでしょ?勝手に木ノ葉には帰れないよ。何のつもり?」

「それはこっちのセリフだ。里同士の提携ならお前を挟まずともカカシたちが上手く取り付けるだろう…お前には輪廻眼の所有者としての自覚も実力も無さすぎる。大人しく木の葉の里に帰れ」

「出来ない」

雨隠れの赴任を嘆願したからには、シズクとて矜持がある。責務を放棄しておいそれと木ノ葉に帰るなど、ちゃんちゃらおかしい。

「お前にその気がなくとも そうしてもらう」

会話は成立せず、二人の言い合いは下忍のときから丸っきり進歩してはいなかった。
シズクの顔に思わず笑みが漏れた。
これほどまでムキになるなんてサスケらしくない。木ノ葉に連れ帰ろうだなんて台詞は、ナルトがサスケに対して数年間言い続けていたことと変わらないじゃないか。

「サスケ 心配してくれるのは有難いけど、自分の身は自分で守るよ」

「なら聞くが…その眼を狙われるようなことが起きたらどうする」

――こんな風に。

「!?」

声は背後からだった。天手力――飛雷神と見紛うその速さ。シズクが振り向く前にサスケの腕は彼女の首根っこを掴み、木の幹に押し付けた。
力の差は歴然だ。

「この眼が…狙われるようなことがあったら」

圧迫された喉でシズクは小さく呟く。今まで交えようとしなかった視線が あやうく鼻先もぶつかるような距離で交錯する。
太平楽な普段の口調を思えば、シズクの囁きは、サスケが聞いた中で最も冷淡なものだった。

「その時は奪われる前に自分で潰す」


波紋の眼同士が、焦点も定まらない至近距離ではぜて。ホワイトアウトした。



深い眠りから上昇するときのように、シズクは重い瞼を持ち上げた。

サスケが目の前で自分の襟首を掴んでいるのは判るが、ただ眩しくて、何も見えない。彼の黒い輪郭だけぼんやりと浮かんでくる。

今のひかりはなんだったのか。

「な…何?今の。サスケがやったの?」

「今のはオレじゃない」

目が慣れてくるだろうと考えたが、シズクの視界にはいつまで経っても森の緑が戻らない。
サスケは腕の力を緩め、シズクを解放した。シズクと自分だけ残して、すべての背景が真白に消されてしまったかのようだった。天も地もなく、水平線もない。
ナルトと対話した場に似ているが、違う。
六道仙人と相見えた場とも違う。

「ここはどこだ」

立ち上がり、訝しげな表情で周囲を見渡して歩くサスケ。
シズクは座り込んだまましばらく物思いに耽り、記憶の中から、祖母の言葉を引きずりだした。

「狭間」

「狭間だと?」

「…魂が通る、この世とあの世の境目」

シズクは以前ここに来たことがある。
この狭間で、シカクやいのいちを見、祖母と会い、ネジに背中を押された。
ここは死者があの世へと渡るための、中途の道だ。

「以前にも来たことがあるのか」

「うん。でも、自分から進んできたことはなかったし、誰かと来たこともない」

遠く彼方に、往来がある。シズクはこの場で以前も見た。
見知らぬ人々が、しずかに、ひとつの方向に歩いていくのだ。

「ねえサスケ…私たち、死んだんじゃないよね?」

ふと過った不安を口にすると、サスケからは苛立ち混じりの返事がかえってきた。

「そんなわけがあるか」

「そ、そうだよね。ただ目が合っただけで死んだりは――」

言いかけて口を噤む。
目が合っただけだが、ただの目ではなかった。この世で最も未知数な力を秘めた瞳同士が、合わせ鏡のように対面したのだ。
それが最後の光景だった。

「ひょっとして…輪廻眼の力でここにジャンプしてきちゃったとか?」

当てずっぽうな発言だが、サスケには否定ができなかった。

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