▼18 第7地区にて

川辺りに居を構え、畑作を営む人々の小さな集落。そのように例えてしまえば静かな暮らしぶりが想像されるだろうが、三人の眺めるパノラマには所々に歪さが生じていた。
地面が抉れている。
熊や狼の通った獣道とは訳が違う。どれもが家々を掠め畑を縦横無尽に猛進したであろう、人を数十人並べても足りないほどに巨大な陥没。加え 空から巨大な鞭で叩かれたかのような痕跡が随所に残り、カツユや蝦蟇といった大型動物たちの戦いを彷彿とさせた。

「ひどい有り様…」

血の匂いはしない。
それが唯一の幸いだとしても、村人たちの家は軒並みほぼ半壊状態だ。冬の収穫も台無しでさぞ不安や憤りに苛まれていることだろう。
三人は集落に駆けつけ、すぐに民家の戸口を叩いた。

「ごめんください」

返事はない。

「我々は雨隠れの小隊です。少々お尋ねしたいことがあるのですが」

短くない沈黙を経て、戸は隙間をつくる。顔を覗かせたのは風格のある老人だった。
老人はスイレンとフヨウの額あてを――本来のマークに横一直線の溝が彫り込まれたものを――見、
「よく来なすった」三人を歓迎した。

老人はこの集落では長老格にあたるらしい。
お世辞にも広いとはいえない石造りの家屋、部屋の奥には老人の息子夫婦や孫であろう人影があり、かなりの大所帯だ。家族たちは初めこそ来訪者に怯えていたが、三人が騒動解決に派遣された本物の忍と判明してようやく 警戒心が緩んだようだった。


「表の被害の様子を見ました。手酷くやられたようで…詳しくお聞かせ願えますか?その“見えない力”とやらを」

スイレンの質しに老人は眉根をひそめ、とんでもない、と呟いた。

「神の使いはそんなことしやせん」

「神の使い…?」

「これは賊の仕業じゃよ」

老人の粛々とした返答に、三人は揃って小首を傾げる。里長のテルの言うことには、里を荒らしている犯人は“見えない力”のはずだ。
疑問符を浮かべる一行に、老人は懇切丁寧に語り出した。


「この“第7地区”は昔から治安が悪くてのう。他里の忍たちの戦場になれば戦火で村は焼け落ち、盗賊に襲われれば僅かな財産や命を奪われておった…そんなあるとき、集落に一人のくのいちが現れてワシらにこう言うたのじゃ。“これからこの村は神の使者の見えざる力によってあらゆる災悪から守られる”と」

「そのくの一とは…」今度はフヨウが訊ねると、老人の傍らにいた青年が口を開いた。

「美しい方だったなぁ。黒いマントに、天使みてーなまっしろの羽が生えててさ。な、ジジ様」

「左様」老人も頷く。「その方は、神の名はペインであるとも教えてくださった…以来、村は度々賊に襲われたが、その見えない不思議な力によって何度も守られてきたのじゃ」

黒いマントに天使と見紛う白い羽。
この村に訪れたくの一が小南であることは明白だった。

「じゃがのう…数ヶ月前からじゃったか、カンダチという忍が西の森に住まうようになり 度々集落を脅かすようになったのじゃ」


カンダチ。
その名が紡がれた瞬間、スイレンとフヨウの表情が僅か強張り、目を見合わせたのを シズクは見逃さなかった。
二人はお互い何か同じことを考えているようだが、ここで老人の話を遮り、敢えて口に出すつもりはないらしい。

「使者の見えざる力が弱まっているのじゃろうかのう…前はこの辺りも落ち着いて平和だったが、最近はカンダチの勢力に圧され、村はすっかり荒廃してもうた」


老人の嘆かわしげなため息に、小隊のくの一たちは反応を返すことが出来なかった。

老人は――この集落の人々はまだ知らないのだ。
自分たちを守っていた、信じる神が死んだことを。





日が沈み、長老の家をあとにした小隊は、集落の空き家を間借りして身を寄せた。
尚も話は続く。
大方どこかのならず者が起こした騒動だろう――ここに来るまでたかを括っていた三人だったが、前政権と関係のある問題と判明しては熊退治の心持ちではいられない。
三人は顔をつきあわせるようにしてひとつのランタンを囲んだ。


「ねえ、さっきの話だけど…二人はカンダチって男について何か知ってるの?」

推考に先立ってシズクが疑問としたのは、この集落を脅かしているという忍についてだった。

「カンダチは、半蔵の右腕だった男よ…」口布越しに届くスイレンの細い声が、寂れた家屋にはやたらと響いた。
「内戦末期 立場が危ういだ半蔵の元から逃げ出して、それからは行方知れずだったの。他国で身を隠してると思っていたけれど…」

「ペイン様がいなくなったのを期に戻って来たに違いない」

フヨウのしかめ顔がランタンの明かりで照らされる。

「けど…ペイン様も小南様もいないのに、どうしてその“神の使者”ってのの力は健在なんだ?」

村たちに陰ながら寄り添う“神の使い”の出没時期は、ペインが半蔵政権を根絶やしにした後。時期は一致する。
長門と小南が死んだ今、弱体化しても未だ神の名のもとに集落が守られているのならば、小南と同じような役割を担う者がまだ存在しているということになる。

「シズク、どう見る?」

「…“神の使者”の正体についてはまだ判らないことが多いけど、どっちみち今回の任務は、そのカンダチって忍の件も解決しないといけないよね」

シズクは険しい顔で訥々と口を開いたが、返答はフヨウが求めたシズクの意見でもなければ、彼女自身が考えていることとも違う、当たり障りのない発言だった。

「まずは騒動の主犯を叩くべきなんじゃないかな」

「そうね…今日私が迂回してきた例の森林にカンダチが潜んでるのなら、行ってみるしかないわね」

「明日だな」

「今日は休もうか」

1日の大半を移動に費やしては、流石に体に疲れが出ていないわけでもない。
三人は明日に備えて床についた。

*


同日 青白い月が真上に上りきった時刻。
シズクはゆっくりと瞼を開いた。
体を休めてはいたが、眠ってはいなかったのだ。

暗がりの中 隣で眠るスイレンとフヨウを盗み見る。二人の胸はかわりなく規則正しく上下している。狸寝入りではない。

(ごめんね)

心の内でひっそり侘びながら、細心の注意を払いつつブランケットの中から抜け出すと、月明かりの下 集落へ来た道を辿った。

古代樹の森の入り口まで着いて、高々と聳える木立を仰ぐ。

ここに、カンダチという忍が身を隠してる。
そして――シズクの推測が正しければ、“神の使者” 見えざる力もまた、この森にいるのだ。

夜霧に包まれて伸ばした手の先も見えない中、シズクは唇をきゅっと噛み締めて、ひとり森へと踏み込んだ。

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